第2文とは? わかりやすく解説

第2文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:26 UTC 版)

紙本墨書南番文字」の記事における「第2文」の解説

gar dar ajal-am mosāmeḥat khāhad būd rowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]d yaʿnī [ke] khalīq gardad-īn [charkh-e] kabūd bedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd 羽田亨訳“If there be indulgence in regard to my life, / I shall brignten my eyes by looking on your face, / But if this blue (sky) were to turn against me, / You bid me farewell and I bid you the same.” (1909年発表)(前嶋信次訳「もしわが生涯にめぐみ下らば/おんみの顔みて、眼を輝かさむ/されど青き空つれなく変らば、/おんみは別れ去り、我もしかせむ」) “Hero will possess the mildness and benevolence, / Let my eyes brighten quickly by looking on your face, / That is to say, my companion has made my heart (eyes) blue, / This is my farewell; you, farewell from me.” (1953年発表) 「英雄温雅慈悲とを持つならん/願はくは速やかに其の顔容によりて我が眼を輝かしむるを得ん/我が友は我が眼を青くせり(青は悲哀の色)/これ我が告別言葉なり 汝に致せ我が告別言葉なり」 クレマン・ユアール(英語版)訳 «Le héros possédera la mansuétude et ala bienveillance. Bends moi clair cet œil par ton viasge, vite! ― C'est-à-dire, ma compagne a rendu mon œil bleu (couteur de deuil); c'est mon adieu; toi, adieu de moi!» (前嶋信次訳「英雄にのぞましきは優しさ寛大さよ/いざ、おんみの顔でわが目を輝かさしてよ/友がわが眼を別れにて青く(くもら)したれば。/いざさらば友よいざさらば」) 亜実理レザ訳「男によいでき事以前には忍耐がある、/人とのであいはあなたの瞳に光を与え、/まさに暗い瞳が明るく輝く、/私かあなたに挨拶贈ろう、」 黒柳恒男訳「もしわが死(神)に寛大さがあるならば/早くそなたに会ってこの目を輝かそう/つまり、青い鎌(大空)は愛想よくなる/わが別れの言葉そなたへのわが別れの言葉杉田英明訳「もしわが死神寛大さがあるならば、/私は早く御身再会してこの眼を輝かそう。/つまりこの碧〔い空〕は優しきものとなるだろう。/(これぞ)わが惜別御身へのわが惜別言葉なり。」 ルバーイー形式四行詩であるが、韻律はかなり崩れている。また、第1文に比べ書体崩れ大きく判読が困難で、特に1行目と3行目は判読によってかなり解釈異なる。 なお、『インドの遺跡におけるペルシア語の碑文 』の著者であるモハンマド・アジャムは、次のように述べている: 異国人ペルシア語の詩を暗記していたことは、これらの詩が有名であり、か重要なのであることを示している。3つの詩とも、イラン著名な詩人の作である。第一文は、ファフルッディーン・アサド・グルガーニーの叙事詩ヴィースとラーミーン』 、第二文は、フェルドウスィー叙事詩『シャー・ナーメ』第3文は、ラシードゥッディーンの『集史 』 からの引用である。第3文の詩は、『シャー・ナーメ』登場するイラン神話上の人イーラジが、父 フェリドゥーン永遠悲しみ別れをする場面語っている。 . 惜別の詩である、第2文の四行詩第3句はこれまで様々な解釈がされてきたが、現在は、『シャーナーメ王書)』に登場する神上のフェリドゥーンと息子のイーラジとの永遠悲しみ別れについての詩であることが判明している。四行詩は、ラシードゥッディーン・ファズロッラー・ハマダーニーが編纂した集史』の135頁と136頁に記されている。 フェリドゥーンイーラジ別れ物語次のとおりである:フェリドゥーンはサルムにルームユーラシア大陸西方を、トゥールトゥーラーン中国を、イーラジイラン与えそれぞれの国を治めさせた。しかしイーラジを妬む2人の兄はこれを不公平と非難する声明フェリドゥーンイーラジ送りフェリドゥーンはこれに対して断固として立ち向かうことを表明したフェリドゥーンイーラジ身を守るよう助言するが、イーラジ兄たちへの信頼捨てず、彼らに服従する道を選んだフェリドゥーンはサルムとトゥールイーラジ決意書いた書簡送ったが彼らは聞き入れず、ついにイーラジ殺害したgar dar ajal-am mosāmeḥat khāhad būdrowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]dyaʿnī [ke] khalīq gardad-īn [charkh-e] kabūdbedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd「もしわが死神寛大さがあるならば、/私は早く御身再会してこの眼を輝かそう。/つまりこの碧〔い空〕は優しきものとなるだろう。/(これぞ)わが惜別御身へのわが惜別言葉なり。」(杉田英明訳)つまり、もし神が私に優しさ恵み授けるなら、汝との再会を喜ぶことができるだろう、との意味である。「碧い空」とは、古代イランにおいて「運命」を意味し、「廻る天輪」とも言われた。”bedrūd”とは、もう二度と再会することができない別れの意味である。ここでは、もはや汝と会うことはできないだろうとの意味である。この句はペルシア語ことわざにもなっている。「さあ、お別れの時だ、さようなら、そなたの無事を願う(実際は自ら友と天国で会うことを願っている)」イランでは、ある人が遠く長い旅に出るとき、よく行われたお別れ挨拶である。 日本発見され文書には、いくつかの文字抜け落ちているが、当時は珍しいことではなかった。なぜなら、詩歌は口から口へと伝えられ文字書き写すことは少なかったためである。よってこのイラン人水夫は詩を完全な形では書かなかったと思われるいずれにせよ、この四行詩ペルシア語を話す人々の間では有名な詩であったサアディーシャフリヤールイブンバトゥータなどは、ペルシア語水夫の歌引用している。つまり、 1. gar dar ajal-am mosāhelat khāhad būd意訳:私の死の時が訪れば 2. rowshan konam-īn dīde be-dīdār-e to z[ū]d意訳:そなたに会いあの世でのそなたとの再会を喜ぶだろう 3. Pas Gar be khalaaf Gardad Aas- e- kabūd.(chark e- kabud )意訳: 4. bedrūd-e man-ast tō ze-man bedrūd意訳:さあ、お別れの時だ、さようなら、そなたの無事を願う(実際、彼はその日本人天国で会うことを願っている。イランでは、ある人が遠く長い旅に出るとき、よく行われたお別れ挨拶である) と読めるという 。作者は、廻る天輪、碧い天について述べている。作者の意図としては、有名なことわざである「山と山は出会えないが、人と人は出会える」という思い主張しているのだということである。

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