「“水くさい”と言われたら成功です」親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法
記事「“私は母のゴミ箱だった”ひきこもり母娘40年…たどりついた答え」や、あさイチ(「“毒親”と離れてわかったこと」(2023年9月28日放送)番組アンケートには、親との関係に苦しむ人たちからの声が多く寄せられました。その数は400件以上。見えてきたのは、親との適切な距離の取り方に悩み、自らの人生を取り戻そうともがく娘たちの姿でした。どうすればこうした苦しみから解放されることができるのでしょうか。
(ディレクター 森田 智子)
「“気づけない”娘たち」
意外にも多かったのは、「苦しさの原因が母親との関係にあると、気づいていなかった」という体験談でした。
私は今年の4月まで母親との関係は良好だと思っていました。でも私の生きづらさ、若い頃の摂食障害、色々な依存症はどうしてなんだろうと考えれば考えるほど両親、母親につながって…。よくよく考えてみると今まで本当の気持ちをぶつけたことはなかったのかもしれません。
大人になり、自分の生きづらさ、理由不明の罪悪感の根源をたどったとき、初めて“毒親”という概念を知り、母の様々な言動がピッタリ当てはまり、やっと「私が悪いわけではないんだ」と答えをえられました。
話を聞いたのは、親子関係に関わるカウンセリングを長年行っている、公認心理師の信田さよ子さんです。適切な関わり方に変えていくためには、まずは母から“されてきたこと”を自覚することが大切だと言います。
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公認心理師 信田さよ子さん
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苦しさを「自分のせいだ」と考えている方はとても多くいます。お母さんとの関係が密接だと、「母が悪いはずがない」みたいなメッセージを毎日受けとっていたりして、洗脳状態のようになっていてなかなか気づけないっていうのもあります。さらに、本当はどこか気がついていても、母に原因があると考えてしまったら、それまで信じてきたものが全部壊れるような恐怖心もあると思います。
たとえばですが、洋服が選べない。「私は本当はどんな趣味なのだろう」とか、「私に似合う服って何だろう」とか一切わからないって人は多いですね。母親の好み以外の服を着ていると、母親から存在をけなされたりするのです。「似合わないよ、その変な服」とかね。そうなるとやっぱり母親が選んだ服がいいのかなって思って、そのまま行く人もいると思います。
まずは気づくことが第一歩だと思います。それは本人にとっては世界がひっくり返るような気づきで、苦しさが伴います。しかし、それはとても大切な気づきです。そうすることで初めて、親とどう付き合っていくか、もしくは親と距離を置くとか、ある程度は自分で選べるわけですから。
一方で、母との関係に気づいたとしても、距離を置くことに対して、罪悪感を抱いてしまうという声も寄せられました。
家を出る=家族を捨てるという思いから罪悪感を抱き、家族と離れたいと思うだけでも大罪のように感じてしまいます。
父が亡くなって20年。一人暮らしで寂しい気持ちもわかりますが、近づきすぎると苦しいので、一定の距離は取っています。そうすると「優しくないのでは?」「自分が悪いのでは?」という気持ちがどうしても抜けないのです。
「自分の幸せを真ん中にすえる」
距離を置くことへの自責の念に苦しむ人たちに、あえてきちんと伝えたいことがあると言います。
それは「自分の幸せを真ん中にすえてほしい」ということです。
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公認心理師 信田さよ子さん
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苦しんでいる方の中には、自分の幸せよりも先にまず「母が幸せになんなきゃいけない」と、母親の幸せを優先する人が多いです。「母のために自分は生きている」みたいな意識ですよね。
親子関係に悩む子どもに「あなたの幸せを真ん中においてください」っていう話をするとびっくりしちゃう人が多いです。
「えっ?私の幸せですか?」って。「えっ?何だろう。私の幸せって。わかんない」っていうことにショックを受ける。そういう方たちは、母の幸せの中に自分の幸せも入っているんでしょうね。
それをきちんと分けて、自分を中心に置くっていうことをしないといけない。そうすることで、自由度も増すし、何よりも母を通して生きてきた自分から、自分を生きることに転換するわけですから、時には戸惑いもあるだろうし、大変なこともあるだろうけど、喜びもあります。だから、距離って本当に大事なんですよね。よく「自立しろ」とか言うけど、自立ってどういうことかって言ったらやっぱり距離をとって自分のことをやるってことだと思います。
「親孝行」という言葉の呪縛
こうした罪悪感を抱いてしまう背景には、「親孝行」という言葉に込められた、社会的な規範があると言います。
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公認心理師 信田さよ子さん
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本来、親孝行っていうのは内発的なものですよね。正常な親子関係であれば、言われなくても、親を大事にしたいと思うはずなんです。
でも日本でいう親孝行っていうのは規律として存在していて、「親の言うことを聞くこと」「思い通りになること」という意味で使われていると思います。さらには、子どもが良い学校に入学してステータスを得ることによって、親自身のステータスが上がることを指すことすらあります。
