「少年ケニヤ」が読みたくて産経読んだ
昭和23年生まれの私が漫画と本格的に出会ったのは、小学生の頃です。特に手塚治虫先生の作品から多くの影響を受けました。その頃(産経新聞で連載していた)『少年ケニヤ』(26~30年)を読みたくて、産経を取ってもらっていました。日本人の子供が猛獣たちとともにアフリカで冒険するというお話で、毎日ワクワクしながら読んでいました。
今でこそ漫画は広く人気ですが、昭和の頃の空気は違っていました。PTAから「教育に悪い」と言われていましたし、「絵ばかりで頭を使わないから発育に悪い」という声もありました。私も母から「テストで1問間違えたら漫画を1冊捨てる」と言われました。
「悪書追放運動」というものもありました。子供に読ませてはいけない本のリストがあり、その中に手塚先生の『鉄腕アトム』が入っていたんです。アトムは深く考えさせられる話だと思っていたし、活字の本にも変な話はたくさんある。子供心ながらに変だな、と思っていました。このまま放っておけば、漫画は滅ぼされ、アトムという作品もなかったことにされるかもしれない―。この時の焦りと、漫画の味方をしたいという思いが、私の漫画家としての原点です。
映画のように漫画も芸術になる
私は物語を作るのが好きで、それを人に伝えるには漫画が一番の表現ツールだと考えました。ただし、当時は漫画家になりたいなんて言ったら変人扱い。親には「勘当する」と言われました。その頃は映画が生まれて約60年。映画が芸術になったように漫画もいずれ文化になる―という根拠のない確信が私にはありました。
ただ、自分が生きている間に漫画が認められることはないと思っていたし、敷石の一つでいいと覚悟していました。昭和のあの頃から約60年。令和の今の状況は本当に夢みたいです。
当時は日本漫画が海外に進出するのも大変でした。米国に『ドラえもん』を売り込んだ際は、「なぜのび太が正義のヒーローではないのか」などと言われたそうです。作品の全否定ですよね。手塚先生もアトムなどで描いたように、世界は単純に善と悪で割り切れるものではないし、赤と白の間には、えもいわれぬピンクの美しさがあるんです。
日本の若者が一番ハングリー
日本で漫画が発展したのは、何だかんだいって日本人がオリジナリティーを求めるからだと思います。先輩の漫画家に憧れても同じようなものは描かない。次から次に変容し、新しい表現が生まれる。だから世界の読者の期待にも応えられる。以前イタリアの女性がインタビューで「理想の男性はルパン三世」と言っていたときは、趣味がいいか悪いかは別として(笑)、すごくうれしかったです。
よく「世界の若者は日本よりもハングリーだ」なんていわれますよね。でも実際は日本の若者が一番ハングリーで頑張っています。たとえお金を稼げなくても、自分が描きたいものを描きたい―という気持ちは日本の若者が一番強いと感じます。
今は何だかんだといわれていますが、今の日本も捨てたもんじゃないと感じますし、それを忘れない限り日本の未来はまだまだ大丈夫だと思います。 (聞き手 本間英士)
(1月24日生まれ 76歳)