東京・五反田にある「ゲンロンカフェ」にて取材は行われた。
撮影:稲垣純也
哲学者の東浩紀氏の新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』が、世代を超えて話題を呼んでいる。
学会や文壇の常識には囚われない「知のプラットフォーム」を志し「ゲンロン」を東さんが創業したのが2010年のこと。これまでの葛藤を赤裸々につづった奮闘記は、起業家やビジネスパーソンのみならず、コロナ禍で不安を抱えながらも自分の道を切り拓こうともがく若者にも支持されている。
『ゲンロン戦記』には東さんとゲンロンが、混乱の中を戦い続けた「2010年代」が描かれている。SNSが影響力をもち、個人が自由に情報を発信できるようになったことは「アラブの春」に象徴されるような“革命”にも影響を与えた。その一方、分断やメディアビジネスにまつわる歪な構造をも生んだ負の側面もある。
「インターネットの力を信じられなくなった」と失望を語りつつ、それでもネットや出版を通じて自らが信じる哲学を試行錯誤してきた東さん。2010年代という一時代との闘いで至った境地を聞いた —— 。
SNSは「世の中と違うリズム」を許さない
—— 新刊『ゲンロン戦記』では、東さんが2010年代にインターネットという“夢”に失望していったという話が印象的でした。一方ネットを通じて、個人がエンパワーメントされる仕組みは整ってきたようにも思います。今の時代のインターネットの問題点は何だと考えますか。
今の時代は、SNSでバズるとすぐにテレビで取り上げられ、大きな市場に取り込まれてしまうサイクルがあります。「オルタナティブ(社会の主流の価値観とは違うこと)がオルタナティブであり続ける時間」が極端に短くなっている。そのことが問題だと思います。
僕が学生だった1980年代には、クラスで自分1人だけが好きなマイナーな映画監督がいたとして、同じ監督を好きな人に出会うには10年かかったりしていたんです。
でも、今は検索すればすぐに同好の士に出会えてしまう。それゆえに「これ、なんだろう?」と自分ひとりで考える時間がないのです。
「オルタナティブ」とは、世の中と違うリズムで動くことです。違うリズムで違うことをやっている人が多い社会ほど、豊かな社会だと思います。
『ゲンロン戦記』より:ゲンロンができるまえは、逆にネットについては肯定的な可能性ばかりが語られていたのです。(中略)ゲンロンは、ネットの力を信じることで始められたプロジェクトです。けれども、起業したあとは、ネットの力はどんどん信じられなくなっていった。その狭間で苦闘してきた10年でした。
ハッシュタグの動員が人を摩耗させる
「ゲンロンの最大の特徴は時間をかけていること」(東さん)
—— インターネットとSNSによって、世の中と違うリズムで生きていける人は減ってしまったということでしょうか?
今はどんどん時間を小さく、細切れにしていくことが効率的だと思われている時代です。そうしてみんながPV数といいね!の数を競争している。これはYouTubeなど、無料の広告モデルビジネスの限界でもあると思います。
「100万人に見られないとペイできない」ビジネスモデルならば、みんなが100万人を目指すので、多様性がなくなるのは当然です。そうしてチャンネル登録者数や再生回数の競争に巻き込まれ、一見、過激だけど似たような内容ばかりになっていく。
「好きなことで、生きていく」と言っても、YouTuberの多くは実際は好きなことをやっていないのではないでしょうか。
—— 確かにSNSでは、一瞬の最大風速で話題になっても、翌週にはすぐに忘れ去られてしまう……ということが繰り返されているように感じます。
Twitterも同じですね。今だって「#○○辞める」だとか「#○○行かない」だとか、毎日のように違うハッシュタグが流れてきている。とにかくいつも誰かが何か言っているけれど、誰も何も考えていない。何か考えた気になっているし、動かした気になっているだけ。ハッシュタグ文化は、言葉も人も摩耗させていると思います。
何も動かさないでいいから、少しは考えたらいいんじゃないですか、と。
『ゲンロン戦記』より:とりわけ問題なのは、SNSが普及するとともに(中略)いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って「炎上させる」ほうが賢く有効だという風潮になっていったことです。
