メキシコ帝国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > メキシコ帝国の意味・解説 

メキシコ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 17:32 UTC 版)

メキシコ帝国
Imperio Mexicano
1821年 - 1823年
(メキシコの国旗) (メキシコの国章)
公用語 スペイン語
首都 メキシコシティ
皇帝
1822年 - 1823年 アグスティン1世
変遷
イグアラ綱領 1821年2月24日
メキシコの独立1821年8月24日
帝政開始1822年7月21日
イトゥルビデ失脚、帝国崩壊。1823年3月13日
メキシコ帝国
Imperio Mexicano
1864年 - 1867年
(メキシコの国旗) (メキシコの国章)
国の標語: Equidad en la Justicia
公用語 スペイン語
首都 メキシコシティ
皇帝
1864年 - 1867年 マクシミリアーノ1世
変遷
フランス第二帝政によるメキシコ出兵 1861年
皇帝マクシミリアーノ1世の即位1864年4月10日
ベニート・フアレスのメキシコ市入城1867年9月15日

メキシコ帝国(メキシコていこく、スペイン語:Imperio Mexicano)は、19世紀メキシコが独立した後、皇帝を君主とした際に用いた国号である。2度にわたり国号として制定されているが、双方の間に連続性はない。なお、メキシコでは第2次メキシコ帝国は傀儡国家として否定されており、学校教育での歴史教科書でも「メキシコ帝国は歴史上一つだけ存在した」ことになっている。

メキシコ第一帝政(1821年-1823年)

概要

スペイン植民地ヌエバ・エスパーニャが独立した後、 1822年7月21日から1823年3月19日にかけて存続した国家。独立運動の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝アグスティン1世を名乗り、絶対君主として統治した。その領土は現在のメキシコの2倍に匹敵するほど広大なものであった。

しかし、成立して間もなく、強権的な皇帝に対する国民の不満が急速に高まり、帝国は1年と経たずに崩壊し、メキシコ合衆国が誕生した。

なお、人口は600万人、面積は4,925,283km²であった。

皇帝

国旗

メキシコ第二帝政(1864年-1867年)

概要

1864年から1867年にかけて存続した国家。

皇帝はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟マクシミリアンで、フランス帝国フランス第二帝政)のナポレオン3世によって樹立された傀儡政権であった。

マクシミリアンは精力的に皇帝としての役目を果たそうとしたが、外国出身でさらにフランス軍を伴ってきたマクシミリアンを、メキシコ国民は支持しなかった。国民の支持のないままマクシミリアンは皇帝となった。

1866年民主主義勢力のベニート・フアレスの反抗に遭ってフランス軍が撤退すると、マクシミリアンは捕らえられて処刑され、ベニート・フアレス大統領の下でメキシコ合衆国が復活した。

なお、人口は8,264,213人、面積は1,972,550km²であった。

皇帝

関連項目

外部リンク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「メキシコ帝国」の関連用語

メキシコ帝国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



メキシコ帝国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのメキシコ帝国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS