神宮球場で天を指さすつば九郎。チームを明るく照らす存在だった ヤクルトは19日、球団公式マスコット「つば九郎」が当面、活動を休止すると発表した。担当スタッフが死去したため。つば九郎は今月上旬に1軍の沖縄・浦添キャンプを訪れたが、6日に体調不良が公表され、4月中旬までのイベント中止が告知されていた。1994年にデビューを飾り、主催試合2000試合出場を達成。昨年にはデビュー30周年の節目を迎えた。雑誌「an・an」の表紙を飾るなど球界屈指の人気を誇り、記録にも記憶にも残る愛されキャラだった。
突然の訃報に、日本中が悲しみに暮れた。ヤクルトの球団公式マスコット、つば九郎を長年支えてきた社員スタッフが死去。球団ホームページで発表されると、SNSでは「つば九郎」がトレンド入りするなど、騒然となった。
「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました。球団マスコットとして、ここまで育ててくれた功績に感謝と敬意を表します。体調不良の発表以来、温かい励ましのお言葉をたくさん頂戴し、誠にありがとうございました。今後の活動については、しばらくの間休止となることをお知らせいたします」と球団はコメントを掲載した。
今月上旬、つば九郎は例年通り1軍の沖縄・浦添キャンプを訪問。1日には山田の囲み取材に〝乱入〟するなどらしさ全開だったが、4日に社員スタッフが那覇空港で倒れ、6日に4月まで予定されていたイベントの中止が発表されていた。家族や球団関係者がお見舞いに訪れ、一時は状態も上向いたが沖縄県内の病院で16日に死去した。
球界屈指の人気者として、第一線を飛び続けてきた。つば九郎は1994年4月9日の阪神戦でデビュー。2008年に主催1000試合連続出場を果たすと、22年8月5日の巨人戦では前人未到ならぬ前〝鳥〟未到の主催2000試合出場を達成し、神宮外苑に「つば九郎ハウ巣」ができた。昨年はデビュー30周年の節目を迎え、中日のマスコット、ドアラとともに雑誌「an・an」の表紙を飾るなど、知名度と人気はプロ野球の枠を超えていた。