FCソウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/14 13:47 UTC 版)
FCソウル FC 서울 | |||
---|---|---|---|
原語表記 | FC 서울 | ||
愛称 | Black & Reds | ||
クラブカラー |
赤 黒 | ||
創設年 | 1983年 | ||
所属リーグ | Kリーグ1 | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | ソウル | ||
ホームスタジアム |
![]() | ||
収容人数 | 66,704[1] | ||
運営法人 | GSグループ | ||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
FCソウル(エフシーソウル、朝鮮語: FC 서울、英語: FC Seoul)は、韓国の首都ソウルをホームタウンとするプロサッカークラブである。Kリーグ1に加盟している。
概要
1983年12月22日、ラッキー金星財閥傘下のサッカークラブ、チーム名はラッキー金星ファンソ(럭키금성 황소、ラッキー・クムソン・ファンソ)として創立した。
国際タイトルはない(2001年-2002年のアジアクラブ選手権と2013年のAFCチャンピオンズリーグでそれぞれ準優勝しているのみ)が、国内タイトルではKリーグ1を6回、韓国FAカップを2回、韓国リーグカップ(2011年大会を最後に廃止された)を2回、韓国スーパーカップ(2006年大会を最後に廃止された)を1回の優勝を果たしている。
歴史
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1983年 クラブ創設
1984年 Kリーグに参加
1985年-1989年(1985年 リーグ初優勝)
- 1985年
- 得点王とアシスト王の2冠に輝いたピヤポン・ピウオンの活躍もあり、初のリーグ優勝を飾った。
- 1986年
- リーグ準優勝
- 1987年
- リーグ5位
- 1988年
- リーグ4位、FAカップ優勝
- 1989年
- 韓国プロサッカー大会準優勝
1990年-1995年(1990年 忠清道からソウルに移転、LGチータースに改名)
- 1990年
- それまで本拠地としていた忠清道からソウルに移転、親会社の社名変更に伴いLGチータース(LG 치타스)に改名。韓国プロサッカー大会優勝。
- 1991年
- リーグ6位
- 1992年
- リーグ4位、アディダスカップ準優勝
- 1993年
- リーグ準優勝
- 1994年
- リーグ5位、アディダスカップ準優勝
- 1995年
- リーグ8位、シーズン通算観客動員1位
1996年-2003年(1996年 京畿道の安養市に移転、安養LGチータースに改名)
- 1996年
- ソウル近郊の京畿道・安養市に移転し安養LGチータース(안양 LG 치타스)に改名。リーグ9位。
- 1997年
- リーグ9位
- 1998年
- リーグ8位、アディダスカップ:グループ2位、FAカップ優勝
- 1999年
- リーグ9位、アディダスカップ準優勝
- 2000年
- リーグ優勝
- 2001年
- リーグ準優勝、スーパーカップ優勝、チーム通算200勝達成
- 2002年
- リーグ4位、アジアクラブカップ準優勝、アディダスカップグループ1位
- 2003年
- リーグ8位
2004年-2008年(2004年 FCソウルに改名)
- 2004年
- 本拠地をソウルに移転し、同時にFCソウル(FC 서울)と改称。6月から運営がLGグループから分離したGSグループへ移管。リーグ総合5位。
- 2005年
- 注目の若手フォワードである朴主永を高麗大学校に在籍したまま加入させた2005年途中からは観客動員数は飛躍的に伸び、ホーム戦どころかアウェイで遠征したクラブ(釜山アイパークや光州尚武FC)の最多動員記録に貢献することになった。リーグ総合6位、ハウゼンカップ5位。
- 2006年
- リーグ総合3位、カップ大会優勝、FC東京と親善試合(入場者61235人)
- 2007年
- ハウゼンカップ準優勝、リーグ総合7位、プロスポーツ史上最多観客動員数達成(55,397人、4月8日 vs 水原)
- 2008年
- リーグ2位、総合2位。
2009年-2011年(2009年 AFCチャンピオンズリーグへ初出場)
- 2009年
- AFCチャンピオンズリーグ2009でACL初出場するとグループリーグでG大阪(日本)、山東魯能(中国)、スリウィジャヤ(インドネシア)のグループFを3勝1分2敗で2位通過して決勝トーナメントに進出した。
- リーグ5位、ピースカップコリア(カップ大会)ベスト4。
- 2010年
