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いじめの古傷 20年たった今も...“怒り”の先に見つけた生きる道

中学時代のいじめから20年以上ー。怒りの炎は消えたように見えても、心の奥底ではマグマのように煮えたぎっている。今も時折あふれて出しては、日常生活に影響を与え続ける。苦しみの中で見え始めた「自分らしい生き方」とは。これまで何度も投稿を寄せてくれていた としさん(仮名)に話を聞いた。

(ディレクター 森田 智子)

20年たった今も悩まされる“怒り”の感情

「みんなでひきこもりラジオ」(ラジオ第1 毎月第1金曜放送)が2年前に始まって以来、たびたびメッセージを投稿しているとしさん。

今回投稿したのは、次のようなメッセージだった。

「私は14歳から26歳までの間、ひきこもりでした。中学校でクラス全員が敵になり、先生も加担するいじめの後に不登校になり、バスや電車も元同級生が乗っていて恐ろしくなり、故郷は私を閉じ込めるための場所になりました」(一部抜粋)
としさんが撮影・加工した母校の写真。“恐怖”のイメージが強い

自身の経験について発信したり、当事者会の運営をしたりしているとしさんとは、これまでも取材で顔を合わせる機会もあった。

しかし、いつ会っても、目を細めながら穏やかに語る温厚な印象とは裏腹に、20年以上前のいじめの古傷に悩まされ続けているということに驚いた。

改めて、じっくりと話をきかせてもらう機会をいただいた。

独学で資格を取得し、現在は介護施設で働くとしさん。中学時代のいじめをきっかけに不登校になり、その後は10年以上ひきこもる生活を送っていた。

独学で学んだテキスト

そのため、学歴は「中卒」。履歴書に空白があるとしさんを採用してくれる職場は、どこも人手不足で、労働環境も人間関係も決して良いとは言えないところばかりだったという。

日々の業務の中で、理不尽だと感じることがあると、過去のいじめ体験を思い出し、怒りの感情に支配されてしまう。

普段は仲の良い同僚さえも、悪意を持った“敵”に見え、感情にまかせて言い返し、職場にはいきなり退職届を突きつけてしまう。

としさん

「中学時代の自分に引き戻されてしまって、人格が乗っ取られるような感覚があります。怒りが去るまでの間は本当に苦しくて、なるべく行動しないようにするしか、対処法がわからないんです」

突然はじまったいじめ 故郷は“恐怖の町”に変わった

いじめは中学1年のころ、突然始まったという。
はじめは、小学校の時に一度トラブルになった相手だった。
ささいなことを問い詰められたり、机をぶつけられたりからはじまり、徐々に暴力へとエスカレートしていった。

ある帰り道、同級生に待ち伏せをされ、テニスのラケットを使って何十発も殴られたという。かつて仲良くしていた友人もいじめに荷担するようになっていった。

嘘の噂話も広められた。

「きみ、ナイフを振り回したことあるんだってね」

担任の先生にも聞かれ否定したが、信じてくれなかった。
味方は一人もいなかったという。

突然、周囲が敵になった恐怖の日々。
なぜ、自分が標的にされるのか。
一体自分の何が悪いのか、見当がつかなかった。

としさん

「明るくて目立っていたのか?塾に行っていなくても点数が取れて、学校で成績がよかったのがいけなかったのか?思い当たるのはそれくらいしかないんです...なんでなんだろう、なんでなんだろう。自問自答しても答えはありませんでした」

中学2年の2学期が始まってまもなく、限界を迎える。

「熱があるから休む」と言って休んだが最後、学校には行けなくなっていった。

奪われた学びの機会 空白の10年 

としさんには“奪われた夢”があるという。
それは何だったのかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。

としさん

「普通に大学行って、就職して正社員になって、普通に免許をもって、そうですね、親を車にのせてどこかに連れて行ってあげられる。それでみんなよりちょっと勉強ができる。そんな感じです」

