前身諸校の創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:32 UTC 版)
1872年の学制発布を受け、当時の大阪・南区に次々と小学校が設置された。 1873年2月9日、南大組第十四区小学校(精華小学校)が開校した。坂町小学校・新川小学校・相生小学校などと改称したのち、1900年6月には戎橋筋に移転し、精華尋常小学校と称した。 1872年3月15日に南大組第十区小学校(大宝小学校)、1873年12月13日に南大組第九区小学校(千年小学校)が開校した。大宝小学校は1873年に最終所在地(現:南小学校敷地)に移転した。大宝・千年の両小学校は1886年に合併し、清泉尋常小学校となった。旧大宝校を本校・旧千年校を分校とした。1893年には大宝尋常小学校の名称に復している。また旧千年小学校敷地を使用し、1900年に大阪市立第二高等女学校(1901年大阪府立清水谷高等女学校に合併)、1906年に大阪府島之内高等女学校(現:大阪府立夕陽丘高等学校)が開校している。 1872年8月25日に清水小学校、1873年2月12日に三津小学校が設置された。2校は1880年に合併し、南区西清水町(現在の中央区西心斎橋)・旧清水小学校敷地に三津清水小学校を設置した。三津清水小学校は1886年に御津尋常小学校へと改称した。 1872年9月18日、南大組第五区小学校(渥美小学校)が創立した。安堂小学校などの名称を経て、1886年に渥美尋常小学校となった。 1873年3月、南大組第十一区小学校(道仁小学校)が開校した。1886年には雄帷尋常小学校と称したが、1893年には道仁小学校の名称に戻している。 1873年6月24日、南大組第六区小学校(芦池小学校)が創立した。1887年には芦池尋常小学校へ改称している。 また西成郡難波村の難波尋常高等小学校(のち大阪市立難波小学校、現在は大阪市立難波元町小学校へ統合)川東分校が1891年に設置され、1893年に西成郡難波第三尋常小学校(1897年大阪市に編入)として独立した。難波第三尋常小学校は1921年、難波河原尋常小学校へと改称している。 明治時代中期以降昭和時代初期まで、現在の校区にあたる地域には、精華・大宝・御津・渥美・道仁・芦池・河原の7小学校が設置されていた。 国民学校令により、1941年に各尋常小学校は国民学校へと改編された。基本的に従来の小学校名をそのまま国民学校の名称として受け継いだが、難波河原尋常小学校については冠称の「難波」をとり河原国民学校となった。 1943年には大阪市の行政区の変更により、河原国民学校校区が浪速区から南区に編入された。
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