真福寺_(羽島市)とは? わかりやすく解説

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真福寺 (羽島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 06:12 UTC 版)

真福寺
真福寺(2007年平成19年)撮影)
所在地 岐阜県羽島市桑原町大須2759-131
位置 北緯35度16分16.7秒 東経136度40分37.7秒 / 北緯35.271306度 東経136.677139度 / 35.271306; 136.677139座標: 北緯35度16分16.7秒 東経136度40分37.7秒 / 北緯35.271306度 東経136.677139度 / 35.271306; 136.677139
山号 北野山
院号 宝生院(寶生院、寳生院)
宗派 真言宗
寺格 単立
本尊 聖観世音菩薩
創建年 伝・1236年嘉禎2年)頃
正式名 北野山 宝生院 真福寺
別称 大須観音、出世観音
札所等 美濃四国34番
文化財 阿弥陀如来坐像・聖観音立像(市文化財)
法人番号 2200005003736
真福寺
真福寺 (岐阜県)
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真福寺(しんふくじ)は、岐阜県羽島市桑原町大須にある真言宗の寺院。

概要

本尊聖観世音菩薩。通称は大須観音。

愛知県名古屋市中区大須にある大須観音は、元々はこの真福寺の一院である「宝生院」が移転した寺院である。

美濃四国札所第三十四札所。なお、隣接地に第33札所の徳林寺がある。

沿革

1236年嘉禎2年)頃、この地に観音堂が建立されたのが起源と伝えられる。

1324年元亨4年)、後醍醐天皇尾張国中島郡長岡庄大須(現岐阜県羽島市)に北野天満宮を創建。1333年元弘3年)に同社の別当寺として、能信が創建する(1366年の説もある)。

1371年から翌1372年にかけて、僧・賢瑜によって『古事記』3帖が書写された。これは現在に伝わる最も古い『古事記』の写本であり、真福寺本(国宝)と呼ばれるものである。

1612年慶長17年)、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって、真福寺の一院である宝生院が名古屋城城下に移転する。その際、上記『古事記』や古典籍、絵画のほとんどが移動し、真福寺のある地名「大須」も移動される。このことがきっかけとなり、真福寺は衰退する。

その後も幾たびかの洪水で荒廃するが、地元の人々に守られ続けられる。1964年昭和39年)、現在地に移転する。

所在地

  • 岐阜県羽島市桑原町大須2759番地の131

交通手段




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