ここ何年か、私は毎年同じ新年の誓いを立てています。それは一見、新年の誓いに対するアンチテーゼのような内容です。
しかし、この新年の誓いは、私を少しずつ着実に成功へと導いています。
それは「生産性を少し下げる」という誓いです。
ワークライフバランスの優先
私は自分のことを、のんきで成り行き任せな、いわゆる「Bタイプ」に属するタイプだと思いたいのですが、現実には逆で、間違いなく「Aタイプ」の人間です。
ToDoリスト1つとっても、証拠は歴然です。
私の1日は長いToDoリストづくりからはじまります。仕事用を1つ、プライベート用を1つです。
人が見たら、失敗間違いなしと思うでしょう。
確かに、その全部をクリアできることはめったにありません。ですが、年に数回、それが達成できたときの喜びは格別です。
私は間違いなく、いかにもアメリカ的な生産性への執着にとらわれた人間です(こうした執着は実際には、かえって生産性を下げるのですが)。
私たちは「すべてを手に入れる」ために「すべてをやる」ことを目指して、いろいろなことに手を出します。
ソーシャルメディアは、スキンケアから起床までのあらゆることを、複数のステップで構成されたルーチンに変える人たちであふれ返っています。
「今日も1日がんばろう!」「ハッスルしよう!」「最適化しよう!」という感じです。
こうしたマインドセットは、必ずしも幸福にはつながりません。
歳を重ねるにしたがって、私はますます幸福を追求するようになっているのですが、そうした追求の大きな部分を占めているのが「ワークライフバランスの優先」です。
具体的には、起きている時間のすべてを仕事や生産性に費やさない、意識的に境界線を引く部分を増やす、あえて非生産的なことに時間を割く、ということに気をつけています。
年末年始の慌ただしい時期にはありがちなことですが、ワークライフバランスが何かと話題になっています。
最新の調査によれば、1日の平均労働時間がいちばん長い国はアメリカで、8時間29分だそう。
これは、経済開発協力機構(OECD)の平均労働時間より18%以上も長く働いていることになります。
ちなみに、テック企業Greptileの創設者であるDaksh Gupta氏は先日、自社にワークライフバランスなど存在しないことを認めて、話題を集めました。
仕事時間が長くても質は上がらない
2019年のこと。
35歳を迎えた私は、仕事でもプライベートでも「生産性のための生産性」を追求することは、必ずしも自分の最優先事項ではないということを悟りました。
そのころ、ものすごく有害だった仕事を辞めた私は、自分と向き合って、その経験から自分が何を学んだのかについて考えてみました。
そして気づいたのは、誰よりも先に出社して、誰よりもあとに退社したからといって、必ずしも仕事の質は上がらなかったということです。
しかも、そんなことをしたからといって、上層部が私を気に入ってくれたわけでもありません。
そんな保証はどこにもないのです。
次に私が選んだ会社は、トップの方針としてワークライフバランスを優先するところでした。
従業員が取ってもいい有給休暇の日数に、制限はありませんでした。
勤務時間が終わったあとにやってきた仕事の連絡に、返事をしなければというプレッシャーを感じたこともありません。
コミュニケーションがしっかりとれていれば、柔軟なスケジュールで働くことも認められていました。
この新しい環境は、スピードを落とし、量より質で物事を評価することは、多くの場合、仕事の質を上げるということを思い出させてくれました。
このことは、本当は誰もがわかってはいるのですが、アメリカの企業文化という弱肉強食の世界に身を置いていると忘れてしまうのです。
少なくとも私の場合、こうしたワークスタイルで仕事が格段に楽しくなりました。
毎年、少しずつ生産性をさげていく試みに取りかかったのは、そのころです。