洪武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 00:17 UTC 版)
洪武(こうぶ)は、中国、明代の元号(1368年 - 1398年)。初代皇帝である太祖・朱元璋の在世中に使われたため、朱元璋は洪武帝と呼ばれる。
概要
元朝の至正28年(1368年)1月9日より使用開始。元年から一世一元の制を採用した。洪武31年閏5月10日(1398年6月24日)、洪武帝が崩御し、皇太子朱允炆(建文帝)が即位するが、明朝は踰年改元法(先帝が崩御した年の末まで従来の年号を継続する方式)を採用するため、翌年正月に建文に改元。
ところが、靖難の変によって1402年に皇帝となった永楽帝は、対立者であった建文帝の即位を認めず、建文の年号もなかったこととし、建文年間を洪武32年から35年とした。しかし、後世で万暦帝が再び洪武32年から35年を建文に戻した。
なお、明建国の1年前になる至正27年(1367年)、呉王を称していた朱元璋はこの年を元年とする在位紀年を建てている[1]。
西暦との対照表
洪武 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
西暦 | 1368年 | 1369年 | 1370年 | 1371年 | 1372年 | 1373年 | 1374年 | 1375年 | 1376年 | 1377年 |
干支 | 戊申 | 己酉 | 庚戌 | 辛亥 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 |
洪武 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | 1378年 | 1379年 | 1380年 | 1381年 | 1382年 | 1383年 | 1384年 | 1385年 | 1386年 | 1387年 |
干支 | 戊午 | 己未 | 庚申 | 辛酉 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 |
洪武 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
西暦 | 1388年 | 1389年 | 1390年 | 1391年 | 1392年 | 1393年 | 1394年 | 1395年 | 1396年 | 1397年 |
干支 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 |
洪武 | 31年 | |||||||||
西暦 | 1398年 | |||||||||
干支 | 戊寅 |
脚注
前の元号 ― |
中国の元号 明 |
次の元号 建文 |
洪武
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洪武帝は建国の翌年の洪武2年(1369年)に詔勅を出し、宮廷で使用する祭器には磁器を用いることと定めた。貧農から身を起こした洪武帝(朱元璋)は倹約を宗とし、宮廷の祭器にも高価な金銀器の代わりに磁器を用いるように命じたものである。『大明会典』によれば、洪武26年(1393年)に出された規則には、官窯の磁器は民窯とは違った官窯独自の様式を用いるべきこと、宮廷御用の磁器は工人を都の応天府(南京)に呼び寄せて焼かせるが、必要な器の数が少ない場合は景徳鎮や龍泉窯で焼かせることなどが定められている。こうしたことから、洪武年間(1368 - 1398年)には応天府(南京)に官窯が存在したことが想定されているが、その実態は明らかでない。南京の洪武宮址からは多数の陶片が出土しており、これについては1976年の『文物』誌に南京博物院による報告がある。出土陶片の中には五爪の竜が描かれた白磁紅彩竜紋皿があった。五爪の竜は皇帝専用の紋様であることから、この皿は宮廷使用のものであり、工人を応天府に招聘して焼かせた可能性もある。洪武年間の磁器には、後の時期のように「○○年製」という年款銘を入れた作品はないが、元代とも、後の永楽期とも異なる様式の磁器で、上述の洪武宮址出土陶片と作調の共通するものが洪武様式とみなされている。洪武期に比定されている作品には、青花、釉裏紅のほか、印花紋のある単色釉磁、内外に別色の釉を掛け分けた鉢などがある。青花や釉裏紅の紋様は植物紋が多く、盤、鉢などの見込み中央に花卉紋、周囲に唐草紋を表すものが典型的である。コバルト顔料の不足のため、青花の色は淡く仕上がっている。
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