「私の人生ここからじゃない?」息子3人がひきこもり | ある母の人生
井上さん(仮名・61歳)は、3人の息子全員が10代の頃に学校に行けなくなり、ひきこもりを経験しました。現状を変えようと井上さんは、悩みながら動き続けました。息子たちを変えようとするのではなく、自らを顧み、自分の人生を取り戻していく。結果的に、そのことが親子ともどもの人生が大きく変わっていくきっかけになりました。冬の午後、ひと気のないファミリーレストランでゆっくりと話してくれた、井上さんの人生の一片です。
(仙台放送局 ディレクター 今氏 源太)
母親失格の私は、動くしかない
井上さんとの出会いは、都内にあるNPOが運営するひきこもりの家族会の紹介でした。
小柄でもの静かな雰囲気、僕がひとつ質問をすると聞かれたことに短く答えるような話し方の人です。
井上さんの息子たちがひきこもるようになったのは、最初は長男の一郎さん(仮名・30歳)が高校2年生のときでした。都立の進学校に通い、学内でも優等生だったという一郎さんですが、ある日突然学校に行けなくなりました。次第に家にいる日が延びていき、高校3年になるとずっと家にいるようになりました。
たぶん「優等生でいなければ」っていう思いが強かったと思います。クラス委員とかもやってまししたし。勉強ができると、もうちょっとできるんじゃない?みたいに思うじゃないですか。せっかく90点とってきても、もうちょっといけたよね?みたいに言ってたんですよ。(一郎に)「褒めないよね」って言われました。もちろん悪気は全くなかったんですけど。
部屋にずっと籠もっている時と、部屋から出てくる時と波がありました。ただ親にはたぶん会いたくなかったんですよね。合わせる顔がないっていう感じだった。
臨床検査技師として働きながら子育てをしてきた井上さん。
一郎さんとどう接していいかもわからず、学校へ行くよう促すこともありませんでした。
同じ時期、次男の二郎さん(仮名・27歳)も中学3年の夏休みが終わるとそのまま学校に行かなくなります。
当時の二郎さんのノートには「人はなぜ生きるのだろう」などと書かれていたそうですが、何に悩んでいるのかを直接聞くことはできなかったと言います。
ふたりの息子がひきこもると、一変して井上さんは焦りました。
私自身が混乱して、母親としての自信が無くなってしまい、母親失格だって思いました。子どもの将来がどうなるのかっていう不安がすごく大きかったです。じっとしてられなかったんです。何とかしなきゃいけないと思って、動いた。自分にできるのはそれしかないと思った。
井上さんは都の教育センター、精神福祉保健センター、民間の相談機関など様々なところへ相談に行きました。自分の悩みに合った支援はなかなか受けられなかったものの、井上さんは相談を続けました。
息子を変えるのではなく、自分が変わろう
井上さんはカウンセリングに通い始めると、自分の悩みをどんどん打ち明けました。ためらうことはありませんでした。一方で、一郎さんと二郎さんは家の外へは出られない状態がつづきました。
そこで自らがもう一歩踏み出してみようと、支援団体が主催する親のためのツアー旅行に参加します。
当事者の親20~30人ほどがワークショップなどを行ってお互いの状況を共有するというものでした。
自分の中のもう1人の自分と向き合うワークショップでした。そこでわかったのは、家族の中で私1人だけががむしゃらに動いていたこと。夫も息子たちも、動いてなかったんです。1人で一生懸命やってうまくいかないみたいな状態だったんです。
でもそのとき、そんな私を家族の夫や息子たちが見守ってくれているっていう風景が見えてきたんです。
「えっ?もしかしてそんなに頑張んなくてもいいの?」とか「ダメな母親なんだけどこれでもいいの?」って思えてきた。
世の中をうまく渡れない自分が本当に嫌でしかたなかったんですけど、そんな自分でも周りには息子もいる、夫もいてくれるって思えた。あっいいんだ、できなくてもいいんだって、そのとき初めて思ったんですよ。
井上さんは息子に働きかけるのではなく、自分が変わろうとしました。
それは、井上さん自身が「自分が本当に嫌でしかたなかった」というように、これまで自分の人生を満足して生きてこなかったのだといいます。
自分の人生を生きられなかった10代
井上さんは高校卒業まで関東の郊外で両親と弟と4人で過ごしました。父親から母親へのDVが日常的にあり、家は息苦しい場所だったと言います。
夫婦仲が悪くて。それを見ているのがつらくて。
で、実は小学校入ってすぐに、いじめっ子みたいなのがいて。そんなひどいいじめではないんですが、学校に行かなくなっちゃったんです。
それが続いたら、すごく父親に怒られた。寝てるのにたたき起こされて。
庭にあった納屋に連れてかれて、柱に縛りつけられた。
――えぇ?
