水野寅次郎
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水野 寅次郎(みずの とらじろう、1854年9月29日(嘉永7年8月8日)[1] - 1909年(明治42年)6月23日[2])は、明治期の政治家、新聞編集者、内務官僚。官選奈良県知事。
経歴
土佐国で土佐藩士・水野幾七の二男として生まれる。立志社に加わり自由民権運動に参加。1877年、西南戦争において西郷軍に加わろうとして逮捕された[3]。1880年10月、立志社を離脱して同志と「共行社」を起こし民権運動から離れた[4]。同年10月、内務省御用掛となり[5]、さらに和歌山県少書記官を務めた[3]。
1882年に退官し、同年、東洋新報社長に就任。福地源一郎、丸山作楽と立憲帝政党を結成したが翌年に解散した。1886年、警視庁三等警視に任官。以後、小石川警察署長、内閣書記官を歴任。1896年12月、奈良県知事に就任。郡制の実施、県立八木測候所の設立、生駒郡農事試験場の設置などを推進[3]。1899年2月21日、知事を非職となる[6]。その後退官し帰郷[3]。
1905年、日露戦争の終結について非講和論を唱えた[3]。1909年6月、病のため故郷で死去した[2]。
栄典
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 宮武外骨『明治密偵史』〈明治表裏叢書 ; 2〉有限社、1926年。
- 太政官「高知県士族水野寅次郎御用掛準奏任ノ件」明治13年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-010-00・公02891100
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