崇道天皇社とは? わかりやすく解説

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崇道天皇社

読み方:スドウテンノウシャ(sudoutennousha)

別名 天皇さん

教団 神社本教

所在 奈良県奈良市

祭神 早良親王

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

崇道天皇社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/22 02:24 UTC 版)

崇道天皇社

崇道天皇社
所在地 奈良県奈良市西紀寺町40
位置 北緯34度40分23.99秒 東経135度50分00.90秒 / 北緯34.6733306度 東経135.8335833度 / 34.6733306; 135.8335833 (崇道天皇社)座標: 北緯34度40分23.99秒 東経135度50分00.90秒 / 北緯34.6733306度 東経135.8335833度 / 34.6733306; 135.8335833 (崇道天皇社)
主祭神 崇道天皇(早良親王
社格 旧村社・神饌幣帛料供進社
創建 (伝)平城天皇大同元年(806年
本殿の様式 一間社春日造桧皮葺
別名 紀寺天王
例祭 10月15日
地図
崇道天皇社
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崇道天皇社(すどうてんのうしゃ)は、奈良県奈良市西紀寺町にある神社旧社格村社神饌幣帛料供進社[1]

紀寺天王とも呼ばれ、かつては璉珹寺紀寺)の鎮守として祀られた[2]。同寺東北に鎮座。薬師堂町の御霊神社とともに南都二大御霊社とされる[3]

歴史

平城天皇大同元年(806年)の草創と伝わる[2][4]

五條市の藤井家に蔵される長禄2年(1458年)の「霊安寺御霊大明神略縁起私記」によると、『又奈良ノ南里ノ紀寺ノ天王ト申スモ、崇道天皇ニテマシマスナリ』とあり、怨霊を鎮めるために祀った御霊神社の一つである[5]。南都八所御霊の一座として御霊会が行われる[2]

大乗院寺社雑事記」の応仁2年(1468年)10月15日の条には、春日大社末社であり本地弥勒菩薩であると記されている[2][5]

境内

重要文化財である本殿は、桃山時代創建と推定される春日若宮本殿を、元和9年(1623年)に移建したものである[4][2][5]。現在は南面するが、1875年明治8年)までは鳥居、表門をくぐると真正面の向き、すなわち西向きであった[4]

境内社は祓戸社天満宮稲荷社の3社で、神社明細帳(明治24年)によると、春日社も他の二社とともに独立してまつられていたが、現在は祓戸社と相殿になっている[4]

神楽殿安政2年(1855年)の再興で、斎館は1940年昭和15年)の竣工[4]神輿庫には享保2年(1717年)ごろ修理された古い神輿があり、秋祭礼に用いられる[4]

この他、1520平方メートルほどの広い境内には、春日見の腰掛石やあちこちに巨木が残っている[4]

祭神

祭神早良親王は、天応元年(781年皇太子となったが、藤原種継暗殺に連座した疑いを受け延暦4年(785年)に廃嫡された[2]淡路国に配流の途上、49歳で薨去[2]。淡路国にて葬られたが、怨霊を鎮めるために崇道天皇の諡号を追贈し、御骨は大和国八島陵に改葬し、また本社の祭神として祀ったとされる[2]

境内社

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本殿

その他の文化財

出典

  1. ^ 奈良県史 第5巻 神社、p.22
  2. ^ a b c d e f g h 奈良県史 第5巻 神社、p.267
  3. ^ 奈良県史 第5巻 神社、p.265
  4. ^ a b c d e f g h 奈良市史 社寺編、p.87
  5. ^ a b c 日本歴史地名大系. 第30巻 (奈良県の地名)、p.520

参考文献

  • 池田源太、宮坂敏和、奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。ISBN 462601335X 
  • 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年、87頁。 
  • 『日本歴史地名大系. 第30巻 (奈良県の地名)』平凡社、1981年、520頁。 

関連項目


崇道天皇社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 04:24 UTC 版)

八島陵」の記事における「崇道天皇社」の解説

1886年明治19年)の移築まで、現在の八島陵中心部祀られていた。慶応元年1865年)、この敷地崇道天皇陵であると判明するまで、近傍12郷社として信仰集めた毎年8月には降雨祈願して一会催され法楽芸能として相撲田楽猿楽踊り念仏などが郷民により奉納されたが、見物人重み仮屋屋根崩れた事もあるほど、群衆で賑わったという。 本殿式年造替伴って春日大社本殿移築したものであったが、1886年御陵整備に伴い崇道天皇社は近傍嶋田神社合祀され、本殿嶋田神社本殿として移築された。

※この「崇道天皇社」の解説は、「八島陵」の解説の一部です。
「崇道天皇社」を含む「八島陵」の記事については、「八島陵」の概要を参照ください。

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