英国で消えゆく小銭、危機感を抱くホームレスの人々

英国でもキャッシュレス化が進むなか、ホームレスの人々が危機感を募らせている。「ごめんなさい、お金はもっていないの」──。そんな言葉はホームレスだけでなく、移民や低所得者層といった既存の金融システムの外側にいる社会的弱者にとって、極めて大きな意味をもち始めた。
英国で消えゆく小銭、危機感を抱くホームレスの人々
PHOTO: JACK TAYLOR/GETTY IMAGES

いまから4年前、ナタリーが初めてホームレス状態になったとき、人々はいまよりもっと気前がよかったはずだ。ロンドン北部育ちの27歳の彼女は、ボーイフレンドと破局した2014年に路上に住み着いた。2015年になってホステルに居場所を得たものの、議会の決定で賃料が上がったことにより支払いが滞り、今年になって再びホームレス状態になった。

ナタリーには気づいたことがあった。「小銭をもっていないんです」と謝られることが次第に増えてきたのだ。「かつては恵んでいただくことが多かったと思います。当時の夏は、今年の冬より収入が多かったですね」とナタリーは言う。

「冬場はほかの季節より思いやりをいただくことがずっと多いものなんです。雪が降っていて、寒空のもとにいるのがはっきりわかるから。今回は12月からホームレスの状態になったんですが、ずいぶん収入が少なかったです。それはもう、散々な結果ですよ」

英国ではATMが毎月300ずつ姿を消している。かつて銀行支店の閉鎖を食い止めるためにATMが導入された比較的貧しい田舎の地域は、特に影響が大きい。2006年には英国における支払いの62パーセントが現金だったが、今日では現金の支払いは40パーセントにすぎない。2026年には21パーセントまで低下すると予想されている。

きちんとしたベッドがなく、見知らぬ人の厚意に頼って生活するホームレスの人々にとって、小銭が消えていくことは火急の事態だ。ナタリーをはじめとする英国内に30万人いるホームレスの人々は、すでに困難に直面している。

テクノロジーの活用はホームレスらしくない?

現金の使用が減っていく間に、ホームレスの人々はどのような状況に置かれることになるのだろうか。雑誌『ビッグイシュー』の販売人のなかにも、iZettleやSum Upなどの決済端末を導入している人がいる。しかし、これにはこれで問題があるのだと販売員のマーティンは言う。

「売り手の一部にはカードリーダーを導入している人もいます。でも、それには銀行口座が必要で、その銀行口座をつくるには住所とIDが必要なんですよ。さらにはネット接続環境もいるんですが、(雑誌の販売に)Wi-Fiを使える場所を確保するのはとても難しいんです」

1998年に雑誌販売を始めたころは、商売を始めるのに必要なものは名前以外には何もなかった。いまや状況は一変してしまった。「最近はもう、世知辛い世のなかになってしまいました」

テクノロジーの活用がホームレスらしくないと見られてしまう一般的な状況を鑑みると、カードリーダーを使うことが裏目に出ることもあるようだ。

「貧困はテクノロジーの欠如と結びつけられるものなのです」と、金融自動化の専門家であり運動家でもあるブレット・スコットは言う。「そしてそれは、人が誰かを困窮していると判断する根拠の一部なのです」。カードリーダーのような電子機器の存在によって、ホームレスの人々に対する印象も変化するのだという。

事実上のキャッシュレス社会といえる中国においてさえそうだ。支払いにQRコードを導入しているホームレスの人々は、「人気の観光地に出没」して犯罪者の手先として支払い情報を読み取り、WeChatのIDを売りさばく片棒を担いでいるとの誹りを受けている。難民がスマートフォンを所持していると非難を受ける地域があるように、ホームレスの人々がクレジットカードを導入することにはリスクが伴う。

誰のためのキャッシュレス化なのか?

この現在進行形の問題は、否応なくイノヴェイターたちの注意を引くことになった。英国では、非営利のスタートアップであるTAP Londonが、現金を手渡すことなくホームレスの人たちに“施し”を渡せる方法を見つけようと活動している。現金の手渡しが組織犯罪を誘発するものだとTAPは考えているのだ。

ロンドン市の計画のもと、もうじきロンドン中心部の30カ所の窓口で電子決済ができるようになる。2ポンドや3ポンドずつ、少額の寄付から集まった寄付金は、市長が援助する18の連立慈善団体に再分配されるという。

TAPの活動は人道的でもある。「路上で現金のやり取りをすることが、ホームレスの人々の生活に大きな被害をもたらすこともあるんです。路上には組織犯罪やそのほかの問題が多く存在するためです」と、TAPの共同設立者であるケイティー・ウィットロックは言う。これは根拠に乏しい私見ではあるが、長く続いてきたホームレスに対する不信感に光を当てる取り組みである。

TAPのほかにも、キャッシュレス問題を解決しようと試みている企業や組織はいくつかある。

Giving Streetsは、QRコードリーダーを通してPayPalとブロックチェーン技術を融合することで、寄付の自動化を試みるアプリだ。Greater Changeは、ホームレスの人々が明確な目標に向けて寄付を受けることができる仕組みで、宿泊所や職業訓練所のように目的に沿った施設に対してのみ支払いをすることができる。Helping Heartはカードリーダーの付いた上着で、それを使って貯めた資金でオランダにある選り抜きのシェルターで暮らせるようホームレスの人々を支援している。