- 5月5日のホームゲーム(対城南一和天馬)では、60747人がスタジアムに来場し、Kリーグにおける1試合の観客動員数の新記録を達成した。リーグ戦1位でプレーオフに進出し、チャンピオン決定戦で済州ユナイテッドFCに勝利し、ソウル移転後初優勝を達成し、Kリーグカップとの2冠となった。
- 2011年
- AFCチャンピオンズリーグ2011で2大会ぶりに出場するとグループリーグで名古屋グランパスエイト(日本)、アル・アインFC(UAE)、杭州緑城足球倶楽部(中国)のグループリーグFを3勝2分1敗で1位通過して決勝トーナメントに進出した。
- リーグ3位
2012年-現在(2012年 5度目のリーグ制覇, 2016年 6度目のリーグ制覇)
- 2012年
- 崔龍洙が正式に監督に就任し、2年ぶりのKリーグ優勝を達成した。
- ACL2012のラウンド16で鹿島(日本)と対戦した。アウェイで2-2(PK戦5-4)で勝利し準々決勝に進出した。準々決勝でウム・サラルSC(カタール)と対戦した。アウェイの第1戦を2-3で敗れるとホームの第2戦では1-1で合計スコア3-4で準々決勝で敗退が決定した。
- 2016年
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- 4年連続の6回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2016のグループリーグで山東魯能泰山足球倶楽部(中国)、サンフレッチェ広島F.C(日本)、ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)のグループFを4勝1分1敗で首位通過して決勝トーナメントに進出した。
- ACL2016のラウンド16で浦和レッドダイヤモンズ(日本)と対戦した。アウェイの第1戦を0-1で敗れたがホームの第2戦では3-2で勝利し、合計スコア3-3(PK戦7-6)で準々決勝に進出した。
- 6月21日、監督の崔龍洙が中国サッカー・スーパーリーグの江蘇蘇寧の監督に就任することを発表。それに伴い黄善洪の監督就任を発表。
- Kリーグクラシックでは、最終節で前年度王者の全北現代モータースを1-0で下し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。
- 2017年
- 黄善洪体制を続けたが、5位にとどまった。
- 2018年
- シーズン開幕後の4月30日に監督の黄善洪が成績不振で辞任した。李乙容が後任となったが、成績不振で10月11日に辞任し、崔龍洙が2年4ヶ月ぶりに復帰した。リーグ戦は11位で釜山アイパークと昇格・降格プレーオフで対戦して勝利し、Kリーグ1に残留した。
- 2020年
- 許昌秀がGSグループおよびFCソウルの会長職を退任し、許兌秀が後任となった。
タイトル
国内タイトル
- Kリーグ1:6回
- 1985, 1990, 2000, 2010, 2012, 2016
- 韓国FAカップ:2回
- 1998, 2015
- 韓国リーグカップ:2回
- 2006, 2010
- 韓国スーパーカップ:1回
- 2001
過去の成績
シーズン | ディビジョン | 韓国FAカップ | チャンピオンシップ | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | |||
1984 | Kリーグ | 前期5位 後期7位 |
- | 資格なし | |||||||
1985 | Kリーグ | 1位 | - | 大会なし | |||||||
1986 | Kリーグ | 前期2位 後期1位 |
- | 準優勝 | |||||||
1987 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
1988 | Kリーグ | 4位 | 優勝 | 大会なし | |||||||
1989 | Kリーグ | 2位 | 準決勝敗退 | 大会なし | |||||||
1990 | Kリーグ | 1位 | - | 大会なし | |||||||
1991 | Kリーグ | 6位 | - | 大会なし | |||||||
1992 | Kリーグ | 4位 | - | 大会なし | |||||||
1993 | Kリーグ | 2位 | - | 大会なし | |||||||
1994 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
1995 | Kリーグ | 前期8位 後期6位 |
- | 資格なし | |||||||
1996 | Kリーグ | 前期8位 後期8位 |
ベスト16 | 資格なし | |||||||
1997 | Kリーグ | 18 | 1 | 8 | 9 | 15 | 27 | 11 | 9位 | 準決勝敗退 | 大会なし |
