知識人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/17 21:49 UTC 版)
「クィントゥス・カエキリウス・メテッルス」の記事における「知識人として」の解説
マルクス・トゥッリウス・キケロはメテッルスが「雄弁家として知られていた」としている。メテッルスのこのような評判は、彼の父の葬儀での演説で裏づけられる。この演説は、部分的ではあるが現存する最古のラテン語の散文で、大プリニウスがその『博物誌』の中で引用している:「父は人々の中でまずは戦士に、優れた雄弁家になるべく努力し、偉大な勝利を収めた司令官として最高の栄誉を得ることができた。優れた知恵を持ち、主席元老院議員となり、幸運を呼び寄せ、多くの子を残し、友人である市民達に栄光をもたらした」。ウァレリウス・マクシムスはその『有名言行録』で、メテッルスの他の演説を引用している。第二次ポエニ戦争が終了した際に、メテッルスは「ローマは良き事よりもより多くの害悪をもたらすことになるであろう」と述べたという。
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