Finance Innovation Labのプログラム主任であるマーローズ・ニコルスは、これらのビジネスについて、ホームレスの人たちの新しいニーズを満たすことよりも、手持ちの現金がない側の罪悪感を減じるほうに関心が向いているのだと指摘する。

「このため、わたしの耳にホームレスの声が入ってくることはほとんどありません」と彼女は言う。「入ってくるのは企業の声ばかりです。このことは、われわれがどの程度ホームレスの人々を信用しているのかという、非常に重要な問題を提起しているのです」

既存のシステムの何が不自由なのか

キャッシュレス化のあおりを受けているのはホームレスの人々だけではない。英国内では270万人が日々の暮らしを現金に頼っている。こういった人々は収入が少なく、年齢が高く、健康状態がよくない傾向にある。現金をなくしていこうという競争は、「素朴で質素な生活を送る人々」を振り落とすのだと、スコットは言う。

銀行口座をもたない人々を一連のシステムに取り入れていこうという試みについて考えると、ある意味では銀行口座をもつことが貧困に生きる人々の助けになることは疑いようがない。しかし、口座の利用と金融インフラの活用を絶対視し、これさえあれば“はみ出し者”を社会の本流に連れ戻せると考えている人が多くいる。ことはそれほど単純ではない。

「社会の隅に置かれた人たちがこうした仕組みを利用できるようになったとしても、彼らがそれを望むとは限りません。彼らにとってそれが必ずしも最善策とは言えないのです。みんながみんな大きなシステムとかかわりをもちたいと考えているわけではありません。それらに自分のことを任せられると感じていない人だっているのです」と、スコットは言う。

ホームレスの人々は、信頼や物々交換をベースにした柔軟なネットワークを頼みに生きている。「既存の社会制度に慣れ親しんでいる“外野”の人々からすれば、彼らの状況は『まるでカオスのようで、汚くて不潔で、普通ではなくて、異様だ』と映るかもしれません。でも、こうしたネットワークの一部に入ってみると、それがとてもうまく機能していることがわかるはずです」

電子決済は、クリーンで安全で「面倒がない」ものとして推進されている。しかしスコットによれば、これは銀行と決済業者がつくりあげたストーリーなのだという。

VISAヨーロッパは2015年、「日々の支払いはタッチ式で」というスローガンのもと、非接触型決済システム「Visa Contactless」のキャンペーンを実施した。デジタル決済を普及させることが、すべての英国の人々に「安全かつ円滑で、お手軽な決済」をもたらすというのが、その趣旨だった。だが実際のところ、現金決済のどこが“危険かつ緩慢”で、複雑だというのだろうか。

これまで低所得者層の人たちと接してきたことで、Finance Innovation Labのニコルスは「現金は自分がお金の主導権を握っていることを実感させてくれるもの」なのだとわかったという。現金を数えられる環境では予算を立てやすくなり、「自分たちだけでなく子どものためにもなるんです」と彼女は言う。

ニコルスによると、真摯に取り組んでいる銀行やスタートアップもある。だが、よく使われる「ファイナンシャル・インクルージョン」という言葉は、銀行が政策立案者に歩み寄る際の「バズワード」として用いられることがほとんどだという。

データの蓄積がもたらす弊害

実際のところ、なぜ銀行は社会のキャッシュレス化を推進しているのだろうか。それは、消費者がいつ何を買ったのかを把握するためである。「わたしたちはいま、データ主導の金融システムが支配する世界へと向かっています」と、ニコルスは指摘する。

「70パーセントの人々は、無料アプリがデータを金儲けに利用しているということに気付いていません。そして、デジタル経済に身を置く多くの企業に続いて、銀行などの金融機関は顧客への情報統制力を利用して収益を上げ始めているのです」

スコットの見立てによると、金融への監視については2種類の懸念があるのだという。それは国家による監視と、企業による監視である。「消費者のデータを手に入れたいのは企業のほうですが、企業がデータを蓄積すると、国家がそこにアクセスできるようになるかもしれません」

英国政府は2014年、国内に不法滞在していると思われる人の資産を凍結したり、口座を閉鎖したりする権限を得た。そしていま、銀行には移民の資格について審査する義務があるが、これはロンドンにいるホームレスのおよそ6割を占める外国出身者にとって重大な意味合いをもつ。

現金は“汚れて”いることもあるが、誰もが使用することができる。ナタリーの立場からすると、これからさらに厳しい時代が訪れようとしている。「実際に『ごめんなさい、お金はもっていないの』と言って、タバコや食べ物を恵んでくれる人が多くなるでしょうね」と彼女は言う。「立ち止まって現金をくださる方たちにしても、『ごめんなさい、これしかないの』って言うようになるでしょうね」

なかには何も言わずに立ち去っていく人たちもいる。「5ポンド紙幣や10ポンド紙幣、もしかしたら20ポンド紙幣をくれる方もいるかもしれません。正直な話をすると、そういう人たちって実際に何も言わないものなんですよ。文字通りお金を手渡して、そのまま歩いていってしまうんです」


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TEXT BY PHOEBE BRAITHWAITE

TRANSLATION BY SHOTARO YAMAMOTO/DNA MEDIA