成績が良かったとしさんは、家族から将来を期待されていた。しかし学校に行かなくなったことで、家庭内でも居場所を失っていく。

「どうして学校にいかないの…」

このときとしさんは、母親が泣く姿を初めて目にした。

家族に対して申し訳なさが募っても、家の外は恐怖でしかなく、動き出すことはできなかった。狭い田舎町は、家から一歩出ればいつどこで同級生に会うかわからない。

どうしても外出する必要がある時には、母親が運転する車のダッシュボードの下に隠れて移動した。

同級生への恐怖心から、高校にも成人式にも行けなかった。

一方で、3歳年下の妹は順調に大学へと進学した。

「どうするつもりなんだ」

両親との関係は、年齢を重ねるほど悪くなっていった。

としさん

「この頃家族から、比較的広かった自分の部屋を、妹に明け渡すように言われたんです。家の中で一番狭い部屋で閉じこもることになったこの時期は本当にみじめでした…」

まもなく、唯一としさんの存在を受け入れてくれていた祖母が亡くなる。

としさんが安心できる場所は、ゲームの世界だけになった。不安ばかりが募る思考を止めてくれる何かが欲しくて、ひたすらゲームの世界に入って、レベルを上げる作業に没頭した。

その後、唯一の逃げ込む場所となったゲームが、故郷を離れる一歩を踏み出すきっかけをつくることになる。

ゲーム関連の情報を求めてネットを検索していたときに見つけたのが、ドラゴンクエストの作曲者、すぎやまこういちさんのコンサートの知らせだった。

「行ってみよう」

それを見た瞬間、なぜかそう思ったという。気づけば、23歳になっていた。

不登校になった中学2年以来、社会経験が止まっていたとしさんにとって、一人で電車を乗り継いでの外出は初めてだった。何度も迷いながら、片道3時間かけて会場についた時には、コンサートは始まっていた。

ホールに入ると、演奏されていたのは「勇者の故郷~馬車のマーチ~」という曲。
滅ぼされた故郷を離れ、仲間が少しずつ増えていくという設定の曲だった。

コンサートを終えたすぎやまさんに、いちファンとして握手をしてもらえた。

背中を押された気がして、その後としさんはたびたび一人でコンサートやイベントに出掛けられるようになっていった。

故郷の町を出れば、一人で生きられるのではないか-。

3年後、としさんは東京に出て一人暮らしを始める。

そして、ハローワークで職業訓練を受けた後、介護の仕事についた。

“ひきこもり”という言葉との出会い 新たな生き方の模索

ところが、仕事をはじめたとしさんを苦しめたのが、いじめの古傷だった。
職場で嫌味を言われたり、理不尽に叱責されることがあると、周囲が突然敵だらけになった過去と重なり、怒りと不信感があふれ抑えきれなかった。資格を取って環境を変えようとしても、その状況は変わらなかった。

心療内科を受診すると、「発達障害はない」とされたうえで「不安障害」と「不眠症」と診断されたが、納得感を得ることはできなかった。

自分の生きづらさはどこからくるのか。

書店へ通いその答えを探す中で見つけたのが、精神科医である斎藤環さんが書いたひきこもりに関する著書だった。

それまで、“ひきこもり”という言葉自体を知らなかったとしさんは、社会とうまくつながれない苦しみを抱く自分の状態が、初めて説明されたような気がした。

さらにその本には、背景との一つとして、「いじめの後遺症」という言葉が説明されていた。

「他人からの非常に強い攻撃性と暴力にさらされた人の一部は、その攻撃性を自分も引き継いでしまうのです。(中略)くわえて、強烈な人間不信があります。いじめ被害者の人間不信に匹敵するほど深いそれを、私はほかの精神疾患であまり見たことがありません」
(ちくま文庫「“ひきこもり”救出マニュアル理論編」斉藤環 著より)

「自分はいじめ後遺症に苦しむ、“ひきこもり”なんだ」

この言葉との出会いをきっかけに、としさんはひきこもりの当事者や経験者を対象にしたイベントや、当事者の集まりに足を運ぶようになった。

はじめのうちは、様子を見に行くだけだったが、あるとき「10年以上ひきこもっていた」と自分の経験を打ち明けたところ、参加者のひとりから「私もそうだったよ」という言葉が返ってきた。