—— もはや「どう考えればいいか」が分からない人も多そうです。
考えることとは、時間をかけることです。だからゲンロンでは本もゆっくり作っているし、登壇イベントもすごく長い。最大の特徴は「時間をかけていること」です。そういう意味で、ゲンロンは世の中とは違う時間の動きをしていると思います。
僕たちは“競馬の馬”ではない
ゲンロンカフェでは、知識人らが登壇し、数時間に及ぶ哲学の激論を繰り広げる。
—— 『ゲンロン戦記』で東さんは「しっかりした主張の上で地道に読者や支持者を増やしていくよりも、炎上させる方が賢く有効だという風潮になっていった」ことが、文化を貧しくしていると指摘されています。インターネットが多様性を失いつつある、根本の原因はどこにあるのでしょうか。
インターネットの歴史自体が、どこかで間違ってしまったのだと思います。
僕が2000年代前半に国際大学GLOCOM(グローバルコミュニケーションセンター)で働いていた時は、ITベンチャーを目指す人たちの考え方も少し違っていました。もっと反メインストリームの価値観があったと思います。しかし2010年代には「カネ余り」の時代となり、簡単にお金が引っ張れるようになった。
ベンチャー起業家も、急いで企業売却(バイアウト)だ、ユニコーンだという話ばかりするようになった。不健康な時代です。
—— 若者世代の不安もあるのではないでしょうか。先行きが見えないからこそ「老後2000万円とか無理だし、今ワンチャン一発当てとけ」と。
若い人たちに言いたいのは、皆さん一体何が目的なんだ、ということですね。
金融市場からすれば、僕たちは競馬の馬なんですよ。
確かに1番になれば莫大なお金が入ってきます。でも残りの99人は負けて終わりです。
投資している側からすれば、ポートフォリオを組んでいるだけだから、100個に投資して1個当たればいいのです。だから、何かのきっかけで『鬼滅の刃』みたいにポンと大当たりが出るかもしれない。その可能性に「ワンチャン」賭けて、同じようなコンテンツが無数につくられていてもかまわない。
しかし、投資されている側であるクリエイターは100人中99人が死ぬ。自分の人生には、ポートフォリオは組めないのです。
本当は全ての人がお金儲けをしたいわけではないはず。その目的をはっきり自覚すれば、好きなことで生きていく方法はいくらでもある。でもそれを真剣に考えないから、みんな本当は馬なのに、投資家の発想になって「ワンチャン一発!」という考えになってしまうのです。
『ゲンロン戦記』より:お金の蓄積が自己目的化し、数に人間が振り回されるようになったときに、社会と文化は壊れていくのです。この点では、いまネットで起きていることは、19世紀にマルクスが指摘した問題の延長線上にあります。
PVといいね数を追わない空間をどう作るか
「投資されているクリエイター側は、自分の人生のポートフォリオは組めない」(東さん)
—— PV数やいいね数に日々振り回されている私たちにとっては身につまされる話です。しかしSNSがインフラになってしまった以上、諦めるしかないのでしょうか。
フェイクニュースやポストトゥルースの問題が大きくなり「SNSは馬鹿がやるもの」という認識もだんだんと高まってきています。ハッシュタグによる「運動」もどの程度影響力が続くのかはわかりません。
あと10年ぐらいしたら、どんなにハッシュタグが盛り上がっても、TwitterやFacebookで「1万いいね!」を獲得しても、現実世界ではなにもピクリとも動かなくなるかもしれない。
そうすれば広告もつかなくなり、SNSが衰退していく可能性もあります。
ただ今の時点では、SNSに張り付いて毎日ハッシュタグを追うことで精一杯という人がたくさんいるので、そうではない空間をどう作っていくか。
「SNSから離れて、自分だけの時間を持ちましょう」なんて誰でも言うけれど、具体的にどういうことなのか。僕がゲンロンやシラス(※)で実現したいのはそういうことです。
※シラス:10月からゲンロンが運営を開始した動画配信プラットフォーム。「ゲンロンカフェ」で行われるイベントを生配信する他、知識人やアーティストら、さまざまな人たちがチャンネルを持ち、トーク番組を配信する。無料の広告モデルに頼らず、配信時間によって課金される仕組みが特徴。
