「柳田邦男文庫」寄贈記念インタビュー特別レポート
白地図の学生時代 それは、可能性を蓄積していく時期
航空機事故、医療、災害、戦争などをテーマとした作品を数多く執筆し、戦後の日本を代表するノンフィクション作家のひとりである柳田邦男氏。2023年10月、その柳田氏から信州大学へ約1万5,000冊の蔵書を寄贈いただきました。附属図書館ではこれを記念し、2024年10月10日に寄贈図書贈呈式と記念講演会を実施。今回、その際に行った柳田氏へのインタビューを掲載します。
(聞き手・信州大学附属図書館 副館長(事務担当)小島 浩子)
(文・佐々木 政史)
*「柳田邦男文庫」は現在整理中。2025年度以降中央図書館に設置予定。
・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第148号(2024.11.29発行)より
柳田 邦男 PROFILE
松本への移住を検討 信大近くに書庫
―今回、信州大学にとても多くの蔵書の寄贈をいただいた経緯を教えていただけますでしょうか。
私は東京で暮らしていますが、20年以上前から毎年夏に3か月間、絵本作家である妻(伊勢英子氏)が安曇野・穂高の絵本美術館「森のおうち」で絵本の原画展を行ってきました。私も毎年一緒に訪問し夏を過ごす中で、安曇野・松本地域の風土に親しみを持つようになり、2017年頃に松本への移住を考えました。だんだんと高齢になり、若い頃のように全国を飛び回って取材することが将来的に難しくなってくるだろう、これまでの蓄積に基づいて、どこか地方で落ち着いて作家活動を行うのも良い―。そのように考えて、どこが良いかと思いをめぐらしたときに、松本が頭に浮かびました。松本に拠点を置く「岳俳句会」の主宰・宮坂静生さん(本名 敏夫、信州大学名誉教授)や建築家の丸山貴史さんを通じて住居を探してもらい、信州大学のすぐそばにちょうど良い和風住宅が見つかりました。それで、本格的に引っ越すより先に、蔵書の半分を松本に前もって移したんです。
しかし、その後、諸事情で松本への移住はとん挫し、必要な本を取りにいくためだけに、わざわざ東京の自宅から松本まで中央線あずさに乗って行くことが多くなりました。これではあまりにも非効率的ですので、この際、必要な最低限の本だけを残して手元に置き、あとは廃棄しようと思い、丸山さんに相談しました。丸山さんからその話を聞いた宮坂さんが「捨てるのは惜しい」と、信州大学附属図書館に寄贈の相談をしてくださったんです。図書館の方も、快くその申し出を受けてくださり、昨年10月に寄贈に至りました。
宮坂さんとは絵本美術館での妻の絵本原画展等を通じて、長い間、親しくお付き合いさせていただいております。その縁が今回の寄贈につながり嬉しく思います。
現場取材と生身の声に一貫してこだわり
―ご寄贈いただいた本を拝見すると、ジャンルが本当に多種多様ですが、これらの本は柳田さんがノンフィクションの作品を執筆するために集められたものなのでしょうか。
それだけではありませんが、そのような目的で集めた本も多くあります。
現代社会では、ひとの人生とも濃密に絡み合いながら、科学技術や政治、行政、法律といった専門性の高い事柄で様々な問題が顕在化しています。例えば、事故や災害、都市の過密化、公害などの問題がありますね。ノンフィクションは従来の小説家が手を出さない、あるいは手を出せなかったこうした専門性の高いテーマを扱うことなどから、私は魅力を感じて60年代から取材と執筆に取り組んできました。政治、行政、企業などの影の部分に深く切り込んだ立花隆氏や、戦争社会の問題をそれぞれの時代の女性の視点からとり上げた澤地久枝氏などの功績により、70年代から80年代に掛けて日本においてノンフィクションのジャンルは確立されていきますが、私もその一端を担ってきたと意識しています。
実は大学1年生の時に文学のジャンルを目指したこともありました。しかし、同時期に同じキャンパスで学んでいた2年先輩の大江健三郎氏のデビュー作を読んで、自分はこのようには書けないな…と思い、他の道を選ぼうと思いました。そして、人間と社会の生(なま)の現実を書こうと思い、まずNHKの記者になりました。その後、38歳の時にフリーになりましたが、NHKでの経験は私の現場取材の礎を築き、とても学びの多いものでした。先輩たちから事実の背景にある問題を掘り下げることの重要性を教えていただいたことや、最初の赴任地広島での原爆被爆者への取材などは、その後にフリーのノンフィクション作家として活動するうえで大きな財産になりました。
貴重な学生時代 経験の一つひとつを大切に
―最後に、学生に対してメッセージをお願いします。
これは、今日この信州大学に来て一番語りたかったことです。
学生時代はまだ“白地図”の状態で、自分の地図をどう描いていくかは未知数です。それだけに、あれもやりたい、これもやりたい…と自分の進むべき方向を決めきれなかったり、あるいは逆に、自分のやりたいことが見つけられなかったりする人もいます。悩みが多い時期ではありますが、学生時代は「可能性を自分の中に少しずつ蓄積していく時期である」という意識を持つことが大事だと思っています。
そのような意識を持ち、例えば本を読むとか、あるいはソーシャルリサーチなどに参加して現場に足を運ぶとか…、何でもいいから動いて考えて経験してみること。そして、その経験の一つひとつを大事にしていくことが、いつの日かものすごく自分の人生にとって役立つ時がくるはずです。
私自身も学生時代には悩みながらも、世の中の事柄について問題意識を持ち、本を読んで自分なりに考えたり、友人と熱い議論を交わしたりしました。いま振り返れば、未熟な考えや議論であったかと思いますが、たとえそうであっても、その時の経験が、社会に出て自分が世の中の物事を考える際にものすごく大事な材料になっていると感じます。こうした経験ができるのは、若い時しかありません。社会に出ると、多くの人は訳知り顔で「世の中や社会とはこういうものだ」と固定観念を持って決めつけるようになりがちです。そうなってしまうと人生は面白くなくなってきます。白地図の学生時代に、悩みながらも、本を読み、考え、議論し、現場に足を運んで、ぜひ色んな経験をしてください。今回の蔵書の寄贈がその動機づけになれば幸いです。