中曽根松五郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 経営者 > 日本の実業家 > 中曽根松五郎の意味・解説 

中曽根松五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/24 10:26 UTC 版)

中曽根 松五郎(なかそね まつごろう、1889年明治22年)1月20日 - 1969年昭和44年)6月25日[1])は、日本商人材木商)。

上信電鉄社長も務めた。第71-73代内閣総理大臣中曽根康弘の父。文部大臣科学技術庁長官外務大臣を歴任した中曽根弘文の祖父、衆議院議員中曽根康隆の曽祖父。

来歴・人物

群馬県碓氷郡里見村(現高崎市)に中曾根松五郎(先代)の長男として生まれる。1907年(明治40年)襲名する。

関東有数の材木問屋「古久松」を営んだ。敷地は3ヘクタール(3万平方メートル)もあって、中曽根康弘の学生時代には、働いている職人150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたという[2]。康弘の政界入りには当初は反対したが、最終的には「政治家を目指すなら佐倉惣五郎になれ。」と言って政界入りを後押しした。

1966年(昭和41年)春に勲四等瑞宝章を受章[3]

1969年(昭和44年)没。享年80。

家族

猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録 北海道、奥羽、関東、中部、外地、満州、支那、海外篇』群馬一一頁によれば、

  • 妻・ゆく(中村庄造の妹)
  • 長男・吉太郎
  • 二男・康弘
  • 三男・良介
  • 四男・昌吉
  • 長女・初子

神一行著『閨閥 改訂新版』176頁によれば、「三男・良介は戦死、四男・昌吉は病死している。」という。

エピソード

宗教は仏教。趣味は旅行[4]

脚注

  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、哀悼録6頁。
  2. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』176頁
  3. ^ 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』(叙勲名鑑刊行会、1968年)p.72
  4. ^ 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録 北海道、奥羽、関東、中部、外地、満州、支那、海外篇』(昭和13年)群馬一一頁

参考文献

  • 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録 北海道、奥羽、関東、中部、外地、満州、支那、海外編』(昭和13年)群馬一一頁
  • 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 166-180頁




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中曽根松五郎」の関連用語

中曽根松五郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中曽根松五郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中曽根松五郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS