サン・バーナディーノ銃撃 容疑者は何者だったのか
米カリフォルニア州サンバーナディーノ郡で今月2日に14人が犠牲になった銃撃事件の動機について、捜査当局はまだ公に説明していない。
しかし米当局者は、タシュフィーン・マリク容疑者が事件当日、インターネット上で過激派勢力「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う書き込みをしていたと明らかにしている。
警察はもうひとりのサイード・リズワン・ファルーク容疑者について、事件直前に出席していた職場のパーティーでトラブルがあったと説明していた。
しかし事件現場にパイプ爆弾があり、両容疑者の自宅で武器や銃弾数千発が発見されたことから、一定の計画性がうかがえると捜査員たちはみている。
では容疑者たちはどういう人物だったのか。過激主義だったという裏付けには何があるのか。
タシュフィーン・マリク
ファルーク容疑者の妻、29歳。米当局によると、事件当日、インターネット上で過激派勢力「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う書き込みをしていたという。
しかし米紙ワシントン・ポストによると、米国での暮らしぶりのほとんどは明らかになっていない。事件から数日たっても、サンバーナディーノで彼女の友人や知人だと名乗り出る人がいないのだという。
パキスタンの裕福な家庭に生まれ、家族と共にスーフィズムを信仰していたという。スーフィズムはイスラム教をリベラルに解釈するため、イスラム過激主義者には見下されている。
マリク容疑者はサウジアラビアで育ったが、2007年にはパキスタン・パンジャブ地方マルタンに近い故郷に戻り、バハウディン・ザカリヤ大学で薬学を学び始めた。
当時の友人アビダ・ラニさんはワシントン・ポストに対して、容疑者は2009年ごろにいきなり薬学よりイスラム教の学習に熱心になり、人が変わったようになったと話した。
ラニさんによると、マリク容疑者が通うようになったマルタンの神学校では、イスラム教の中でも超保守的なワッハーブ派の教えを教えていた。ワッハーブ派は世界各地のイスラム過激主義が掲げる教えとされている。
マリク容疑者は大学卒業時に記念写真の撮影を、信仰内容に触れるからと断り、前よりもアラビア語を使うようになっていたという。
AP通信によると、ファルーク容疑者と会ったのは2013年。ハッジの巡礼のためサウジアラビアを訪れていた時とされる。
米連邦捜査局(FBI)によると、マリク容疑者が米国を訪れたのは2014年7月。パキスタン発行のパスポートと、婚約者ビザで入国したという。婚約者ビザの所持者は入国から90日以内で結婚する必要があり、しない場合は出国が求められる。
AP通信によると、米国の婚約者ビザを入手するためには公共や国家の安全を損なわない人物だと、面談と生体検査、経歴審査に合格しなくてはならない。
ロイター通信によると、両容疑者は2014年にリバーサイド郡で結婚し、同郡のイスラム・センターで最大300人を招いて披露宴を開いたという。
ファルーク家の弁護士デイビッド・チェスリー氏は4日、家族はマリク容疑者について「穏やかな物言い」の「典型的な専業主婦」と語っていると明らかにした。運転はせず、ブルカを身につけ、男性親族とはやりとりしなかったという。
マリク容疑者は2014年9月に永住権を申請し、FBIと国土安全保障省の追加身元調査を経て2015年7月に永住権を認められ「グリーンカード」を入手した。
サイード・リズワン・ファルーク
サイード・リズワン・ファルーク容疑者の人生は「アメリカンドリームそのもの」で、「幸せそのものだったはず」と知人たちは言う。
シカゴ出身の28歳は、サンバーナディーノ郡保健局の環境衛生専門官として7万1230ドル(約890万円)の年収があり、父親になったばかりだった。
容疑者のものと思われるインドの出会い系サイト「Imilap.com」のプロフィールには、信仰熱心で車が大好き、また射撃が趣味だと書いてある。
英紙ガーディアンが伝えるこの「farooksyed49」のプロフィールには、「ビンテージ・カーや新車の手入れが好きで、州境の本を読みます。外食が好き。たまには旅行も。妹や友達と庭で射撃の練習をしながらのんびりするのも好き」と書いてある(容疑者は何カ所か単語のつづりを間違えている)。
このプロフィールは約6年前のもので、今では「レビュー中」という状態になっている。
AP通信によると、保健局の同僚たちはファルーク容疑者を好ましく思っていたようで、娘が生まれる前には出産前祝いのパーティーを開いて夫妻と赤ちゃんのためにカンパを集めたという。
捜査当局は今、ファルーク容疑者が過激思想を教え込まれたのではないかと可能性を調べている。
姉妹のサイラ・カーンさんとエバ・ファルークさんは米紙ニューヨーク・タイムズに対して、夫妻は生後6カ月の赤ちゃんと幸せに暮らしていると思っていたし、襲撃を計画していたなどまったく知らなかったと話している。
ファルーク家の弁護士モハマド・アブエルシャイドさんは、家族が「完全に衝撃を受けている」と話す。
アブエルシャイドさんによると、ファルーク容疑者が職場に不満を抱いていたなど家族は知らなかったという。ただし、同僚にひげをからかわれたと家族に話したことがあるという。
弁護士によると家族はファルーク容疑者が短銃2丁とライフル銃2丁を所持し、鍵をかけて保管していたことは承知していたが、夫妻が大量の武器や銃弾を集めていたことは知らなかったという。
米NBCテレビは米情報筋の話として、ファルーク容疑者がロサンゼルス周辺で過激思想を表明したことのある複数人物や、米当局に「関心」をもたれている海外の複数人物と接触していたと伝えた。
米紙ロサンゼルス・タイムズは治安関係者の話として、ファルーク容疑者が2013年のハッジ巡礼の時期にサウジアラビアを訪問し、2014年7年にも再びサウジを訪れたと伝えている。両親はパキスタン出身だが、パキスタンへ旅行した記録はないという。
容疑者のサウジアラビア訪問は短期間で、聖戦主義勢力の訓練キャンプがある場所は訪れていないため、治安当局は特に注目しなかったという。
しかしロサンゼルス・タイムズ紙によると、銃撃現場で発見された遠隔操作装置に付属していたパイプ爆弾が、イエメンのアルカイダが発行するオンライン誌「インスパイア」に掲載されていた設計図にもとづいて作られたものだった。
ファルーク容疑者はリバーサイド郡イスラムセンターで毎日祈っていたが、3週間前にいきなりこれを止めたという。センターのムスタファ・クコ所長は、過激思想の兆候を見せたことなどないと話している。
「とても真面目で熱心な人で、まともな人間、冷静な人間に見えた。誰かと口論になることも、もめ事に巻き込まれることもない。静かな穏やかな語り口で、人付き合いがいいというよりは内省的な人だった」とクコ氏はBBCに話した。
自分たちのイスラム・センターは、過激主義からはほど遠い「穏健的でバランスのとれた生活」を教えているとクコ氏は強調する。
ファルーク容疑者は家族の中に、精神的に不安定な人たちがいた可能性もある。ガーディアン紙によると、容疑者の母ラフィアさんは2006年と2008年に裁判所に夫に対する保護命令を申請。容疑者の父は、精神病治療中のアルコール依存症で「毎日のように自殺すると周りを脅している」と申し立てていた。