【セミナーリポート】
コロナ禍におけるEBPMを振り返る(1)
次のパンデミックに向けた科学的助言と専門家のあり方


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 新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)において、エビデンスに基づく意思決定はどこまではできて、どこからはできなかったのだろうか?
 「リアルタイムに科学的知見を生み出し、それを政策決定に活用していく上での課題について、実際の科学的助言に関与し、政策決定に携わった専門家を交えて検討したい」という目的のもと、2024年3月5日に「科学技術イノベーション政策のための科学 研究開発プログラム」オープンセミナー「感染症対策と経済活動に関する統合的分析」が開催された。
 仲田泰祐氏(東京大学大学院 経済学研究科 准教授)による研究報告と、仲田氏ら4名の登壇者によるパネルディスカッションが行われた。コロナ禍における科学的知見をベースとした政策形成(EBPM:Evidence-Based Policy Making)について振り返るとともに、次にパンデミックが起こった場合のEBPMのあり方について議論を深めた。

仲田准教授による数理モデル研究紹介

 仲田准教授は金融政策を専門とする経済学者だ。2020年3月までアメリカの連邦準備銀行(FRB)で勤務し、同年4月から現職。新型コロナの世界的な流行が進む中、経済活動と感染拡大を統合的に考える数理モデル分析を始めることになった。研究内容は、感染者数のシミュレーション、病床数の見通し分析、東京オリンピック・パラリンピック開催による感染拡大シミュレーション、婚姻数・出生数の分析など多岐にわたる。また、マスメディアや自身のウェブサイトを通して、社会への発信も積極的に行ってきた。
 2021〜2022年には、政策現場(厚生労働省のアドバイザリーボードや東京都のモニタリング会議、基本的対処方針分科会など)から数理モデル分析の依頼を受け、感染シミュレーションや病床数に関するシミュレーションを研究の主軸とした。2022年後半からは、コロナ禍における社会経済分析(自殺者数の増加、感染や濃厚接触者隔離による労働時間と収入への影響など)や、市民の感染リスク認識の情報介入実験を行った。

仲田 泰祐 東京大学大学院 経済学研究科 准教授

感染症対策と社会経済の両立に関する分析

 パンデミック時に、行動制限政策を強く打つと感染拡大を抑制できるが、経済には大きなダメージを与える可能性がある、というトレードオフがある。仲田氏が注目するのは、ある政策が行われた際に、どのようなアウトカム(成果や効果)が現れるのか、アウトカム間にトレードオフが存在する中で、どれを優先すべきかだ。アウトカムの優先順位や相対的な重要性には、人々の価値観が大きく関わる。アウトカムが現れる時間スパン(短期的か、中・長期的か)や、世代による違い(若者と高齢者を同等に扱えない)なども考えなければならず、分析には困難を伴うが、それらの分析はより適切な政策を導く判断材料となる。

政策とアウトカムの関係を示した概念図。政策がアウトカムに与える影響(この図ではそれぞれの矢印の大きさ)を考える

 「最初は、この政策を実行するとどのようなアウトカムが生じるか、価値観や優先順位が最適な政策にどのような影響を与えるかといった戦略分析にモチベーションをもって取り組みました。具体的には、感染症とマクロ経済を統合した数理モデルを使って、最適な政策を数学的に解く分析です。これは我々が初めてやったことではなく、2020年に海外の経済学者がすぐにそういった研究をたくさん出してきました。我々の貢献は、それらのモデルをある程度単純化し、日本のデータと整合的な形にして、政策分析に使いやすくしたことです」(仲田氏)

統計的生命価値

 従来から統計的生命価値というコンセプトがある。1人の命を救うために社会としてどれくらいの経済的犠牲を払ってもよいか、という指標だ。政策を考える際にどれくらいの統計的生命価値が妥当かは難しい問いだが、この指標を用いることで、データに基づいてアウトカム同士を比較できる。「そういったコンセプトを用いると、感染症対策のほうが金融政策よりもアウトカム間の比較はしやすい」と仲田氏は話す。

統計的生命価値。「コロナ死者数を1人減少させるために、国や都道府県はいくらまで経済的ダメージを許容できるか」という試算をすると、日本は約20億円、米国の約1億円、英国の約0.5億円となる。国内では東京都・大阪府では約5億円だが、鳥取県・島根県では500億円以上となる。この金額が高いほど感染抑制の相対的優先度が高いと言える。

 「感染症とマクロ経済を統合したモデルを用いることで、都道府県ごと・国ごとに観察されたアウトカム(各国がどの程度の経済損失を受け入れたか、どのくらいの死者数を受け入れたかなどのデータ)から逆算して、アウトカムと整合的な統計的生命価値を導くような分析をしています。これは私がもともとやっていた金融政策の数理モデル分析と非常に整合性が高い研究です。現在もこういったフレームワークを使って、社会にとって最適な病床確保数について分析しています」(仲田氏)

モデル分析の受け止められ方、学術研究と政策分析の違い

 続いて仲田氏は、新型コロナ政策のEBPMについて、モデル分析の受け止められ方の日米の違いと、学術研究と政策分析の違いについて話した。
 日本の厚労省アドバイザリーボードでは、モデル分析結果を提示した際、「非常に根拠があり、蓋然性が高い」と受け止められる傾向がみられた。それに対してアメリカのFRBでは、無批判に数理モデルの内容を受け止める人はほとんどいない。政策側にも大勢の研究者がいるという違いはあるが、「このモデルにはこの現実的な要素が欠けているので、解釈は慎重にしたほうがいい」と、健全な猜疑心を持って分析結果が受け止められる。モデルは正解を提示するものとしてではなく、あくまでも議論のたたき台やコミュニケーションのツールとして使われる。
 「コロナ禍のような不確実性が高い状況であるからこそ、数理モデルの活用時には、1つのモデルに依存するのではなく複数のモデル分析結果を眺めるのがよい」と仲田氏は指摘した。

 EBPMというと学術研究と政策分析があたかも連続的であると考えてしまうが、ここには明らかな隔たりがある。大きな違いは、現実の政策分析が限られた時間で行われるという点だ。
 「政策分析は様々な意思決定を高頻度に行わなくてはいけないので、時間との闘いになります。普段の研究論文を書くペースで分析をしていたら、意思決定に間に合いません。学術研究と政策分析では根本的に違うものが求められるというのが、日本のパンデミック政策に関わる一部の研究者にとっては新しい経験だったのではないでしょうか」(仲田氏)

 最後に、パンデミック政策に関するEBPMの教訓として「パンデミック初期から様々なアプローチによる分析を参照する。短期間で行われるシミュレーション分析には間違いが起こり得ること、シミュレーション分析は科学的な真実ではなく、あくまでも議論のたたき台や、意思決定のための参考資料の一つであることと理解する。そして、政策決定の役に立つ分析ができる人材を育成することが非常に重要だ」と発表を結んだ。

パネルディスカッションに続く)


(取材・文 黒河昭雄、小熊みどり、編集・森田由子)

「科学技術イノベーション政策のための科学 研究開発プログラム」オープンセミナー
~感染症対策と経済活動に関する統合的分析~
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