精神的指導者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:12 UTC 版)
「ジョゼフ・ウレザンスキ」の記事における「精神的指導者」の解説
1958年、ウレザンスキは任務を終え、エーヌ県に戻ることになっていたが、住民たちがドゥイヤール司教に請願書を送り、「ウレザンスキ神父は我々の精神的指導者である」として派遣延長を求めた。ドゥイヤール司教はこれを認め、ウレザンスキは1974年までビドンヴィルに暮らし続けた。彼は「貧困対策に必要なのは施しや慈善ではなく、人間としての基本的な権利を与えること」、社会に立ち向かうことができるよう「助け起こす」こと、「侮蔑される者、他人より劣った者」と感じさせないこと、どんなことがあっても彼らを守ることと繰り返し訴えた。そしてそのために必要なのが教育と就業であった。学校をさぼる子どもは容赦なく叱りつけ、差別を受けながらも職探しを続ける若者たちを支援した。やがて住民のなかから貧困撲滅活動家が育ち、他のビドンヴィルからの求めに応じて「常任ボランティア」としてフランス各地で活動を展開した。こうした活動はジュヌヴィエーヴ・ド・ゴールを中心にカトリック作家フランソワ・モーリアックなど知識人や政治家の支援を得るなどして世界中に知れ渡るようになり、彼女が会長に就任した1964年には、アメリカ合衆国に支部が設立された。また、貧困研究国際委員会が設置され、以後、ATD第四世界は国際運動に発展していった。現在、フランス官公庁、人権擁護団体などの国内組織はもちろん、アムネスティ・インターナショナル、世界の医療団などの国際組織との連携により、世界30か国以上で貧しい地域の子どもやコミュニティのために活動を行なっている。また、アジアでATD第四世界のネットワークに参加している国は、日本を含む15か国に及んでいる。
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