だから、大人になってから親と距離を取ろうとするという行為は、社会的な規範に反することでもあるし、裏切ることでもあると思わされているので、子どもにとってはただただ苦しい。「母からこんなによくしてもらったのに、恨んだりしてひどい娘だわ」と思ってまた自分を責めると、それこそ本当にうつになったり、「自分は人間じゃない」みたいに思ってしまうそうです。親孝行してない自分は人間としておかしいんじゃないかみたいなことが思わされている。
だから、距離をとるときには「こんなふうにしていいのか」、「やっぱり私の一方的なわがままじゃないのか」という自責感の苦しみは必ず発生します。でも、これをなくそうと思ってはいけない。適切な距離を作るための「必要経費」だと思うしかないと思います。
母親を“メタ認知”してもう一歩前へ
親との適切な距離を置けるようになった後に、さらに気持ちを自由にするために効果的なのが「母親研究」という手法だと言います。
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公認心理師 信田さよ子さん
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カウンセリングでは、「どうしてあの母親はああいう人になったのだろうか」ということを娘である自分が研究して、グループで発表して、みんなで共有するということをやっています。
その効果は、どう言ったらいいのかな。ここに変な昆虫がいますと。「うわー、怖い」ってなるでしょ。でもこの昆虫の生態を知り、どうやって卵からこうなったかっていうことを調べて、ある意味ではメタ認知(=自分の認知している内容を客観的に認知し直すこと)すると“怖い”にとどまらずに“理解”ができる。
つまり、親を俯瞰(ふかん)してみられるようになるってことですね。そうすると不思議なことに、何かあるごとに親の言葉でショックを受けたりする度合いが本当に減るのです。
たとえば、「母はおじいちゃんから虐待されているとかいろんなことがあって、結婚したらお父さんが女を作ったりして本当に苦労して、私しかいなかったんだな」ってことがわかるわけですよ。「ここでこうやっていたらもっと違ったのに」といったように、客観的な意見を持てるようになる。
母を歴史の文脈の1つで捉えることもできるし、ある種、“一家の中の母親という人間”をメタ的に見られるし、あとは自分と同じ女性としても見られるし、いろんな効果がありますよね。
この「母親研究」は、母親本人に聞く必要はありません。たとえば、役所に行って、戸籍謄本をとって、お母さんの実家に行って、まだ生きているおじさんに会って話を聞いたりする・・・ということもできますが、実はみなさん小さい頃からいっぱい聞かされていますね。愚痴としてね。
「昔はこうだったのにこうなって、お父さんと出会ってだまされて結婚して、それであなたができちゃったから結婚したのよ」みたいなことをずっと聞かされているんです。だから周辺調査するまでもなく、すらすらでてくる人の方が多い。それを思い出すことにはまた苦しい感情が伴うけれど、文字にすることで客観視することができるので、文章にすることをおすすめしています。
許せなくても“親切”はできる
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公認心理師 信田さよ子さん
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距離を置いてメタ認知が進めば、実際に会った時に親切にはできるようになります。道端を歩いていて、知らない人が転んだときに「手貸しましょうか」って言えるでしょ。あれと同じですよ。年老いた親が施設を探すときに一緒に探してあげるとか。母親と自分は別の人格だということを認めた上で、「他人行儀」で接することがポイントです。
もう一つが言葉づかいです。何か親がしてくれたら「ありがとう」と言う。「ちょっと私それできないんです」とかね。敬語を使うと、距離を保ちやすいです。そういう言い方をして親から「水臭い」と言われたら成功です。「水臭いって言われた。私、距離がとれているんだわ」って思った方がいいですね。
私はあえて「許す」「許さない」という言葉は使いません。なぜかと言うと、子どもは親を許したいに決まっているんですよ。許したほうが楽だからね。だけど、どうしても自分には納得いかないっていうのだったら、それはすごく大事なことだから、許す必要はないんです。
「許さなくても、親切はできる」ということを知ってもらいたいと思います。
苦しみの中にいるあなたへ
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公認心理師 信田さよ子さん
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本来であれば親が気づいて変わってくれるのが一番で、子どもが努力するのっておかしいなと思います。そんな中でも、なんとかしたいと思って子ども側が行動に移すのは、自責感が伴うし、本当につらいことです。
だからこそ、自分の気づきを、「そりゃ当然ですよ」とか、「君の言うとおりだね」っていうふうに、同じように味方になってくれる人がいることが大切だと思います。今はSNSなどのネットのつながりもありますし、当事者の会やグループカウンセリングといった方法もあります。支えになってくれる人や場所をうまく見つけてほしいと思います。
あなたの声をお待ちしています
みんなのコメント(145件)
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感想あんみつ2024年6月10日
- 親と距離を置きたいときは敬語を使う...良いですね!メンタル的につらいとき、やってみようとおもいます。
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体験談しあわせは歩いて来ない2024年6月1日