YouTubeでもニコ生でもない動画プラットフォーム
画像:シラス 公式サイトより
—— 10月に開始した動画配信プラットフォーム「シラス」についても教えてください。ゲンロンカフェとの関係はどうなるのでしょうか。
シラスを百貨店とするなら、ゲンロンカフェの中継はその中心テナントのようなイメージです。これからどんどんチャンネル開設者も増やしていくつもりです。ゲンロンに1回も登場したことがない人からも、すでに連絡が来始めています。
—— 今後、シラスにはどんな配信者たちが登場するのでしょうか。
まだシステムもバックオフィスも完璧ではないので、最初は付き合いのある方々から始めます。けれども、長期的に大事なのは多様性ですね。新しい登壇者、テーマ、お客さんが入って来なければ、先細りになってしまいますから。
とくに女性に参加してほしいなと考えています。女性は人前で話すことが苦手だとか、平気でいう人が未だにいますが、むしろメディアを見ていて思うのは、日本では女性はまだまだ仲介者や聞き手の役割を担わされていることが多い。それは日本のジェンダーバランスが悪い要因の一つだと思うんです。
そうではなく、女性が主体的に話して男性が聞くチャンネルが現れるといいと思っています。そういうチャレンジを支援していきたいですね。
『ゲンロン戦記』より:もしもそのようなプラットフォームを開発するならば、ゲンロン以外の配信者にも公開し、いろいろなひとが自分なりのゲンロンカフェをつくれるような、いわば「メタゲンロンカフェ」になるとおもしろいのではと、夢が膨らんでいきました。
—— クォータ制(女性の割合をあらかじめ一定数定めて積極的に起用すること)を採られるということでしょうか。
シラスではそれは考えていません。クォータ制は政治的なアピールにはなります。だから議員の男女比の調整や公的機関の定員に使うのはいいと思います。
けれど、民間で数だけ合わせようとすると、どうしても“目立つ”存在に声をかけることになってしまうんですよね。女性議員で、“女子アナ”出身やアイドル出身の人たちが当選しやすいのも同じですね。
しかし、女性の政治家やリーダーが少ないことには、もっと本質的な問題があると思います。ニコ生もホモソーシャルな文化でしたし(迷惑系YouTuberと呼ばれる)へずまりゅう氏も男性でしたが、ネットにも男性の声が大きくなりがちな文化・構造があります。それを変えるのは大変なので、ゆっくり取り組めればと思っています。
「シラスらしい」アーキテクチャで文化をつくる
—— シラスは配信プラットフォームですが、設計(アーキテクチャ)においてどのような工夫をされたのでしょうか。以前、ニコニコ動画の「弾幕(コメントで画面が覆い尽くされること)」文化が、配信者と観客の独特の相互作用を生んでいるとして、高く評価されていましたが……。
「弾幕」の一例。ニコニコ動画ではユーザーによるコメントが動画を覆い尽くし、動画の内容そのものより目立ってしまうこともある。
画像:ニコニコ動画「Caramelldansen」より
ニコニコのように画面上に文字が流れる仕様にはしていませんが、ニコ生での配信経験は生かされています。たとえば、シラスのコメント欄は、YouTubeのコメント欄と違って新しいコメントが1番上に表示されます。
これは僕の強い希望で入れたものなのですが、新しいコメントが上の方が、配信する側はじつは格段に反応しやすいんです。こういうところは配信者目線で作っていますね。
—— コミュニケーションの相互作用が起こりやすくなることを意識している、と。
そうです。あと、1周回って「コテハン制(固定ハンドルネーム制)」が今は新鮮ですね。配信者も視聴者を認知しやすいですし、視聴者同士も「久しぶり〜」みたいな暖かい雰囲気になる。
—— これから実装される予定の「シラスらしい」機能はありますか。
年明けにでも「動画に対するレビュー」をつけられるようにしたいと思っています。Amazonのレビューのようなイメージです。
タイムシフトの保存期間は今は半年ですが、機能としては無期限にすることも可能です。そうすると、例えば1年前の動画があとで評価されたり、半年に1回の登壇が連続性を持って見られるようにもできると思います。そもそもトークショーに対するレビューの文化ってないですから、定着したらおもしろいと思っています。
