西海国立公園
九州の西岸には、多くの群島がある。この公園に含まれる九十九(くじゅうく)島や五島列島、雲仙天草国立公園の天草諸島が代表的であるが、ほかに佐賀県の東松浦半島の周辺にも島が多い。また、鹿児島県西方の甑(こしき)島列島も数えることができる。古くから日本歴史に登場する地域であり、数々の光と影を内に秘めた自然がある。
これらの島は、いずれも山地が沈水したもので、入り組んだ海岸線を持ち、すぐれた多島海景観が展開する。九十九島は小島の密集度では日本一とされる。
九十九島と平戸
[九十九島]
佐世保から平戸にかけての九州北西部の海岸域と、五島列島を区域とする公園で、昭和30年に指定された。
九十九島は佐世保市沖の南九十九島と、佐々浦から平戸にかけての北九十九島に分けられ、合わせて208の島からなる。照葉樹の濃い緑に覆われた島々と、青く澄みきった海の対比は鮮やかで、海上遊覧に人気がある。陸上からも弓張岳、烏帽子(えぼし)岳、石岳など、海岸沿いの溶岩台地上に展望台があり、小島の密集する景観を俯瞰できる。鹿子前は、この地域の利用拠点であり、多くの施設がある。
[塩俵の断崖]
平戸島は生月(いきつき)大橋によって生月島と、平戸大橋によって九州本土と、それぞれ連絡している。大橋のかかる平戸の瀬戸が平戸港で、かつて宋・明時代の中国やヨーロッパとの交易の拠点として、オランダ商館などがあったところである。また、倭冦もこのあたりを基地にしていた。
両島とも西海岸に海食崖が発達し、生月島北西部の塩俵(しおだわら)の断崖には、大規模な柱状節理(ちゅうじょうせつり)が見られる。内陸部では、平戸島の最高峰安満(やすまん)岳(535m)や、草原が広がる川内峠が展望地点である。九十九島をはじめ北九州の山地や玄界灘、さらに遠く壱岐まで望むことができる。また、南端の志々伎(しじき)山(347m)は、槍ヶ岳に似た尖峰を立てる特異な山容が航海の目標となり、山麓には肥前風土記にも登場する志々伎神社がある。
外洋性多島海の五島
[嵯峨ノ島]
五島列島は、東シナ海に面する日本唯一の外洋性多島海である。大小250以上の島からなる。海岸線は屈曲に富み、特に中通(なかどおり)島と若松島の間の若松瀬戸は、断層による長さ14kmの狭い水道に小さな岬が多数張り出し、小島や岩礁も多いきわめて複雑な地形を示す。
福江島は五島最大の島である。西端の大瀬崎は、高さ100〜160mの海食崖が連なり、五島随一の景勝の評がある。背後の玉之浦湾は長さ10kmに及ぶ深く入り組んだ湾である。東南部の鬼(おん)岳、火ノ岳などの山群は火山活動によって生まれた山で、鬼岳は全面シバ草原となっており、展望がよい。南麓の鐙瀬(あぶんぜ)海岸は溶岩流が海に入ったところである。また、西北海上にある嵯峨ノ島の断崖は、海食によって火口の断面が露出することで知られる。
五島は、長崎から隠れキリシタンが移住したところでもあり、今も各地に教会が多い。福江島北部の堂崎教会は、明治41年に改築されたもので、五島最初の洋風建築であり、内部に禁制時代の資料が展示されている。また、同島の三井楽(みいらく)は、中通島の青方などとともに、遣唐使船が東シナ海を渡る際に順風を待った港である。
小値賀(おじか)島西方の斑(まだら)島の甌穴(おうけつ)(ポットホール)は、深さ3m径2mの穴に径40cmもある大きな球形の石が入っており、「玉石様」と呼ばれて信仰の対象となっている。
この公園の利用は、陸上や海上からの風景の探勝のほか、五島では釣りやダイビングなどを楽しむ人も多い。造礁サンゴやヤギ類の多い五島市沖の竹ノ子島などの海面と、若松瀬戸に海中公園地区が指定されている。
関連リンク
- 西海国立公園 (環境省ホームページ)
西海国立公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 01:11 UTC 版)
西海国立公園 Saikai National Park | |
---|---|
![]() ![]() | |
指定区域 | 北緯32度40分11秒 東経128度37分38秒 / 北緯32.66972度 東経128.62722度座標: 北緯32度40分11秒 東経128度37分38秒 / 北緯32.66972度 東経128.62722度 |
分類 | 国立公園 |
面積 | 24,646 ha(陸域)[3] |
指定日 | 1955年3月16日 |
運営者 | 環境省 |
年来園者数 | 456万人(2010年)[4] |
事務所 | 九州地方環境事務所 |
事務所所在地 |
〒860-0047 熊本県熊本市西区春日2-10-1熊本地方合同庁舎B棟4階 |
公式サイト | 西海国立公園(環境省) |
