実戦投入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 16:39 UTC 版)
1939年(昭和14年)度(④計画)の第105号艦。1940年(昭和15年)11月1日、三菱重工業長崎造船所で大和型戦艦武蔵が進水すると、日本海軍は武蔵進水後の船台で秋月型駆逐艦を並べて建造することにした。当初は秋月型4隻を同時建造の予定だったが、実際には2隻ずつ並んでの建造となる。11月13日、照月は三菱重工業長崎造船所で起工。10月25日、第105号艦は「照月」と命名される。同日附で秋月型駆逐艦に類別される。 命名直前の9月12日に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、秋月型3隻(秋月、照月、初月)は第25駆逐隊となり、第25駆逐隊は空母鳳翔および特設航空母艦2隻と『第七航空戦隊』を編制予定であった。だがこの編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、秋月型3隻(秋月、照月、初月)が鳳翔と実戦に参加する事はなかった。 「照月」は真珠湾攻撃直前の11月21日に進水した。 1942年(昭和17年)7月20日、折田常雄中佐(陽炎型駆逐艦浜風初代駆逐艦長、海兵49期)は照月艤装員長に任命される。7月22日、照月艤装員事務所は事務を開始した。「照月」は8月31日に竣工して、佐世保鎮守府籍となる。同日附で照月艤装員事務所を撤去した。折田艤装員長も制式に照月駆逐艦長となった。佐世保に回航後、9月6日同地を出発する。9月8日、横須賀に到着。9月30日に残工事を終えた。
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