ここにもあった天空の城!島根「津和野城」の眺めは最高

ここにもあった天空の城!島根「津和野城」の眺めは最高

更新日:2019/10/02 13:50

島塚 渓のプロフィール写真 島塚 渓 トラベルライター
山陰の小京都と呼ばれる島根県津和野町(つわのちょう)。水路には鯉が泳ぎ、歴史と文化に恵まれた、山間部の小さな城下町となっています。

津和野のシンボルと言えるのが、今回紹介する「津和野城」。日本100名城にも選ばれている大変貴重なお城なので、ぜひみなさんも足を運んでみてください!

山の上にある難攻不落のお城

山の上にある難攻不落のお城

写真:島塚 渓

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津和野城は、標高350メートルほどの山の上に築かれていた、典型的な山城。南北3キロメートルにわたって続く丘陵には、数多くの曲輪が築かれ、土塁や石垣によって堅固な要塞として整備されています。

山の上にある難攻不落のお城

写真:島塚 渓

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この場所に城が築かれるようになったのは、鎌倉時代の永仁3年(1295年)。元寇の翌年に赴任した吉見氏が、約30年の歳月をついやして完成させた防衛拠点です。

その後、天文23年(1554年)に、陶晴賢(すえはるたか)の大軍が津和野城を包囲しますが、籠城戦に耐え抜き、和睦にこぎつけることに成功。実際の戦いにおいても、守りに適した堅固な城だということが証明されているんです。

頂上からの眺めは圧巻

頂上からの眺めは圧巻

写真:島塚 渓

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津和野城で最も高い場所は、かつて天守があったところではなく、「三十間台」と呼ばれる曲輪です。
天守台は西のやや低い所に位置し、本丸ではなく、二の丸のなかに天守があるという、非常に珍しい構造になっているんです。

最高峰の三十間台には、ベンチが備え付けられており、そこからの眺めは、まさに絶景!津和野城は、全国でも2番目の高さにある山城城跡で、時には雲海に包まれることから「天空の城」とも呼ばれているんです。

頂上からの眺めは圧巻

写真:島塚 渓

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眼下には、武家屋敷などの歴史的建造物、ゆるやかに流れる津和野川、そして田園風景などが広がっています。周囲を流れる津和野川は、内堀としての役割も担い、城を守る大切な防御機能として活用されていました。

頂上からの眺めは圧巻

写真:島塚 渓

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城下の風景を眺めていて、たびたび目に留まるのは、赤茶色の屋根。これは、石見地方で生産されている石州瓦(せきしゅうがわら)で、寒さに強く丈夫なことから、積雪の多いこの地域にうってつけの瓦となっています。

石垣も必見

石垣も必見

写真:島塚 渓

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現在、津和野城跡には創建時の建物は残されていません。貞享3年(1686年)に落雷で天守が焼失し、明治7年(1874年)には、残りの建造物もすべて解体されてしまったからです。

しかし、曲輪の石垣が、ほぼ完全な形で保存されているため、城全体のスケールを十分に実感することができるんです。

石垣も必見

写真:島塚 渓

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城内の石垣の多くが「野面積(のづらづみ)」という、自然石を加工せずにそのまま積んでいく方法で築かれています。大きさや形の違う石を使うため、どうしても隙間や出っ張りができてしまうのが、面白いポイント。

また、隅の部分は、長方体の石を交互に重ね合わせた「算木積み(さんぎづみ)」と呼ばれる技法が採用されています。これによって強度を高め、美しい勾配の石垣が作られるようになりました。

石垣も必見

写真:島塚 渓

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なかでも、絶対に見ておきたい石垣が、扇のような曲線が美しい、人質郭の高石垣(たかいしがき)です。津和野城で最も高い野面積みの石垣で、壁のように立ちはだかる姿は、見る人を威圧するような迫力があります。

津和野城の基本情報

住所:島根県鹿足郡津和野町後田
営業時間:見学自由(観光リフトは9:00から16:30 最終運行下り16:30)

2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/09/07 訪問

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