西海国立公園(さいかいこくりつこうえん)は、長崎県西部に位置する国立公園である。1955年(昭和30年)3月16日に日本で18番目に指定を受けた。キャッチフレーズは「島と海、自然と文化のクルスロード」。面積は24,646ヘクタール(ha)。
リアス海岸と200余りの小島からなる内湾樹枝状多島海景観に特徴付けられる九十九島をはじめ、交易と潜伏キリシタンの平戸島や単成火山群の五島など、大小400に及ぶ島々が繰り広げる多島海景観を特徴とする。
指定区域
指定されている区域は大きく下記の3つに分けられる。
- 指定面積
- 1972年10月16日区域変更の時点
- 陸域 計24,646 ha[3]
- うち特別保護地区 80 ha、第1種特別地域 1,870 ha、第2種特別地域 13,255 ha、第3種特別地域 8,446 ha、普通地域 995 ha[3]
- 海域(普通地域を含む概算) およそ54,000 ha[注 1]
- うち海域公園地区 30.4 ha - 2地区計5か所[3]
指定までの流れ
九十九島地域では、1949年(昭和24年)当時佐世保市長だった中田正輔により、国立公園指定へ向けた動きが始まった。 戦後経済混乱期において、戦前に大日本帝国憲法に基づく欽定法の國立公園法勅令で指定された雲仙国立公園が観光収益で地域経済に大きく寄与していたことに着目したものである。
国立公園誘致運動は、日本国憲法となり国立公園指定が勅令によるトップダウンから誘致運動などのボトムアップが可能となったことから、多くの地方で観光振興による地域経済復興を目指すための手段として昭和20年代に盛んに行われたもので、戦前の勅令指定国立公園と昭和62年の釧路湿原国立公園を除く昭和に指定された国立公園の殆どがこの運動に起源を持つ。 また各地の運動は市町村主体の地方自治体発案によるものだったため、自然公園として相応しい面積要件の確保が困難なものが多数あったことから、内務省に代わり戦後の国立公園行政を所管することとなった厚生省はその救済措置として世界で類を見ない国定公園制度を導入するに至った。
当時の長崎県内では九十九島(平戸)、五島、対馬(壱岐)の3か所でそれぞれ国立公園指定運動があり、厚生省は国定公園の打診をしたが九十九島と五島は国立公園の名称を獲得するために連合し、国立公園名も律令時代の五畿七道で九州を指す西海道を引用し「西海国立公園」とし誘致運動を行った。
戦前までは特に九十九島地域において軍港に近いために写真撮影が禁止されるなどの種々の制限があったことから、観光地としてはあまり知られていない地域であったために実現を疑問視する声は大きかったが、中田市長の熱意の下、県や周囲の町村を動かし、一市五十三町村からなる「西海国立公園指定期成会」を1950年(昭和25年)に設立した。1951年(昭和26年)には西海国立公園の実現を公約に掲げた西岡竹次郎知事が誕生。市は東京大学、京都大学、長崎大学にそれぞれ周辺の地理や歴史、風俗などの調査を依頼し、また厚生省に幾度も陳情し同省の官僚や国立公園審議会の委員を招き、県は国立公園指定の請願書を衆議院及び参議院へ提出した。また、当時毎日新聞社が行った日本観光地百選に九十九島は海岸の部で3位に入賞するという動きもあった。
そうした努力と真価が認められ、1954年(昭和29年)8月の国立公園審議会では満場一致で国立公園に決定、翌1955年3月に政府が公式発表を行い、ここに西海国立公園が誕生した。
火山
主な観光スポット
九十九島地域
平戸・生月地域
五島列島地域
関連する曲
- 西海讃歌(作詞藤浦洸、作曲團伊玖磨)
- 九十九詩人(作詞阿久悠、作曲羽田健太郎)
- 西海ブルース(内山田洋とクール・ファイブ、作詞永田貴子、作曲尾形よしやす)
関係市町村
脚注
注釈
出典
- ^ “西海国立公園の区域図(東部)” (PDF). 環境省. 2012年10月6日閲覧。
- ^ “西海国立公園の区域図(西部)” (PDF). 環境省. 2012年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e f “西海国立公園の公園紹介”. 環境省. 2023年10月7日閲覧。
- ^ “国立公園の利用者数(公園、年次別)” (PDF). 環境省. 2012年10月6日閲覧。
- ^ “Saikai” (英語). World Database on Protected Areas (WDPA). UNEP-WCMC. 2023年10月7日閲覧。
外部リンク
「西海国立公園」の例文・使い方・用例・文例
西海国立公園と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 西海国立公園のページへのリンク