織田家の武将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:29 UTC 版)
織田信長による援軍は、二俣城落城の少し前に派遣された。この織田家から派遣された武将には諸説が有り、 信長公記 - 佐久間右衛門・平手甚左衛門・水野下野守大将トシテ、 松平記 - 平手(汎秀)・水野(信元)・林(秀貞)・佐久間(信盛)、 佐久間軍記 - 佐久間右衛門尉ヲ為大将、七頭ヲサシコサル 明智軍記 - 佐久間右衛門尉・林佐渡守・滝川左近将監、五千余騎ヲ卒シ、 総見記 - 佐久間右衛門尉・平手甚左衛門ヲ両将トシ、林佐渡守・水野下野守・毛利河内守・美濃三人衆(稲葉良通、安藤守就、氏家直元)、都合三千ノ人数ヲ遣ハサレ、 となっている。 谷口克広は「佐久間は織田軍の最有力武将、平手は織田家代々の家老の家柄、水野は尾張から三河にかけて大きな勢力を持つ水野一族の惣領である。それを合計してわずか3千の兵というのは信じがたい。おそらく信長は、彼らの兵をほとんど尾張・美濃方面に残しておいたのだろう。」と援軍の武将と兵数を評している。
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