近代化にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 09:04 UTC 版)
現在の富士宮市・富士市は製紙業の一大生産地である。実際「パルプ・紙・紙加工品製造業」の製造品出荷額等で両市は全国的にも上位に位置している。その岳南地域における近代製紙業の発祥として、明治20年(1887年)の富士製紙株式会社の設立と明治22年(1889年)の同会社の工場稼働が挙げられる。設立当時の役員として、三椏を発見した富士郡原村(後の白糸村)の渡辺定賢の子孫である白糸村(後の富士宮市)の渡辺登三郎の名が見える。駿河半紙の生産を進めた渡辺定賢と、その近代化に携わった渡辺登三郎ら同一族の動向がこの地域での礎とされている。
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