戦時中に日本海軍の施設があり、戦後は約70年にわたって米軍に接収されていた横浜市の上瀬谷通信施設跡地に、排気筒のような構造物と、倉庫のような建物が残っている。研究を進めてきた地元の市民団体などは、これらは日本海軍の毒ガス保管に関わる施設の可能性があるとみて、戦争遺跡として平和教育に活用するよう求めている。
上瀬谷通信施設 1945年8月、旧日本海軍の倉庫群を米軍が接収。47年にいったん解除されたが、朝鮮戦争勃発後の51年に再接収された。広さ242ヘクタール。米軍は暗号通信などを行う通信隊を設け、周辺945ヘクタールは電波障害防止地域として建築などが制限された。2004年の日米合同委員会の合意に基づき、15年6月に返還された。
◆「煙突の基礎部分ではないか」 関連資料を探すと…
同市瀬谷、旭区にまたがる跡地の南東部では、2027年3~9月に国際園芸博覧会が予定され、将来の公園化も見据えた園路などの整備が進む。10月下旬、本社ヘリで上空から見ると、広大な原っぱに重機が入り、地肌がむきだしに。その一角に、3メートル四方のコンクリートの構造物が手付かずで残されていた。筒状で、側面も通気が可能な形状だ。
いったい何か。地域の歴史を調べてきた市民団体「横浜・瀬谷地図くらぶ」の田中常義会長(92)は「煙突の基礎部分ではないか」と考えた。この構造物から数十メートル離れた場所には長さ115メートル、幅30メートルで、半ば草木に覆われた建物がある。「構造物と建物は地下でつながり、排気しているのではないか」
田中さんが防衛省防衛研究所の図書館で上瀬谷の関連文献を探すと、終戦時に日本側が連合国側に出した資料の中に、「特薬庫(覆土式)」という記述を見つけた。「特薬」は海軍で毒ガスを指すとされる。
◆市教委は「覆土式火薬庫」と推定
構造物と建物を埋蔵文化財として発掘調査を進める市教育委員会によると、構造物の地上部の高さは3.7メートル、地下の基礎は1.9メートルで、煙筒のような構造と確認している。一方、建物の中にはトンネル構造の空間が2つ並...
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