- 「呼び方を変えた事で関係を変えました」
毒親、毒姉の元、妹として育ちました。
幸いな事に、大学から寮生活で家族と距離を置く事が出来、また、大学の友人から様々な家族関係の話を生で聞いたり、家族の食事に招待され他の家族関係を目の当たりに出来たお陰で、自分の家族環境が悪かった事を実感出来ました。
物理的距離を取る事、電話や連絡をなるべくしない事、は洗脳から脱する為にとてもお薦めです。
自分の親が毒親だと気づいてからは、他人だと思い、まさに他人に親切にするように接して来ました。それで関係は変わっていきました。
頑固だったのは毒姉です。
毒姉との関係は「お姉ちゃん」ではなく「名前+さん」呼びに変えた事で変わりました。
嫌がられ、殴られましたが。
それまで「私の妹」という認識だったのがようやく「自分と違う一人の意思を持った人間」と気づいてくれました。
ご参考まで。
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体験談幸せになります2024年5月16日
- 小さい頃に自分の名前の由来を聞いたら、「言うこと良く聞く子になるように」という願いを込めて名付けたと聞かされました。
20年前に父親が脳出血で倒れ意識のない寝たきり状態となった為、新卒入社したばかりの私は毎月給与の半分と賞与全額を渡す生活を5年続けました。
兄は面倒見れないと逃げました。闘病の末に父が亡くなった後、すぐに仕送りを無くすのも母が辛いと思い、1年ほど月5万円を渡していました。
今思えば、脳出血で倒れたすぐはお金がかかりますが高額医療保障もあるし、寝たきり生活も月5万程度で済んでいたと思います。
母はその生活の中で、少し頭がおかしくなったふりをしたり、急に泣いたり、お金がないと騒いだりしてました。でも、よくパチンコに行ってました。兄が結婚した時は、指輪を買ってあげていました。私の結婚の時は茶碗。
母も兄も自分も、全部許せず辛いです。
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悩みじょん2024年5月14日
- 泣きながら読んでます
ありがとう
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体験談マルコ2024年5月1日
- 今同じような悩みを持つ方が本当に多いんだな、と感じます。昔はこんなこと他人に相談する事は出来ないくらい、親を悪く言う事はタブーとされていたのかもしれませんね。
自分も子供を持って、50近くになって、初めてわかる事がたくさんあると感じています。
生きにくさを感じて、心療内科に通うようになり、初めて自分の親が私にしていた事は虐待だったと知らされます。
あんな事くらいはどこの家でもある事じゃないか?と思うような事も、虐待と呼んでいいものだと初めて聞きました。
ヒステリックに怒鳴りつけられたり、ご飯抜きだったり、馬鹿にされたりなど、そのくらいの事は虐待とは言わないと思っていたので驚きましたが、確かにこんな歳の私の身にしっかりと傷は残っていて、それが原因で考え方に偏りがあり、生きにくさを作っていることに気がつきました。
自分の子供には連鎖しないように気がつけて良かったです。
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感想かもめ2024年4月4日
- 服装とか髪型とかあなたには似合わないとかこっちのほうがいいとか
言われてました。
自分の気持ちよりも母親が納得するものを選んできました。
別居するようになって着たい服好きな髪型でとても心地いいです。
だけど母の前では着ません。
頭のどこかでそうしようって自然に思ってしまいます。
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感想渦巻猫2024年3月20日
- 私も自分に呪いをかけた親から、距離を置きたいと考えていたところなので、メタ認知は非常に参考になりました。敬語で他人行儀で話し、水くさいと言われるようになります。
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感想ももんが2024年2月13日
- 最近になって、自分の生きづらさの原因に母親が関係していることに気づいたところで、どのように関われば良いか悩んでいました。今回の記事を読んで、今の私を励まして下さっているような、心が救われたような気持ちになり涙が出ました。
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体験談東北の湯2024年2月12日
- 『過干渉』という言葉がしっくりくる私の両親。解決策は「諦め」と「聞き流し」でした。
自立して一人前の姿を親に見せてあげたい!そう思って、学生時代に自活できる資格を取りました。「その資格を使うため就職を期に家を出る」と宣言したところ、泣いてすがりつかれました。「自分達はもう必要ないのか」と。「家を出ることは許さない」と。親は飲めない酒を飲み、1ヶ月ほど荒んでいました。ビックリしました。私は自分の足でしっかり立ち、自分の力で生きていける、だから安心してね、と行動で示す事が親孝行だと思っていたからです。「自立は親不孝だ」と言われショックでした。と同時に非常に冷静になりました。「何を言っても伝わらない。私の道を妨げる人と一緒に居てはいけない。」そこから両親の声は右から左へ聞き流し、就職、一人暮らしを始め自分の道を自分の足で歩いています。あの時の親離れの決断は今の自信に繋がっています。
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感想みんさん?????2024年1月11日
- 親に虐待されていて、これを見たらすこし落ち着きました?本当にありがとうございます