大木戸とは? わかりやすく解説

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おお‐きど〔おほ‐〕【大木戸】

読み方:おおきど

《「大城戸(おおきど)」の意》大きな城門

近世国境都市出入り口設けた関門

近世芝居小屋木戸番の頭のこと。

大坂遊郭新町にあった東の大門(おおもん)。


大木戸

読み方:オオキド(ookido)

江戸外縁部に設けられ関門


大木戸

読み方:オオキド(ookido)

所在 福島県伊達郡国見町

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

大木戸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 03:36 UTC 版)

大木戸(おおきど)は、近世の日本の都市の出入り口や国境に設けられた関門、人や物の出入りを管理するための簡易な関所であり、木戸の中で規模が大きなものである。

各地の都市に入る街道筋に大木戸が設けられた。

江戸の大木戸

高輪大木戸。歌川広重『東都司馬八景 高輪帰帆』

江戸では、1616年元和2年)、甲州街道筋(現:新宿区四谷4丁目 )に四谷大木戸が設けられた。

東海道筋には、同年に芝口門が設けられたが、1710年宝永7年)に高輪(現:港区高輪2丁目 )に移転し、高輪大木戸となった。

中山道筋では板橋宿上宿の岩の坂上(現:板橋区本町)に板橋大木戸が設けられた[1]


四谷大木戸・板橋大木戸は、明治の新政府により破壊されてしまい現存しないが、高輪大木戸の東側の石垣は史跡として保存されている。

名古屋の大木戸

橘町の大木戸。『尾張名所図会

名古屋へ入る街道筋に設けられた大木戸の場所は次のとおり。[2][3]

これは樽屋町の西の端、押切村内、巾下白壁町はばしたしらかべちょうが南下して樽屋町に出会う角にあった(『尾府全図』『金鱗九十九之塵』より)。美濃路枇杷島(現・愛知県一宮市)、墨俣大垣(現・岐阜県)を経て中山道垂井宿(現・岐阜県不破郡垂井町)へ通じる。樽屋町には大木戸という地名があった(現在の西区押切町・花の木一丁目)[4]

名古屋の大木戸は『古渡村絵図』『享元絵巻』『尾張名所図会』『絵本上雲雀』などに描かれている。[2]

名古屋の大木戸は1872年(明治5年)に取り壊された。

脚注




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