被爆者らオスロで「核のない世界」実現訴え…折り鶴を国会議員へ、渡航できなかった仲間の願い込め交流
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ノーベル平和賞授賞式に合わせ、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表団に入っていない被爆者たちもノルウェー・オスロを訪れ、「核のない世界」の実現への思いを発信した。「この特別な機会に世界に被爆の実相を伝えたい」。授賞式直前に亡くなったり、高齢で渡航できなかったりした仲間たちの願いも背負い、現地での交流活動に取り組んだ。(勢島康士朗、オスロ=美根京子)
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」
9日、オスロの国会議事堂前。原水爆禁止日本協議会(原水協)とNGO「ピースボート」が主催するツアーに参加した被爆者や被爆2世、現地の平和団体の関係者らが集まっていた。
長崎で被爆した福島富子さん(79)(神奈川県)が「核兵器廃絶を訴えてきた多くの被爆者の思い」を込めて、折り鶴を国会議員に手渡した。その後、集まった人たちで「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と声を張り上げた。
福島さんは生後7か月の頃に被爆し、4歳で長崎県・五島列島の伯母の家に預けられた。長年、被爆者との自覚はなく、知人の勧めで34歳の時に被爆者健康手帳を取得。移り住んだ神奈川県で、被団協の構成組織である同県原爆被災者の会に加入した。
約20年前、長崎の爆心地から約700メートルで被爆し、生死をさまよった村上八重子さん(94)(神奈川県)の体験を聞いた。「被爆とはこういうことなんだ」と心を揺さぶられた。
福島さんは村上さんの被爆体験の証言を引き継ぎ、今年4月から代わりに語り始めた。被団協の受賞決定を受け、オスロ行きを決めると、村上さんから「私の思いも伝えて」と託された。
村上さんの被爆体験の英語訳をA4判の紙に印刷して持参。現地でノーベル平和センターのスタッフらに配った。「この体験をスペイン語に翻訳したい」と言われるなど手応えを感じた。
被爆者の平均年齢は85歳を超えている。「次に海外で活動する時には、今回一緒に来た先輩たちはもう来られないかもしれない。その時には私が被爆2世や3世たちを引っ張っていけるように頑張りたい」と誓う。
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