ソユーズTM-12とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ソユーズTM-12の意味・解説 

ソユーズTM-12

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 22:38 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ソユーズTM-12
徽章
ミッションの情報
ミッション名 ソユーズTM-12
質量 7,160 kg
乗員数 3
コールサイン Озо?нオゾン
発射台 バイコヌール宇宙基地
ガガーリン発射台
打上げ日時 1991年3月18日 12:50:28 (UTC)
着陸または着水日時 1991年10月10日 04:12:18 (UTC)
ミッション期間 144日15時間21分
遠地点 397 km
近地点 389 km
公転周期 92.4分
軌道傾斜角 51.6°
年表
前回 次回
ソユーズTM-11 ソユーズTM-13

ソユーズTM-12は、ロシア宇宙ステーションミールへの12度目の往来である。

乗組員

打上げ時:

帰還時:

ミッションハイライト

ミールへの12度目の往来で、イギリス人が初めて宇宙飛行した。

ミール上の前のミッションの乗組員がアルツェバルスキー、クリカレフと、ジュノー計画の一環として登場したイギリス人のヘレン・シャーマンの3人を迎えた。シャーマンの専門は化学だったが、ソビエト連邦が彼女に用意した実験計画は生命科学に偏ったものだった。25万個のパンジーの種が入ったカバンを、宇宙線の放射に直接晒されるクバント2のエアロック部に置いた。シャーマンはまたイギリスの小学校9校と無線で中継し、Elektropograph-7K装置を用いて高温超伝導の実験を行なった。シャーマンは、ミールの中はスターシティにあるガガーリン宇宙飛行士訓練センターの訓練施設よりも散らかっていて、実験装置を探すのに苦労したと語っている。クリカレフも、彼が最初に来た時よりもミールのモジュールが増え、混雑しているように見えたと語っている。また、宇宙船の外壁を構成する素材は色褪せていたが、宇宙船の運営には影響がなかったとも語っている。

ミールと144日間ドッキングして過ごしていた間に、ミハイル・ゴルバチョフに対するクーデターが失敗してソビエト連邦全体が動揺しており、1992年1月1日のソビエト連邦崩壊につながる運動が起こっていた。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ソユーズTM-12」の関連用語

ソユーズTM-12のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ソユーズTM-12のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのソユーズTM-12 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS