【全文公開】対談「羽生結弦×栗原秀文」焼肉と寿司が好きだった17歳との出会い/上編

冬季オリンピック(五輪)男子2連覇のプロフィギュアスケーター羽生結弦さん(29)が、長く“専属”支援を受けてきた味の素(株)「ビクトリープロジェクト(VP)」の栗原秀文チームリーダー(48)と対談しました。前人未到だったクワッドアクセル(4回転半ジャンプ=4A)に挑み、世界初の認定をつかむまでの舞台裏を振り返った特別企画の、未公開部分も含めた「全文」を3週に分けて、余すことなくお届けします。(質問以外は敬称略)

フィギュア

「焼き肉とおすし」が好きだった理由

―(両者が再会、がっちり握手をかわし)よろしくお願いいたします

羽生お願いします! ありがとうございます。あ、これ大丈夫? 回ってないんじゃ…(と、録画ONになっていなかった1台のカメラを指摘)。

栗原さすがだね~(笑い)。あらためて、よろしくお願いします!

―今回は、まず2人の出会いから。栗原さんとのプロジェクトを通して、どのように羽生さんが選手として成長を遂げてきたのか。その成長の裏には、どのような栄養サポートがあったのか。食事があったのか。そこを掘り下げていきたいと思います

栗原とある方から「ちょっと今、栄養面で悩んでいそうだ、体づくりとか健康面で少し悩みがありそうだ」っていう選手がいるとうかがって、そういう流れで引き合わせていただいて、お会いした、ってことだったよね。

羽生はい。ソチ前…の前か、確か17歳でしたね。

栗原さんとの対談で思いを語る羽生さん

栗原さんとの対談で思いを語る羽生さん

栗原夏に、お会いしましたね。

羽生そうですね。

―当時、あまり食事には興味がない高校生だったと。その頃、食事について、フィギュアスケート選手として、どう捉えていましたか

羽生まず特に女子選手…男子もそうなんですけど、どちらかと言うと、僕らは制限をするタイプの競技で、重くなるのが怖い。それを身に染みて、毎日のように体感しながら練習をしているんですね。そういう意味でも食事に対して、栄養というよりは、ダイエットみたいなイメージの方が強くありました、最初は。

―その中で栗原さんと出会い、変わったことは

羽生そもそも、栄養に対する知識だったり、どういうものを摂るべきなのか。どのようなタイミングで何を食べるべきなのか、みたいなことって、もう全然、分からないことだらけだったので。やっぱり知識としてたくさん教えていただきましたし、自分でも食事とか注意するようになりましたね。

―17歳の羽生さん、当時、好きな食べ物はあったんですか

羽生ギョーザは好きでしたね。でも今もショーとかでも本当にお世話になっているんですけど、わざわざギョーザを作ってくださったりとか、いろんなメニューを開発していただいたり、っていうことに今はなってますけど、当時はギョーザはなくて、わざわざ作ってくれましたね(笑い)。

栗原さんとの対談で笑顔を見せる羽生さん

栗原さんとの対談で笑顔を見せる羽生さん

栗原当時、彼の好きな食べ物って言ったら「焼き肉とおすし」って言ってたんですよ。「何で?」って聞いたら「ポーションが小さいから」だって言うの。小さいから、例えばステーキだと「ドン」って出てきちゃうんだけど、全部、基本的には出されたものは全て食べないと気が済まないという、完璧主義者でもあったので。そうすると、ドンって出てくると、やっぱ全て食べ切らないと気分が悪いし「うーん」って思ってしまうので、小さなポーションでカタがつく、決着がつくもの、ということで、そういうものを選んでいたんだと思います。

羽生はい。あとは鍋ですね。

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。