玖珠郡衆とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 玖珠郡衆の意味・解説 

玖珠郡衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/29 02:01 UTC 版)

玖珠郡衆(くすこおりしゅう)は、平安時代末期、11世紀の終わり頃に豊後の国球珠郡( 大分県玖珠郡 )におこった一群の武士団。

清原正高を始祖とし長野党あるいは長野十二家と呼ばれ、その支族は二十数家に分かれ二十四家とも呼ばれた。これを一般には清原一族と称し大野郡を本拠地とする大神氏、国東の紀氏、日田の大蔵氏らと共に豊後を代表する在地土豪であった。文永の役には守護大友頼泰 に従い出陣しており弘安の役の際には一族ほとんどが参戦するなど大友氏を支えた。

戦国時代にあっては玖珠衆と呼ばれ国侍の中核をなしていた。守護大友氏の治下にあっても「国侍持切りの国」といわれ隠然たる勢力を持っていた事が窺える。1586年には、島津家の侵攻を受けて角牟礼城に籠城し、守り切っている[1][2]

長きにわたり様々な運命を共にしたが、戦国末期に大友氏が滅亡すると共にその所領を失い武士団としての生命を断たれ山野に隠れ住み帰農、また他家を頼り離散するなどして史上からその姿を消した。

出典

  1. ^ 角牟礼城”. 日本の城がわかる事典. コトバンク. 2016年4月3日閲覧。
  2. ^ 角牟礼城跡”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2016年4月3日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「玖珠郡衆」の関連用語

玖珠郡衆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



玖珠郡衆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの玖珠郡衆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS