第2文
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gar dar ajal-am mosāmeḥat khāhad būd rowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]d yaʿnī [ke] khalīq gardad-īn [charkh-e] kabūd bedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd 羽田亨訳“If there be indulgence in regard to my life, / I shall brignten my eyes by looking on your face, / But if this blue (sky) were to turn against me, / You bid me farewell and I bid you the same.” (1909年発表)(前嶋信次訳「もしわが生涯にめぐみ下らば/おんみの顔みて、眼を輝かさむ/されど青き空つれなく変らば、/おんみは別れ去り、我もしかせむ」) “Hero will possess the mildness and benevolence, / Let my eyes brighten quickly by looking on your face, / That is to say, my companion has made my heart (eyes) blue, / This is my farewell; you, farewell from me.” (1953年発表) 「英雄は温雅と慈悲とを持つならん/願はくは速やかに其の顔容によりて我が眼を輝かしむるを得ん/我が友は我が眼を青くせり(青は悲哀の色)/これ我が告別の言葉なり 汝に致せる我が告別の言葉なり」 クレマン・ユアール(英語版)訳 «Le héros possédera la mansuétude et ala bienveillance. Bends moi clair cet œil par ton viasge, vite! ― C'est-à-dire, ma compagne a rendu mon œil bleu (couteur de deuil); c'est mon adieu; toi, adieu de moi!» (前嶋信次訳「英雄にのぞましきは優しさと寛大さよ/いざ、おんみの顔でわが目を輝かさしてよ/友がわが眼を別れにて青く(くもら)したれば。/いざさらば、友よ、いざさらば」) 亜実理レザ訳「男によいでき事の以前には忍耐がある、/人とのであいはあなたの瞳に光を与え、/まさに暗い瞳が明るく輝く、/私からあなたに挨拶を贈ろう、」 黒柳恒男訳「もしわが死(神)に寛大さがあるならば/早くそなたに会ってこの目を輝かそう/つまり、青い鎌(大空)は愛想がよくなる/わが別れの言葉、そなたへのわが別れの言葉」 杉田英明訳「もしわが死神に寛大さがあるならば、/私は早く御身に再会してこの眼を輝かそう。/つまりこの碧〔い空〕は優しきものとなるだろう。/(これぞ)わが惜別、御身へのわが惜別の言葉なり。」 ルバーイー形式の四行詩であるが、韻律はかなり崩れている。また、第1文に比べ書体の崩れが大きく、判読が困難で、特に1行目と3行目は判読によってかなり解釈が異なる。 なお、『インドの遺跡におけるペルシア語の碑文 』の著者であるモハンマド・アジャムは、次のように述べている: 異国人がペルシア語の詩を暗記していたことは、これらの詩が有名であり、かつ重要なものであることを示している。3つの詩とも、イランの著名な詩人の作である。第一文は、ファフルッディーン・アサド・グルガーニーの叙事詩『ヴィースとラーミーン』 、第二文は、フェルドウスィー の叙事詩『シャー・ナーメ』、第3文は、ラシードゥッディーンの『集史 』 からの引用である。第3文の詩は、『シャー・ナーメ』に登場するイランの神話上の人物イーラジが、父 フェリドゥーン と永遠の悲しみの別れをする場面を語っている。 . 惜別の詩である、第2文の四行詩の第3句はこれまで様々な解釈がされてきたが、現在は、『シャーナーメ(王書)』に登場する神話上の王フェリドゥーンと息子のイーラジとの永遠の悲しみの別れについての詩であることが判明している。四行詩は、ラシードゥッディーン・ファズロッラー・ハマダーニーが編纂した『集史』の135頁と136頁に記されている。 フェリドゥーンとイーラジの別れの物語は次のとおりである:フェリドゥーンはサルムにルームとユーラシア大陸の西方を、トゥールにトゥーラーンと中国を、イーラジにイランを与え、それぞれの国を治めさせた。しかしイーラジを妬む2人の兄はこれを不公平と非難する声明をフェリドゥーンとイーラジに送り、フェリドゥーンはこれに対して断固として立ち向かうことを表明した。フェリドゥーンはイーラジに身を守るよう助言するが、イーラジは兄たちへの信頼を捨てず、彼らに服従する道を選んだ。フェリドゥーンはサルムとトゥールにイーラジの決意を書いた書簡を送ったが彼らは聞き入れず、ついにイーラジを殺害した。 gar dar ajal-am mosāmeḥat khāhad būdrowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]dyaʿnī [ke] khalīq gardad-īn [charkh-e] kabūdbedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd「もしわが死神に寛大さがあるならば、/私は早く御身に再会してこの眼を輝かそう。/つまりこの碧〔い空〕は優しきものとなるだろう。/(これぞ)わが惜別、御身へのわが惜別の言葉なり。」(杉田英明訳)つまり、もし神が私に優しさと恵みを授けるなら、汝との再会を喜ぶことができるだろう、との意味である。「碧い空」とは、古代イランにおいて「運命」を意味し、「廻る天輪」とも言われた。”bedrūd”とは、もう二度と再会することができない別れの意味である。ここでは、もはや汝と会うことはできないだろうとの意味である。この句はペルシア語のことわざにもなっている。「さあ、お別れの時だ、さようなら、そなたの無事を願う(実際は自ら友と天国で会うことを願っている)」イランでは、ある人が遠く長い旅に出るとき、よく行われたお別れの挨拶である。 日本で発見された文書には、いくつかの文字が抜け落ちているが、当時は珍しいことではなかった。なぜなら、詩歌は口から口へと伝えられ、文字に書き写すことは少なかったためである。よってこのイラン人の水夫は詩を完全な形では書かなかったと思われる。いずれにせよ、この四行詩はペルシア語を話す人々の間では有名な詩であった。サアディーやシャフリヤール、イブンバトゥータなどは、ペルシア語の水夫の歌を引用している。つまり、 1. gar dar ajal-am mosāhelat khāhad būd意訳:私の死の時が訪れば 2. rowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]d意訳:そなたに会い、あの世でのそなたとの再会を喜ぶだろう 3. Pas Gar be khalaaf Gardad Aas- e- kabūd.(chark e- kabud )意訳: 4. bedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd意訳:さあ、お別れの時だ、さようなら、そなたの無事を願う(実際、彼はその日本人と天国で会うことを願っている。イランでは、ある人が遠く長い旅に出るとき、よく行われたお別れの挨拶である) と読めるという 。作者は、廻る天輪、碧い天について述べている。作者の意図としては、有名なことわざである「山と山は出会えないが、人と人は出会える」という思いを主張しているのだということである。
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