八角堂とは? わかりやすく解説

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はっかく‐どう〔‐ダウ〕【八角堂】


八角堂

作者伊東

収載図書夢をみる―伊東正作品集
出版社同人
刊行年月2005.3
シリーズ名北・臨時増刊号


八角堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/08 14:55 UTC 版)

法隆寺夢殿

八角堂(はっかくどう)または八角円堂(はっかくえんどう)は、各地にある寺院などの建築物。

古代

中世

興福寺北円堂
  • 興福寺北円堂(鎌倉時代)
  • 法隆寺西円堂(鎌倉時代)
  • 広隆寺桂宮院本堂(鎌倉時代)
  • 東福寺愛染堂(室町時代)
  • 仏性寺本堂(室町時代)

近世

近現代

薬師寺玄奘塔

関連項目


八角堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:04 UTC 版)

正法寺 (八幡市)」の記事における「八角堂」の解説

八幡市八幡大芝にある珍しい隅切り八角形の八角堂は現在正法寺境外仏堂となっているが、そもそも建保年間1213年 - 1219年)に石清水八幡宮社家善法寺祐清が、石清水八幡宮境内阿弥陀如来本尊とする阿弥陀堂として建立したのである。後に大破し慶長12年1607年)に豊臣秀頼によって再建された。しかし再び老朽化し元禄11年1698年)に善法寺清によって再建された。享保年間1716年 - 1736年)には正方形阿弥陀堂四隅切って八角堂に改修された。 明治維新神仏分離に伴い撤去されることが決まると、1870年明治3年)に正法寺住職円阿が貰い受け所有であった西車塚古墳後円部上に移築された。 2012年平成24年)、石清水八幡宮境内が国指定史跡になると、この地も境内一部として指定された。現在は八幡市所有となっている。

※この「八角堂」の解説は、「正法寺 (八幡市)」の解説の一部です。
「八角堂」を含む「正法寺 (八幡市)」の記事については、「正法寺 (八幡市)」の概要を参照ください。

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