すると、みな口々に「僕もそうだ」と話した。

その一言で、“つながり”が生まれた。

としさん

「すごい重荷が減ったというか。自分一人が不登校とかひきこもりの経験を全部背負って乗り越えなきゃいけないって心に決めていたのが、自分一人で背負わなくていいんだなと感じるようになったんです。ひきこもり、という言葉に出会えなかったら今頃生きていないだろうなって思います」

それから5年。当事者発信や居場所の運営などひきこもりに関する活動を多く行っているとしさんは今、自分の人生の軸が大きく変わろうとしていると感じている。

それまでは、ひきこもり期間=人生の空白と考え、それを埋めてエリートコースに戻ることが、いじめ加害者への一種の“復讐”だと思っていた。

しかし、今や自分の経験を元に、人前で講演をする機会も得るようになった。

中卒の自分が、大学生から「先生」と呼ばれる体験もした。

ひきこもり=空白ではなく、“経験”として活かすことができる。

人生は1本線じゃないと気づくことができるようになった。

としさんは今、通信制の大学に通い、福祉の資格の取得を目指している。

うちに秘めた怒りのエネルギーを、生きる力に変えるためだ。

としさん

「“いじめ”ともう一度向き合う必要があると思うんです。次の世代が自分と同じ思いをすることがないように、学校の苦しさやいじめがない世界を作るために、自分にできることをやりたいです。今はそれに向かって努力をすることが、生きる目的になっています」

みなさんの声が「#となりのこもりびと」を作ります!

「留守電」はこちらから フリーダイヤル0120-545-501

みんなのコメント(70件)

