写真:島塚 渓
地図を見る津和野城は、標高350メートルほどの山の上に築かれていた、典型的な山城。南北3キロメートルにわたって続く丘陵には、数多くの曲輪が築かれ、土塁や石垣によって堅固な要塞として整備されています。
写真:島塚 渓
地図を見るこの場所に城が築かれるようになったのは、鎌倉時代の永仁3年(1295年)。元寇の翌年に赴任した吉見氏が、約30年の歳月をついやして完成させた防衛拠点です。
その後、天文23年(1554年)に、陶晴賢(すえはるたか)の大軍が津和野城を包囲しますが、籠城戦に耐え抜き、和睦にこぎつけることに成功。実際の戦いにおいても、守りに適した堅固な城だということが証明されているんです。
写真:島塚 渓
地図を見る津和野城で最も高い場所は、かつて天守があったところではなく、「三十間台」と呼ばれる曲輪です。
天守台は西のやや低い所に位置し、本丸ではなく、二の丸のなかに天守があるという、非常に珍しい構造になっているんです。
最高峰の三十間台には、ベンチが備え付けられており、そこからの眺めは、まさに絶景!津和野城は、全国でも2番目の高さにある山城城跡で、時には雲海に包まれることから「天空の城」とも呼ばれているんです。
写真:島塚 渓
地図を見る眼下には、武家屋敷などの歴史的建造物、ゆるやかに流れる津和野川、そして田園風景などが広がっています。周囲を流れる津和野川は、内堀としての役割も担い、城を守る大切な防御機能として活用されていました。
写真:島塚 渓
地図を見る城下の風景を眺めていて、たびたび目に留まるのは、赤茶色の屋根。これは、石見地方で生産されている石州瓦(せきしゅうがわら)で、寒さに強く丈夫なことから、積雪の多いこの地域にうってつけの瓦となっています。
写真:島塚 渓
地図を見る現在、津和野城跡には創建時の建物は残されていません。貞享3年(1686年)に落雷で天守が焼失し、明治7年(1874年)には、残りの建造物もすべて解体されてしまったからです。
しかし、曲輪の石垣が、ほぼ完全な形で保存されているため、城全体のスケールを十分に実感することができるんです。
写真:島塚 渓
地図を見る城内の石垣の多くが「野面積(のづらづみ)」という、自然石を加工せずにそのまま積んでいく方法で築かれています。大きさや形の違う石を使うため、どうしても隙間や出っ張りができてしまうのが、面白いポイント。
また、隅の部分は、長方体の石を交互に重ね合わせた「算木積み(さんぎづみ)」と呼ばれる技法が採用されています。これによって強度を高め、美しい勾配の石垣が作られるようになりました。
写真:島塚 渓
地図を見るなかでも、絶対に見ておきたい石垣が、扇のような曲線が美しい、人質郭の高石垣(たかいしがき)です。津和野城で最も高い野面積みの石垣で、壁のように立ちはだかる姿は、見る人を威圧するような迫力があります。
住所:島根県鹿足郡津和野町後田
営業時間:見学自由(観光リフトは9:00から16:30 最終運行下り16:30)
2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
島塚 渓
絶景スポット、神社仏閣やご当地グルメなど五感を刺激してくれる体験を求めて、日々情報収集に余念がありません。頭のなかをいっぱいにした後は思いっきって一歩踏み出してみましょう!感動的な出会いはいつも僕たち…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
旅行ガイドを検索!
(2025/2/5更新)
- 広告 -