博多湾岸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 04:38 UTC 版)
博多湾岸説の概要は次のとおりである。 魏志倭人伝の内容については、原文改訂を一切行わず、且つ、矛盾のないように解釈すべきである。 帯方郡から邪馬壱国への行程記事で「里程」と「日程」が混合されているのは矛盾している。総距離が「一万二千里」とある以上、部分距離も里程で記すことが出来るはずだからである。従って、投馬国への「水行二十日」と邪馬壱国への「水行十日・陸行一月」を「帯方郡→邪馬壱国」への行程の一部分と解釈してきた通説は誤りである。 奴国と投馬国への道のりには「先行動詞」が存在せず、「帯方郡→邪馬壱国」への行程の一部分ではない。「傍線行程」である。 「主線行程」を見ると邪馬壱国は不弥国の南に位置することになる。 邪馬壱国への「水行十日・陸行一月」は帯方郡からの日程である。 上記の解釈に立った場合、対海国と一大国を「半周」したと解釈すると、魏志倭人伝における部分里程と総里程が一致し、矛盾なく解釈できる。 これをまとめると、次のようになる。 A)区間里程 七千余里 帯方郡治→狗邪韓国 千余里 狗邪韓国→対海国 方四百余里 対海国の面積 千余里 対海国→一大国 方三百里 一大国の面積 千余里 一大国→末盧国 五百余里 末盧国→伊都国 百里 伊都国→奴国(傍線行程) 百里 伊都国→不弥国 B)総里程 一万二千余里 帯方郡治→女王国 C)日程 水行二十日 不弥国→投馬国(傍線行程) 水行十日・陸行一月 帯方郡治→女王の都する所
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