ウクライナ「停戦」と「和平」は何が違うか キッシンジャーの「均衡」概念が指し示すトランプの課題(上)

執筆者:篠田英朗 2025年1月31日
エリア: ヨーロッパ
「和平合意」の達成は難度が高すぎて、さらに多くの時間あるいは犠牲が必要になってしまう場合、とりあえずは「停戦合意」の締結が目標とされる[ドネツク州で戦死したポーランド人義勇兵の棺に国旗を掲げるウクライナ軍兵士=2025年1月30日、ウクライナ・キエフ](C)AFP=時事
トランプ大統領就任で現実味を帯び始めた「ロシア・ウクライナ戦争の終結」は、2014年から続く領土問題を完全に解決するものにはならないだろう。トランプの姿勢は実態としての「戦闘状態の終結」、つまり「停戦」の合意を目指すのであって「和平」は先送りが前提になる。この合意を成立させる上で決定的に重要なのが、2022年5月のダボス会議でキッシンジャーが語ったウクライナ論の根幹をなし、かつ多くに誤解された「均衡」という安全保障の概念だ。

 ドナルド・トランプ米国大統領は、就任後、ロシア・ウクライナ戦争の停戦に意欲を燃やしている。大統領就任式の前日1月19日に、ガザをめぐり、イスラエルとハマスの間で成立した停戦合意が発効した。トランプ大統領は、「アメリカ・ファースト」の観点から、アメリカの国力を疲弊させているとみなす戦争の終結に、強い関心を持っている。

 日本は蚊帳の外だ。しかしロシア・ウクライナ戦争の終結は日本国内でも、海外情勢の中では比較的注目度の高いトピックだろう。もともとロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、日本政府の関与の度合いが高く、また親ウクライナ派と親ロシア派の人々の間の感情的なやり取りも多々見られた。そこに特異な性格を持つトランプ大統領が、本格参入してきた。話題性はある。

 ただ、注目度の割には、理解や議論が深まっていない印象はぬぐえない。3年にわたって大きな話題であり続けたロシア・ウクライナ戦争をめぐる感情的なやり取りが、日本国内でも浸透し過ぎたためだろう。あらためて冷静に状況をとらえる姿勢が必要だ。

 そもそも「停戦」の概念に、大きな誤解、あるいは感情的な反発がある。まずは、停戦とは何か、という問いから始め、それからロシア・ウクライナ戦争の文脈を検討してみるべきだ。

 そこで本稿では、通常の紛争解決の実務の世界で用いられている「停戦」概念について、あらためて整理を行う。次にそれを、ロシア・ウクライナ戦争の文脈に適用する。その際、すでに筆者が同じ文脈で何度か論じてきたヘンリー・キッシンジャーのウクライナへの見方を参照する。そこでカギとなるのは、「均衡」の概念である。つまりロシア・ウクライナ戦争にあたっても、「停戦」の基盤となるのは、「均衡」原則であることを、あらためて指摘する。

国際法上の「停戦」の意味

 通常、「停戦(ceasefire)」という概念は、戦闘状態の停止、という意味で用いる。「停戦合意」と言えば、戦闘状態を停止することに合意した、という意味である。内戦の停戦などの場合に、伝統的な「停戦」という表現を避けて、「敵対行為停止(cessation of hostilities)」合意という概念が用いられる場合もあるが、これは実質的には「停戦」と同じ意味であると解釈される。日本語の「休戦」あるいは英語の「truce」「armistice」も、戦闘状態の期限付き(一時的)停止、という点で、「停戦(ceasefire)」と実質的な差異はないものとみなしてよい。

 したがって「停戦」概念の意味は、「停戦合意」の対になる概念である「和平合意(peace agreement)」との関係で、決まってくる。後者において「和平(peace)」は、より永続的な戦争状態の消滅を意味する。「停戦」が戦闘状態の一時停止であるとすれば、「和平」は戦争とは真逆の状態に至ることを意味する。

 かつて第一次世界大戦前に欧州で発展していた古典的な国際法においては、「平時(peace)」国際法と「戦時(war)」国際法は、二つの独立した法体系であるとみなされていた。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。現在も調査等の目的で世界各地を飛び回る。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より2024年まで外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)、『パートナーシップ国際平和活動』(勁草書房)など、日本語・英語で多数。
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