現役時代はフランス・リーグで二度の得点王に輝いた名アタッカー。
3月5日に、日本代表の新監督に内定したヴァヒド・ハリルホジッチ氏。同12日のJFA理事会の承認を経て、正式契約が交わされることになるこの人物は、選手、監督としていかなるキャリアを築いてきたのだろうか。
現役時代から指導者として今日に至るまでの経歴を振り返る。
――◆――◆――
●プロフィール
ヴァヒド・ハリルホジッチ
[生年月日]1952年10月15日(62歳)
[国籍(出身地)]ボスニア・ヘルツェゴビナ(ヤブラニツァ)
[選手歴]
1968-71 トゥルビナ・ヤブラニツァ(ユーゴスラビア)
71-81 ヴェレジュ・モスタル(ユーゴスラビア)
・ユーゴスラビアカップ優勝(81年)
81-86 ナント(フランス)
・フランス・リーグ得点王(82-83、84-85)
●選手時代
現役時代はFWとして活躍し、ナント時代にはフランス・リーグで二度も得点王に輝いた。ユーゴスラビア代表の一員として1976年の欧州選手権(4位)、82年のスペイン・ワールドカップ(グループステージ敗退)に出場した実績もある。引退後は指導者となる。元日本代表監督のオシム氏とも親交が深い。
[監督歴]
1990-92 ヴェレジュ・モスタル(ユーゴスラビア)
93-94 ボーベ(フランス)
97-98 ラジャ・カサブランカ(モロッコ)
・モロッコ・リーグ優勝(97年、98年)、アフリカ・チャンピオンズリーグ優勝(97年)
98-02 リール(フランス)
02-03 レンヌ(フランス)
03-05 パリSG(フランス)
・フランス・カップ優勝(04年)
05-06 トラブゾンスポル(トルコ)
06 アル・イテハド(サウジアラビア)
08-10 コートジボワール代表
10-11 ディナモ・ザグレブ(クロアチア)
・クロアチア・リーグ優勝(11年)
11-14 アルジェリア代表
・ブラジル・ワールドカップ16強進出(14年)
14 トラブゾンスポル(トルコ)
●リール時代(98-02年)
シーズン Div. 順位 戦績
98-99 2部 4位 19勝7分12敗
99-00 2部 1位 25勝8分5敗
00-01 1部 3位 16勝11分7敗
01-02 1部 5位 15勝11分8敗
就任3年目には、昇格1年目にしてトップリーグを席巻。堅実なカウンタサッカーで3位に導き、チャンピオンズ・リーグ(以下CL)の出場権を獲得すると、01年のフランス・リーグ年間最優秀監督に輝いた。続く01-02シーズンのCL予備選ではパルマを撃破するなど、当時は相手の特長を消す戦術で評価を高めていた。
●パリ・サンジェルマン時代(03-05年)
シーズン Div. 順位 戦績
03-04 1部 2位 22勝10分6敗
04-05 1部 9位 12勝15分11敗
就任1年目で、守備を再建。規律を植え付け、フィールドプレーヤー10人が連動するプレッシングサッカーで名門復活を印象付けた。しかし、翌04-05シーズンはその規律を重んじるスタンスが選手の反感を買い、開幕から7戦勝ち星なしといきなり躓く。関係を修復できないまま途中解任となり、厳格な性格が裏目に出てしまった。
現役時代から指導者として今日に至るまでの経歴を振り返る。
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●プロフィール
ヴァヒド・ハリルホジッチ
[生年月日]1952年10月15日(62歳)
[国籍(出身地)]ボスニア・ヘルツェゴビナ(ヤブラニツァ)
[選手歴]
1968-71 トゥルビナ・ヤブラニツァ(ユーゴスラビア)
71-81 ヴェレジュ・モスタル(ユーゴスラビア)
・ユーゴスラビアカップ優勝(81年)
81-86 ナント(フランス)
・フランス・リーグ得点王(82-83、84-85)
●選手時代
現役時代はFWとして活躍し、ナント時代にはフランス・リーグで二度も得点王に輝いた。ユーゴスラビア代表の一員として1976年の欧州選手権(4位)、82年のスペイン・ワールドカップ(グループステージ敗退)に出場した実績もある。引退後は指導者となる。元日本代表監督のオシム氏とも親交が深い。
[監督歴]
1990-92 ヴェレジュ・モスタル(ユーゴスラビア)
93-94 ボーベ(フランス)
97-98 ラジャ・カサブランカ(モロッコ)
・モロッコ・リーグ優勝(97年、98年)、アフリカ・チャンピオンズリーグ優勝(97年)
98-02 リール(フランス)
02-03 レンヌ(フランス)
03-05 パリSG(フランス)
・フランス・カップ優勝(04年)
05-06 トラブゾンスポル(トルコ)
06 アル・イテハド(サウジアラビア)
08-10 コートジボワール代表
10-11 ディナモ・ザグレブ(クロアチア)
・クロアチア・リーグ優勝(11年)
11-14 アルジェリア代表
・ブラジル・ワールドカップ16強進出(14年)
14 トラブゾンスポル(トルコ)
●リール時代(98-02年)
シーズン Div. 順位 戦績
98-99 2部 4位 19勝7分12敗
99-00 2部 1位 25勝8分5敗
00-01 1部 3位 16勝11分7敗
01-02 1部 5位 15勝11分8敗
就任3年目には、昇格1年目にしてトップリーグを席巻。堅実なカウンタサッカーで3位に導き、チャンピオンズ・リーグ(以下CL)の出場権を獲得すると、01年のフランス・リーグ年間最優秀監督に輝いた。続く01-02シーズンのCL予備選ではパルマを撃破するなど、当時は相手の特長を消す戦術で評価を高めていた。
●パリ・サンジェルマン時代(03-05年)
シーズン Div. 順位 戦績
03-04 1部 2位 22勝10分6敗
04-05 1部 9位 12勝15分11敗
就任1年目で、守備を再建。規律を植え付け、フィールドプレーヤー10人が連動するプレッシングサッカーで名門復活を印象付けた。しかし、翌04-05シーズンはその規律を重んじるスタンスが選手の反感を買い、開幕から7戦勝ち星なしといきなり躓く。関係を修復できないまま途中解任となり、厳格な性格が裏目に出てしまった。