五木寛之 流されゆく日々
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連載12032回 「戒厳令の夜」再び <4>
(昨日のつづき) 『戒厳令の夜』のテーマ、『哀しみのフローレンス』は、いまも生きている。 そのメロディーが深夜のラジオで一瞬、流れる。流れるのを心待ちにしているリスナーもいるのではあるまいか。 …
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連載12031回 「戒厳令の夜」再び <3>
(昨日のつづき) 昭和59年(1984)に登場したのは、如月小春『工場物語』、楠田枝里子『不思議の国のエリコ』、川西蘭『パイレーツによろしく』、中上健次『日輪の翼』、連城三紀彦『恋文』、高橋源一郎…
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連載12030回 「戒厳令の夜」再び <2>
(昨日のつづき) TBSラジオで始まった深夜番組は『五木寛之の夜』というタイトルだった。 昭和50年代のことである。最初の頃は、いろいろと試行錯誤もあったが、やがて落ちついて、それらしくなって…
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連載12029回 「戒厳令の夜」再び <1>
NHK放送センターに、いまも通っている。ラジオ深夜便の録音のためだ。 スタジオでマイクの前に坐るたびに、 <いったい何年、ラジオの仕事をやってきたのだろうか> と思う。 私がはじめてラ…
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連載12028回 日刊ゲンダイ創刊のころ──故・川鍋孝文さんとの対話── <4>
(昨日のつづき) 五木 作る側の話ですけども、たとえばスタッフはどういう人達が集っているんですか。 川鍋 週刊誌の経験者、それから出版社の人たち、その他いろいろです。 五木 出版社からは? 川…
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連載12027回 日刊ゲンダイ創刊のころ──故・川鍋孝文さんとの対話── <3>
(昨日のつづき) 五木 前に何度も徹夜麻雀やったけど、川鍋さんは細身のわりにはタフだよね。朝になって別れるときでも、しれーっとしてるもの。 川鍋 まあ、それしかないですから。ぼくには。 五木 そ…
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連載12026回 日刊ゲンダイ創刊のころ──故・川鍋孝文さんとの対話── <2>
(昨日のつづき) 私が新人としてデビューしてしばらくたった頃、猛烈な中間小説ブームがおこった。『オール読物』『小説新潮』『小説現代』の3誌を中心に、月刊小説誌が次々と創刊され、それぞれが競合して熱…
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連載12025回 日刊ゲンダイ創刊のころ──故・川鍋孝文さんとの対話── <1>
新年といえば新しい明日を語るのが常識だが、私はひねくれ者なので、毎年、あれこれ過去をふり返ることにしている。 今年の正月、松の内も古い週刊誌などを引っぱり出して、かつての時代を回想した。 昭…
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連載12024回 寝正月から目覚めて <5>
(昨日のつづき) <健康は命より大事> というギャグが昔流行ったことがあった。 馬鹿馬鹿しい冗談のようだが、よく考えてみると一面の真実を衝いた言葉のようでもある。 健康、イコール長命とは…
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連載12023回 寝正月から目覚めて <4>
(昨日のつづき) いよいよ戦闘開始である。 正月を寝て暮したので体がナマって、というより筆がナマって思うように原稿がすすまない。 文章を書くというのも、プロのスポーツ選手の仕事と同じだ。1…
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連載12022回 寝正月から目覚めて <3>
(昨日のつづき) 午後おそくに、といっても夕方にはやや早い、微妙な時間にきょうの<日刊ゲンダイ>がとどいた。 政治・経済の話はあと回しにして、医療関係の記事からまず読む。 目下、3カ月ごし…
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連載12021回 寝正月から目覚めて <2>
(昨日のつづき) いよいよ仕事が始まった。 きょうは、日刊ゲンダイのほかに、小学館『サライ』の連載<奇想転画異>の原稿、そして雑誌『一冊の本』のロングインタビューのゲラ直しと、3本がノルマであ…
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連載12020回 寝正月から目覚めて <1>
今年の正月は寝正月だった。 それも並みの寝正月ではない。正月元旦からの3日間、ほとんどベッドの中で暮らしたような気がする。 寝ても寝ても眠りたりない感じで、ほとんどぶっ通しで寝た。90年以上…
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連載12019回 「昭和」こぼれ話 <10>
(昨日のつづき) 愚にもつかぬ昔ばなしをダラダラ続けているうちに、いよいよ今年最後の原稿となった。 ふり返れば1年間、欠席することなく皆勤できたのも、<ゲンダイ紙>のスタッフと読者のかたがたの…
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連載12018回 「昭和」こぼれ話 <9>
(昨日のつづき) 昭和文壇の慣習のひとつに<カンヅメ>というのがあった。 作家を旅館とかホテル、ときには出版社の別館や寮などに監禁して、外部との連絡を断ち、強制的に原稿を書かせるシステムである…
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連載12017回 「昭和」こぼれ話 <8>
(昨日のつづき) 戦後、何十年ぶりで剣道の道場へ参上した。 早速、手拭いを頭にまいて、剣道の防具をつける。 竹刀をもって板張りの道場に素足で立つと、気分は昭和10年後期の少年だ。 しば…
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連載12016回 「昭和」こぼれ話 <7>
(昨日のつづき) 『野性時代』のグラビア撮影の続きである。 札幌ではスピードスケートまで披露して、大サービスしたつもりだったが、アート・ディレクターの石岡瑛子さんが今ひとつ不満顔なのだ。 「こ…
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連載12015回 「昭和」こぼれ話 <6>
(昨日のつづき) 昭和10年代、私が国民学校(小学校)の生徒だったときは、もっぱら剣道をやった。 もちろん柔道もあったが、夏休みなどにも特訓があるのは、もっぱら剣道だった。 父親が剣道の有…
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連載12014回 「昭和」こぼれ話 <5>
(昨日のつづき) 歳末はどんな仕事でもあわただしい。 このところ原稿を書く以外の仕事で忙殺されている。 産経新聞の喜多さんのインタビューでは、『夕刊フジ』の終刊号特集に載る予定と聞いた。 …
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連載12013回 「昭和」こぼれ話 <4>
(昨日のつづき) 戦争の時代に、どんな歌をうたっていたかを考えてみる。 もちろん軍歌が中心だが、国民歌謡というか、戦意高揚歌のような歌も沢山あった。 『愛馬進軍歌』なども、よくうたわれたもの…