1998 | Kリーグ | 18 | 6 | 2 | 9 | 28 | 28 | 23 | 8位 | 優勝 | 資格なし |
1999 | Kリーグ | 27 | 6 | 2 | 17 | 38 | 52 | 24 | 9位 | 準決勝敗退 | 資格なし |
2000 | Kリーグ | 27 | 17 | 2 | 8 | 46 | 25 | 53 | 1位 | 準々決勝敗退 | 優勝 |
2001 | Kリーグ | 27 | 11 | 10 | 6 | 30 | 23 | 43 | 2位 | 準々決勝敗退 | 大会なし |
2002 | Kリーグ | 27 | 11 | 7 | 9 | 37 | 30 | 40 | 4位 | ベスト32 | 大会なし |
2003 | Kリーグ | 44 | 14 | 14 | 16 | 69 | 68 | 56 | 8位 | ベスト32 | 大会なし |
2004 | Kリーグ | 24 | 7 | 12 | 5 | 20 | 17 | 33 | 前期5位 後期5位 |
ベスト16 | 資格なし |
2005 | Kリーグ | 24 | 8 | 8 | 8 | 37 | 32 | 32 | 前期5位 後期9位 |
ベスト16 | 資格なし |
2006 | Kリーグ | 26 | 9 | 12 | 5 | 31 | 22 | 39 | 前期4位 後期3位 |
準々決勝敗退 | 4位 |
2007 | Kリーグ | 26 | 8 | 13 | 5 | 23 | 16 | 37 | 7位 | 準々決勝敗退 | 資格なし |
2008 | Kリーグ | 26 | 15 | 9 | 2 | 44 | 25 | 54 | 2位 | ベスト32 | 準優勝 |
2009 | Kリーグ | 28 | 16 | 5 | 7 | 47 | 27 | 53 | 5位 | ベスト16 | 5位 |
2010 | Kリーグ | 28 | 20 | 2 | 6 | 58 | 26 | 62 | 1位 | ベスト16 | 優勝 |
2011 | Kリーグ | 30 | 16 | 7 | 7 | 56 | 38 | 55 | 5位 | 準々決勝敗退 | 1回戦敗退 |
2012 | Kリーグ | 44 | 29 | 9 | 6 | 76 | 42 | 96 | 1位 | ベスト16 | 大会なし |
2013 | Kクラシック | 38 | 17 | 11 | 10 | 59 | 46 | 62 | 4位 | 準々決勝敗退 | |
2014 | Kクラシック | 38 | 15 | 13 | 10 | 42 | 28 | 58 | 3位 | 準優勝 | |
2015 | Kクラシック | 38 | 17 | 11 | 10 | 52 | 44 | 62 | 4位 | 優勝 | |
2016 | Kクラシック | 38 | 21 | 7 | 10 | 67 | 46 | 70 | 1位 | 準優勝 | |
2017 | Kクラシック | 38 | 16 | 13 | 9 | 56 | 42 | 61 | 5位 | ベスト16 | |
2018 | Kリーグ1 | 38 | 9 | 13 | 16 | 40 | 48 | 40 | 11位 | ベスト16 | |
2019 | Kリーグ1 | 38 | 15 | 11 | 12 | 53 | 49 | 56 | 3位 | ベスト32 | |
2020 | Kリーグ1 | 27 | 8 | 5 | 14 | 23 | 44 | 29 | 9位 | 準々決勝敗退 | |
2021 | Kリーグ1 | 38 | 12 | 11 | 15 | 46 | 46 | 47 | 7位 | 3回戦敗退 | |
2022 |
現所属メンバー
歴代監督
朴世鶴 1984-1987
高在旭 1988(代行)
高在旭 1989-1993
趙榮增 1994-1996.11
朴恒緒 1996.11-12
朴炳柱 1997-1999
趙廣來 1999-2004
李章洙 2005-2006
ギュネシュ 2007-2009
ヴィンガーダ 2010
皇甫官 2011-2011.4
崔龍洙 2011.4-12(代行)
崔龍洙 2012-2016.6
金聖宰 2016.6
黄善洪 2016.6-2018.4
李乙容 2018.4-2018.10(代行)
崔龍洙 2018.10-2020.7
金浩永 2020.8-9
朴赫淳 2020.9-11
李元準 2020.11-12
朴珍燮 2021-2021.9
安益秀 2021.9-2023.8
金珍圭 2023.8-12(代行)
金基東 2024-
歴代所属選手
GK
劉鉉 2016-2018
DF
金東進 2000-2006
李正秀 2002-2004
金致坤 2004-2009
郭泰輝 2005-2007
金致佑 2008-2017
車ドゥリ 2013-2015
オスマル・イバニェス 2014-2017, 2019-2023
