生後8カ月のときに広島市で被爆し、米軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士と出会った体験などを通じて平和の大切さを訴え続ける近藤紘子(こうこ)さん(80)。今月、20年間暮らした三木市を離れ、故郷の広島市に帰る。戦後80年の今年は、被爆者支援に奔走した父と、ヒロシマの惨状を全米に伝えた米国人記者との友情を描く映画の撮影も始まる。近藤さんは「私が伝えられることはまだまだあるのよ」。帰郷後も講演活動は続けるつもりだ。(小西隆久)
■憎むべきは人じゃない、戦争なんだ
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分。エノラ・ゲイが原爆を投下した時、爆心地から1・1キロの牧師館に母といたが、一命を取り留めた。「赤ちゃんだったから当時の記憶はないの。私が語れることなんてないと思っていた」。父で牧師の谷本清さんはその後、被爆者救済に奔走し続けたが「私にはとてもできない」と思い続けていた。