今にして思えば虐待ですけど。父は恐怖の存在でしたね。
いい子でいれば両親が仲良くしてくれるかな、お父さんが怒らないでいてくれるかなっていう思いが、たぶんすごく強かった。
親を怒らせたくない、周りが信用できないという思いが積み重なると、10代の頃の井上さんは自分の感情にふたをするようになりました。寡黙になり、授業中に手を挙げて発言するのが怖く、グループワークが苦痛でした。
さらにだんだんと何かを考えること自体が停止してしまい、中学に入ったころは生きている意味がわからなくなり、漠然と死にたいと思うようになったこともあったといいます。
父親による母親へのDVは日常茶飯事的に起きていました。母はすごいつらかったと思うんですけど。中学か高校の時かな…何で離婚しないの?って聞いたことがありました。そしたら「あなたたちがいるから」って言われちゃったんですね。
――ああ。つらい答え。
そう。それを言われても、子どもたちとしては何もできないので。
で、大学か専門学校に進学したら家を出ようと思ったんですね。
もし同じことを10代の僕が言われたら、勝手にこっちのせいにすんなよ、責任なすりつけんなよ、と言い返してしまいそうです。
10代の頃の井上さんにとって家族は逃れたい存在であり、感情を押さえつけられたまま育つことになりました。自分らしく生きることを諦めていました。
子どもの話をちゃんと聞いてなかった
高校を卒業すると井上さんは実家を出て地元の医療短大に進学。当時は対人恐怖症だったと振り返り、血液などの検体を調べる臨床検査技師ならば人と会話をしなくて済みそうだと、ただそれだけで進路を決めたそうです。
卒業後に東京で就職した井上さんは、自立した生活を始めることで少しずつアクティブになりました。30歳の時に公務員の夫と出会い、結婚。翌年には長男の一郎さん、その3年後には双子の次郎さんと三郎さん(仮名・27歳)が生まれました。
仕事にやりがいを感じていた井上さんは育児との両立を目指しました。
しかし多忙を極め、息子たちとあまり向き合えなかったといいます。
どうやって3人育てたんだろうって思いますけど、振り返ってみるとちゃんと子どもの話を聞いてなかったんだろうなって。
子どもって「聞いて聞いて」みたいなのあるじゃないですか。全く覚えてないですもん。
まだとてもちっちゃい時から「20歳になったら家から出てくんだよ」って何回も言い聞かせていました。自分で生きていくってことを分かってほしかったんだって思いますが、まだ訳の分からないちっちゃい時に言わなくてもよかったって、今は思います。
「じゃあどうやってお家から出て行くの?」って質問されて。「自転車でもいいの?」とかって言われちゃった。
――自転車。かわいい。
そう。そのぐらいの時から言ってた。
実家を離れた井上さんは自立することの大切さを身をもって知っていました。ただ一方で、子どもたちの話を聞かずに自分の伝えたいことを優先して何度も話してしまう余裕のない日々だったといいます。
そして、気づけば息子たちがひきこもり、子どもたちと向き合えていない自分がいたのです。
私の人生ここからじゃない?