鄭仁煥 2016-2017
MF
李乙容 2003-2004, 2006-2008
前園真聖 2003
金承龍 2004-2006, 2008-2009
奇誠庸 2006-2009
余孝珍 2006-2011
キキ・ムサンパ 2008
リカルド・エステヴェス 2010
セルヴェル・ジェパロフ 2010-2011
マウリシオ・モリーナ 2011-2015
髙萩洋次郎 2015-2016
小川慶治朗 2022.7-
FW
崔兌旭 2000-2003, 2010-2013
韓東元 2002-2006
グラフィッチ 2003
金殷中 2004-2008
鄭助國 2004-2010, 2012-2015
朴主永 2005-2008, 2015-2021
崔龍洙 2006
李昇烈 2008-2011
デヤン・ダミヤノヴィッチ 2008-2013, 2016-2017
エスクデロ競飛王 2012-2015
アドリアーノ 2015-2016、2020-
ベン・ハロラン 2022-2022.7
アカデミー
Kリーグにドラフト制度が復活した2006年、韓国プロサッカー連盟理事会は18歳以下の育成方策について、各クラブに縁故地域(ホームタウン)内の高校を1か所指定してクラブのアカデミーとしてサッカー部の運営を担当させ、その見返りとしてクラブに毎年ドラフトで当該高校の卒業予定選手4人を優先的に指名する権利を与えることにした。これを受けてFCソウルは同年末に東北高等学校と協約を締結し、翌2007年から同校サッカー部の運営を開始した[2]。その後、アカデミーを強化するため2012年8月28日に五山学園とサッカーチーム協約を締結[3]。東北高校サッカー部の運営契約は2012年限りで終了し、同年12月28日に五山中学校・五山高等学校サッカー部が創立。U-18、U-16、U-14に細分化して年齢に合った訓練プログラムを行うとした[4]。
参考文献
- ^ "Stadium Profile at Seoul Metropolitan Facilities Management Corporation" SMFMC. Retrieved 2016年3月14日
- ^ ミン・ハクス (2007年2月1日). “프로축구 FC서울, 동북고 축구부 맡아” (韓国語). 朝鮮日報. 2024年12月14日閲覧。
- ^ “FC서울, 오산학원과 유소년 축구팀 협약체결” (韓国語). MKスポーツ (2012年8月28日). 2024年12月14日閲覧。
- ^ “FC서울, 오산중·고 축구팀 정식 창단” (韓国語). スポーツ朝鮮 (2012年12月28日). 2024年12月14日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- FCソウル (fcseoul) - Facebook
- FCソウル (@FCSEOUL) - X(旧Twitter)
- FCソウル (@fcseoul) - Instagram
- FCソウル - YouTubeチャンネル
- ファンコミュニティ
FCソウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:17 UTC 版)
WSW在籍時にACLグループリーグでKリーグ1・FCソウルと対戦した際、ソウル監督の崔龍洙から高く評価され 2015年6月に同クラブへ完全移籍。契約期間は2年6カ月、アジア枠での登録となった。 コンディション面でやや出遅れたものの、河大成以来となるチーム待望のゲームメイカーとしての期待は大きく、8月19日の釜山戦で得点を挙げるなど調子を掴んでからは際立ったビルドアップ能力と 広い視野、パスセンスを武器とする 中盤の要として定着。同年の韓国FAカップでは準決勝、決勝で連続得点を挙げる活躍で優勝に貢献、特に決勝で決めたミドルシュートは幻想的とも評され大会MVPを獲得した。韓国サッカー界の公式大会で日本人選手のMVP受賞は史上初。 加入当初は弱点と見なされていたフィジカルや競り合い、守備面を格段に向上させ、球際での戦いやボール奪取でも力を発揮。2016年は得点に絡む場面こそ減少したが中盤を牽引する働きで リーグ優勝を果たした。 ソウルとは2017年末までの契約を結んでおり、2017年初頭のキャンプにも帯同していた。しかし、ソウルがFC東京所属の河大成を獲得を図ったところ、髙萩へのオファーが届いたため、両クラブ間で事実上のトレードが成立した。
※この「FCソウル」の解説は、「髙萩洋次郎」の解説の一部です。
「FCソウル」を含む「髙萩洋次郎」の記事については、「髙萩洋次郎」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
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