感想
シングルマザー
50代 女性
2024年6月2日
本当にそう。学校関係に解決する事望んでも駄目でした。専門の先生に話してアドバイスしてもらってもいいと思います。後は子供の気持ちに寄り沿い焦らないで少しゆっくり流れていくくらいの気持ちで私はいます。中々しんどいけどね。6年位経つかなやっと笑ってくれたり、たまに出掛けたり出来るようになったから長い目で見守って行くしかないかな、今は正直生きていてくれて有り難うと思います。
体験談
penguin
30代 女性
2024年5月26日
私は帰国子女で、大人になってから発達障害と診断された者です。言動が周りと違ったせいか、帰国後すぐに虐めのターゲットにされ、私が唯一の友達であり親友の悪口を言っていたと嘘を本人に言われ絶縁状態になり、クラスの子からはプリントを回してもらえなかったり受け取ってもらえず呼んでも無視され続けたり、違うクラスの男子が私の教室まで来て当時私が呼ばれていた侮辱的なあだ名と共にキモいと叫ばれたりするなどは日常茶飯事で、学年の全員から奇異の目で見られキモいと言われ続けられ、当時あった裏サイトにも当然私の悪い噂や悪口が書かれていました。
恐怖心から目立つことを避け、英語も下手なフリをしていました。発達障害故に授業やHRが理解できないなどの困り事もあり、学校に全く馴染めず不登校、引きこもりになりました。当時の虐め加害者が家庭を持って子育てをしたり社会人をやっていると思うと、社会不信になってしまいます。
体験談
コメツブツメクサ
40代
2024年5月14日
問題のある担任のもと、小学生の子どもが仲のいい友達からいやがらせを受け続け、守られず、学校に行けなくなりました。組織としての学校、教育委員会が頼りにならないものだとわかりました。重大事態でも県の教育委員会に届くのは数字(件数)のみで事情は一切届かないこと、現場(学校)に人事権はないことから問題の教諭は守られること。学年が変わったら対策委員会は解散していたこと。
新しい担任・管理職には詳しく引き継ぎされず、保護者から伝えなければいけないこと。前を向きたい、これからのことを考えたいが、くじけそうになります。
体験談
かげまる
女性
2024年3月29日
被害を訴えた時に「逃げられるはずだ」と言われてきましたが、逃げられるのはイジメだけであったり、大人が助けてくれて気付いてくれるからだと思います。体罰で親に言えなくされたので、まだ経験の浅い子どもに「逃げられる」というのは想像力が無いと感じてしまいます。なぜ違う環境で生きているのに、逃げられるかどうかを他人に決められなくてはいけないのか分かりませんでした。
同じ内容のイジメを受けたわけでもないのに、心が弱いとか言われるのも納得いかなかったです。全ての子どもに、周囲の大人が誠実な対応をするわけではありません。そもそも子どもは一人で生きていけない存在なのに、証拠を求められるのもハードルが高すぎます。
感想
シングルマザー
50代 女性
2024年2月17日
私も転校させてあげるか考えました。色々考えてしまい出来ませんでした。すごく勇気がいりますよね、素晴らしいと思います。いじめられると性格が少し変わってしまうと思います。無理に頑張らなくていいじゃないですか、今の自分らしく歩みませんか?自分を大事にしましょう。いじめる人たちカウンセリング受けて下さい。
感想
ジャンゴ
30代 男性
2024年2月10日
いじめには、決して時効など存在しない。
僕は強くそう思います。
誰かをいじめ、なおかつ反省しない者は、永遠に恨まれる事を覚悟すべきだと思います。
そして政府も、いじめに苦しみ続ける人を救うために、税金を使ってほしいと思います。
今の日本はまだまだその点では甘い。
たとえ何十年も前のいじめであっても、親身に聞いてほしい。それだけで、救われる人は大勢いるはずだから。
感想
KIPPU
40代 女性
2024年1月29日
小学校の頃に主にクラスの3人の女の子からいじめを受けました。放課後に校舎の裏に呼ばれ、男の子たちも混ざってぶたれたり蹴られたりしました。戸締りに来た女性の先生に助けを求めたかったけれど、知らん顔され、今大人になって思えば様子がおかしいのに気が付いたはずなのに助けてはもらえなかった。授業の合間にぶたれたり蹴られたりした時も次の授業がはじまっても涙が止まらず泣いていたけど、担任の女性の先生は声もかけてくれなかった。
それが私の日常だったから、学校ではいつもびくびくしていたし、それでもいじめられてることが恥ずかしいと思う気持ちがあって可哀そうだと思われたくないからいつも笑顔をつくっていたように思う。今私はもう40代半ばだけれど、いじめられた心の傷は残っているように思う。何より性格やその後の人生の選択に大きく影響していると感じます。
体験談
かめこ
40代 女性
2023年12月15日
娘が小学3年生の時に起こったことですが、上級生によるいじめ→学校全体からの拒絶→地域でのいたたまれなさ、となっていきました。被害者なのに、、、
人間ネットワークによる陣取り合戦みたいなところがあって、加害者の親御さんが学校関係者だったこともあり、小さな学校内では逃げ場がなくなりました。あの状態の中に居続けたら、大人だって心を病んでしまうと思いました。衰弱して、部屋から一歩も出ず、ボロボロの娘を見て、このままひきこもってしまうのかな、と思いました。
わたしは、転校させました。ちがう学校になったら、徐々に回復しました。
社会は大人の都合で絡み合って、その歪みを子どもに担わせてしまう。被害者の方たちが、こうして長く苦しんでいるのを見ると、いたたまれない気持ちになります。
子どもが、早めにちがう環境を選べる制度があったのなら、と思います。
悩み
rihaku
20代 男性
2023年11月20日
小学校高学年の頃に学級崩壊していじめ・嫌がらせのターゲットの一人になりました。家庭がごたごたしていたこともあって、つらいことを感じたくなかったのか意思と感情を無視して社会的ルールと誰かの言葉にひたすら従うロボットのような行動を取っていました。その名残で何かを決めるときに機械的または衝動的に決める傾向があり、失敗したり周りから浮くことが多いと思います。
体験談
シングルマザー
50代 女性
2023年11月15日
皆さんの気持ち分かります。私も子供の頃いじめにあいました。今息子がいじめにあい5年ひきこもり最初の頃毎日嘔吐してました。最近少し外出できる様になっています。初めてしんどかったって言ってくれて涙が出そうになりました、ここまでくるのは大変でした、まだこれからですが自分の人生を歩いて欲しいと思ってます。いじめる事しか出来ない可哀想な人に振り回されたくない。必ずその人に返ります。因果応報はありますから大丈夫。人の目なんて気にしないで言われた事なんて気にしないって感じで自分らしく歩みませんか。ゆっくりでいいと思います。