カウンセリングを通して井上さんがありのままの自分を認められるようになった頃、偶然かもしれないのですが、家の中の状況が変わり始めました。
まず中学3年からひきこもっていた次男・二郎さんが中学卒業の直前に家の外に出るようになりました。
ひきこもっていた間に勉強したいことを見つけたといい、情報工学の高専に進学しました。
入れ替わるように高校1年の三男・三郎さんが学校になじめずひきこもるようになりましたが、井上さんは今度は焦りませんでした。留学プログラムを紹介すると興味をもち、半年後には家を出て海外に旅立っていきました。
そして同じとき、4年ひきこもっていた長男の一郎さんがアルバイトを始めました。
中学時代の英語塾の先生から、新しい塾を作るのでアルバイトをしてくれないかと声がかかったのです。一郎さんに伝えるとやりたいと急に部屋から出てきて、スーツを買ってくれと言われたそうです。
なぜか私がいろいろ始めたすぐ後だったんですよ、息子たちの動きが出てきたのが。私が動いたからそうなったかどうか分かんないですけど。
――ご家族から見たら、やっぱり井上さんがどんどん変わっていくように見えたんですかね。
そこは息子や夫の話を聞いてないので、私は分からないです。
ひきこもっちゃうとどうしていいか分からないから親も距離を置きますよね。声を掛けるのもなかなか大変っておっしゃる方もいる。でもやっぱり親が何かを見い出すって大事だと思う。家庭を居心地のいい場所にすることって、親じゃないかと思う。
その当時はあんまり分かんなかったんですけど、親が落ち着くって大事なんだよね。
井上さんは、その後も自分の人生を歩み続けています。2年前に大学に編入し、社会福祉士の資格を取得。2年前に長年勤めた病院を退職し、現在は障害者福祉サービスの仕事をしながら不登校やひきこもりの家族を支援する活動を行っています。
ソーシャルワーカーって人と接する仕事じゃないですか。20歳の頃の私には考えられなかったですね。今回は、これがやりたいと思って選んだ仕事なんです。私の人生ここからじゃない?って思います。
親には本音なんて言った事ないけど、もしかして本当は人と話すのが好きだったのかもしれないと思います。あとは私自身が自分の人生を歩んでいなかったことにも気付きました。
不信感があって壁を作ってしまうことって、やっぱり自分自身を受け入れてないからなのかなって思います。
井上さんの親子関係は、親が子どもに何かをしてあげるというような、与える与えられるの関係ではないと思います。
井上さん自身が幼少期に抱えた生きづらさに苦しみ続ける自分を変えようとした歩みのなかで、息子たちのひきこもりと向き合ったのではないかと思います。それが今、良い親子関係を築けていることにつながっていると思わずにはいられません。
60代になり、「私の人生ここからじゃない?」と話す井上さんはとても魅力的でした。
みんなのコメント(3件)
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感想にもぽん2023年3月6日
- 子どもがひきこもるのは、家庭環境によるもの。その親もまた家庭環境に問題があり、きっとその親も家庭環境に問題があったのでしょう。
しかし、家庭に何の問題も無く育つ方がレアケースな気がします。自分の親は変えることが出来ないので、自分の子供は子供の気持ちをしっかり聞いて、お互いに尊重し合える親子関係を形成したいと思いました。
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感想ひかり2023年3月5日
- 38歳女性です。我が家も3人の子、上2人が不登校→少しずつ復帰、行きしぶりあり。3人目はグレーのadhd。自身は障がい者福祉のお仕事をしています。記事の内容にとてもとても共感いたしました。いつだって、自分の人生は踏み出し続けることはできると信じていたいです。
学校のことを子どもが話してくれたのですが、授業中にも関わらず授業に関係のない活動を同級生がやっていても、先生が注意してもやめさせられない状況になっている。静かにしてほしいと同級生を注意をしたら逆に傷つくことを言われたとのことでした。
私の想像ですが、子どもの心の中の普通に守られているはずの学校の約束事が、ことごとく破られている状態だったのではないかと思いました。実際の学級の現実の中で耐えることができなかったのではないかと思います。家庭でできることは何ですか?