規模・構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 23:19 UTC 版)
この尾張戸神社古墳の形式について、かつては前方後方墳・前方後円墳との説があった。1923年(大正12年)あるいはその前年に京都帝国大学の梅原末治によって概略図が作成されており、当時は円墳と想定されていた。 2008年(平成20年)6月に名古屋市教育委員会文化財保護室によって初めての試掘調査が行われ、2009年の本調査で円墳とされた。この調査によって墳丘は直径約27.5メートルで2段築成と推測されているが、2段目は神社の社殿造営のためにほとんどが削平されている。 1段目は墳裾から高さ約2メートル、傾斜は30-35度で、葺石は角礫主体。基底石の大きさは約30センチメートルで、上部は10-20センチメートルの礫が使用されており、石英の小礫が混ざっていた。葺石を配置したのちに蒔かれた可能性もあるとされる。1段目のテラス部は幅1.2-1.4メートルで、石英の小礫が葺かれていた。 2段目は30センチメートルほどの基底石とその上側の一部のみ、残存が確認されている。葺石は1段目と同様に10から20センチメートルの小礫が使用されていた。1935年(昭和10年)に本殿裏側が掘り返されて盗掘されかけるも巨石に阻まれた事で被害を免れた記録があるが、この巨石は竪穴式石室の天井石と考えられている。周溝は確認されていない。 2014年(平成26年)10月6日、古墳域は白鳥塚古墳(1952年に既指定)・中社古墳・南社古墳などとともに「志段味古墳群」として国の史跡に指定された。
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