ゲンロンは「哲学の産院」であり続ける
『ゲンロン戦記』より:(当初は)ケーブルひとつひとつにシールを貼って、配線図をぼく自身がパワポでつくったりしていました。(P.103)
—— 『ゲンロン戦記』では、会社の資金を使い込まれたり、社員が大量に辞めたりといった困難も赤裸々に描かれています。時に絶望しながらも、苦しみを乗り越えてきた東さんが「ぼくの批評と哲学は、ゲンロンの実践抜きには存在しない」とまで書かれていることが印象的でした。10年間で築き上げた東さんの哲学の実践であるとも言える「ゲンロン」を次世代にどう繋いでいきますか。今後の構想などはあればお聞きしたいです。
僕はもう若者と直接関わる年齢ではないんですよね。昔だったら孫がいる歳なので、なかなか対等には話せません。ハラスメントに厳しい世の中ということ以前に、年が30歳も離れると、一緒に飲んで腹を割って話すという関係ではなくなってくる。
むしろ、これからは、僕が病気になったり死んだりしても会社を残していく方法を考えなければならないと思っています。批評や思想の世界では「孤独が格好いい」という風潮があるのですが、結局それは何も残さなかった。僕は、先行世代が口だけで格好ばかりつけていたことに対してすごく怒りを覚えているんです。
連帯して新しい組織や運動を立ち上げるぞ!と言っていた人たちはいっぱいいたけれど、すぐに消えてしまった。この人たち何なんだろう?とずっと思っていたんです。
その点、自分はとにかく口先だけではなくちゃんと組織を作って10年維持することができた。これは「ファクト」ですので、とりあえずこの段階で上の世代を超えられたのかなと思っています。ゲンロンが本当に世の中を動かしたり、新しい文化の源になる運動になれるかどうかは、これからのチャレンジですね。
『ゲンロン戦記』より:ソクラテスは哲学者は産婆なのだといいました。みなさんのなかにすでにある哲学が生まれ落ちる手伝いをする。それが本来の哲学者の役割です。ゲンロンは、そのような意味で、つねに哲学の産院であり続けたいと考えています。
—— 『ゲンロン戦記』の帯にも「これはぼくの考えた抵抗戦略である」という言葉がありましたが、ゲンロンが東さんなりの闘い方ということでしょうか。
闘うというか、もはや意地というか。あとは続く人たちが出てくるといいですね。
—— 最後に、ゲンロンカフェのこれからについて。コロナ禍で観客が入らなくなったことで、考え方に変化はありましたか。
5月のインタビューでも語りましたが、オンラインだけでは人間の本質的なコミュニケーションは成り立たない。これはいまもそう確信しています。
ビジネスでも、Zoomでの商談が完結するのは、両者が求めるものが完全に同じで答えが決まっているときだけなんですよね。
新しい答えをみんなで探さなければならないような時は「一応これで方針は出たんだけれど、別の角度から見るとこうなんですよね」と言い出せる時間的余裕がないといけない。Zoomにはその時間がないでしょう。
ゲンロンカフェも「お客さんとの予期せぬコミュニケーション」がないと回っていきません。
2020年中に、なんとかお客さんを入れてのイベント再開ができないか考えていましたが、第3波によって難しくなりました。今後の展開も全く予測できない。結局、コロナとうまく付き合いながら、「密」を取り戻していくしか道はないのではないでしょうか。
(聞き手:西山里緒・吉川慧、構成:西山里緒、撮影:稲垣純也)
東浩紀(あずま・ひろき):1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。株式会社ゲンロン創業者。同社発行『ゲンロン』編集長。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志 2.0』(2011年)、『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015「大賞」)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『哲学の誤配』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。