東洋大が3度目の出場にして初優勝を飾った。総合力の高いチームにあって、ラッキーボーイとして、チームに勢いを付けたのがMF増田鈴太郎(4年=東海大相模)だった。
右のサイドアタッカーとして攻撃力を見せつけた。決勝ラウンドの関西大戦(1-0)では後半アディショナルタイムに鮮やかな決勝ゴール。続く常葉大戦(3-0)では鮮やかなミドルシュートをたたき込んだ。さらに準決勝の桐蔭横浜大戦(1-0)でもCKからのボールを頭で押し込み、今大会3点目。井上卓也監督も「増田は今大会のラッキボーイ。彼のゴールでチームに勢いがついた」と優勝への歩みを振り返った。
決勝戦はベンチスタートとなったが、後半17分から出場すると、同38分にはDFラインからの縦パスを受けて右からカットイン。左足でエリア外から強烈な一撃を放ったが、GKに阻まれ今大会4点目とはならなかった。
それでも攻撃だけでなく、終盤は献身的な守備で勝利のクローザー役も担った。井上監督は「なんで自分が先発じゃないんだと思うかもしれませんが、彼は自分に与えられた仕事をしっかりとこなしてくれる。彼のような選手がいるからチームは優勝することができた」と目尻を下げた。
増田は「(優勝なんて)やばいですね。(全国の)決勝なんて初めでしたけど、本当に緊張しないで楽しんで試合に入れたかなと思います。すごい貴重な体験というか、もう人生で1回あるかないかのチャンスだったので、ものにできて良かったです」と言って笑顔を見せた。
この4年生世代は高校3年時の2020年にコロナ禍に見舞われた。増田は神奈川・東海大相模高のエースFWだったが、3年春から部活動はおろか、学校も閉鎖された。3カ月間は何もできず、自宅近くの広場に足を運び、ボールを蹴って過ごしていた。
「どうなっちゃうだろうって、思いますね…」
増田の傍らに座り、そんな言葉を聞いた。
あの当時のことを振り返れば、4年後に日本一になる未来なんてまったく想像すらできなかった。サッカーが続けられるのか、進路はどうなるのか、不安に押しつぶされそうになっていた。
「東洋に入ったこと自体ラッキーと思っていたし。コロナがなかったら多分入れていなかった」
活躍の場が失われたため、東海大相模の有馬信二監督を通じて東洋大のセレクションに参加できるよう取り計らってもらった。その千載一遇のチャンスを生かし、推薦入学という道が開けた。
献身的に走るプレースタイルの通り、勉学にも手を抜かない優等生だ。環境や周りのせいにすることなく、自らにベクトルを向け続けた。負傷しても、出場機会が失われても、自らの成長を問い続けた。そして最後の大会で7番を背負い、これまで頑張ってきたご褒美かと思うかのような、目を見張る活躍を見せた。
東洋大は内定者が7人という逸材の宝庫だが、増田の進路は未定。サッカーを続けることだけは決めている。
「この大会で自分の中で結構、手応えはつかんだ。この先のことはまだ何も決まっていないですけど、上のステージを目指して頑張ります。プロに行く人が多いので、負けないように追いついて、追い越して」
好きなようにサッカーをやらせてくれた両親が見守る前で、恩返しといわんばかりの雄姿を披露した。
そして優勝チームから選ばれるMVP発表。誰もが見つめた電光掲示板、しばしの間があり、浮き上がった名前は「新井悠太」。「増田鈴太郎」ではなかった。整列していた仲間誰もが増田を見て笑っていた。新井は「すまん」とでも言わんばかりに増田の肩に手をやり、トロフィーを受け取りに行った。
「やっぱり期待感はありましたね。でも決勝点を取ったら、そいつら持っていくというのはサッカー界ではあるあるなんで。自分が取れば良かったですけど、でもチームメートはみんなおまえがMVPだって言ってくれたので、それで十分かなと思います」
そう言ってまた笑った。
2020年のパンデミックも、どこか随分昔のことのように思う。そんなハンディにもめけずに走り続けた。4年がたち、見かけだけでなく、考え方もすべてにおいて一回りも成長した。“あの時”の高校生は立派な大人へと変身した。
自らの可能性をあきらめなければ、未来は変えられる。それを増田は強い意志と行動で証明してみせた。あまりに劇的すぎる日本一だった。【佐藤隆志】