なぜか高い山がない千葉が「クライミング王国」だった
千葉県フリークライミング協会会長・目次俊雄さん(66)
プロフィル
1952年、松江市生まれ。名古屋大農学部卒業後、千葉県で生物の高校教員に。同県内の佐原女子(現・佐原白楊)、船橋西(現・船橋啓明)、船橋東、幕張総合の各高校に赴任し、ワンダーフォーゲル部や山岳部の顧問を務める。2018年春からは20年東京大会に向け、スポーツクライミング普及に取り組む。
幕張総合高校のクライミングウォール。同校ワンダーフォーゲル部員が使うだけでなく、各種大会や千葉県フリークライミング協会のイベントが頻繁に開催されている
この壁(千葉県立幕張総合高校の中にあるクライミングウォール)は、2010年に千葉国体が(県内の)印西市で開催される4年前の06年に、選手の強化練習用としてここに設置されたんです(※当初はリードとボルダリングの壁のみ。17年にスピードの壁も完成)。ここで登るために、7歳から77歳までやってきますよ。
山登りが趣味で登山部顧問に
北アルプス鹿島槍ヶ岳で(右端、30歳くらいのころ)
八ヶ岳で(後列一番右、40歳ごろ)
学生時代は柔道部や美術部に入っていたこともありますが、趣味で山登りをしていました。23歳で千葉県の高校教員になった後、ずっとワンダーフォーゲル部や山岳部の顧問として生徒に山登りやクライミングの指導をしてきました。授業で生徒に呼びかけてワンゲル部を創設したところもあります。指導といっても、生徒と一緒にテント担いで寝泊まりして自分も登ります、それが性に合っているんですね。
生物の教諭だった(1992年1月、船橋東高校で)
ここ(の「小中学生体験クライミング」)にも、高校生だった時に教えた子がお母さんやお父さんになって自分の子どもを連れてくることがよくあります。今日も来ていますね。
山登りといっても、千葉県には高い山がなく(県内最高峰が標高408.2メートルの愛宕山、47都道府県で最も低い最高峰)、夏合宿などは隣の東京を越えて南アルプス、北アルプスあたりまで遠征です。赴任3校目の船橋東高は山岳部の生徒ががんばって全国高校総体(インターハイ)登山競技に男子が6回、女子が4回出場し、千葉県としては初めて入賞したりしました。最高位は男子が準優勝、女子は3位でした。
習志野の“壁”誕生が契機
埼玉・秩父の岩場でロッククライミング(40歳代半ばごろ)
自分では岩登り(ロッククライミング)も趣味で始めていた23~24年前ですか(1994年10月)、隣の市の習志野市立東部体育館に本格的な人工のクライミングウォールができたんですね。利用開始にあたってクライミングを指導できる講師が何人か必要で私も声をかけられ、参加することになりました。
そこで自分もスポーツクライミングを始め、高校の生徒たちも連れてきて人工壁を登るのを体験させました。そうしたら非常に興味を持つ生徒が多かったので、「これは部活動に取り入れる意味がある」と。
習志野市立東部体育館の壁を登る(40歳代)
山登りの遠征に出かけない時に、日常の部活は極めて単調なんですよ(笑)。知識や技術などの勉強はしますが、後は荷物を背負って階段の上り下りとか、ランニングとか。野外の岩場はもちろん魅力ありますが、そうしょっちゅう行ける場所ではなく、人工の壁は日常的にトレーニングをしていく場所としては非常にいいところ。そう、最初は外に行くためのトレーニングの場としてとらえていましたね。週1回くらい、生徒らを習志野の壁に連れて行くようになりました。
この後、クライミング界では茂垣敬太くん、松島暁人くん、渡辺数馬くんなど「ユース第1世代」が誕生してきました。茂垣くんは国体で私が監督を務めた千葉県成年男子のクライミング(リード)で中心選手として、高知、静岡、埼玉、岡山の4年連続と秋田の計5回優勝しました。その影響を受けて渡辺くんら若手選手たちが活躍し、千葉県は国体男女総合優勝5回を果たして「クライミング王国千葉」と呼ばれる時代を築くことになりました。みんな、今は30歳代でしょう、自分でジムを経営したり、大きな大会でルートセッターをしたり、次世代を育てる立場になってきています。
船橋東高では2000年に山岳部女子の小田敦子、榊原佑子が「アジアユース・スポーツクライミングチャンピオンシップ」に出場してそれぞれ1位、2位に輝きました。
シンプルな競技、今や大人気
トレーニングとしてランニングを行ううち、マラソンに何度か出場した(2000年ごろ、千葉・旭市飯岡)
2001年、49歳の時に県立幕張総合高校に異動となりました。船橋東高の山岳部男子が、岐阜開催の全国高校総体で準優勝した翌年のことです。この異動を機に、私は部活動指導の重心を登山からスポーツクライミングに移しました。登山行動中の体力や歩行技術、テントの張り方や天気図の書き方まで審査される登山競技に比べると、競技としてシンプルでわかりやすいですから。
異動当初休部状態だったワンゲル部をテコ入れし、今の壁ができるまでの数年間は、生徒たちと一緒に作った屋外の小さな壁で練習していました。今はもう部員数は120人近いですよ。うち女子が3、4割かな。この壁の存在を知る人が増えたせいでしょうか。
その後、県内ではここで練習し、育って世界に出ていく若手もどんどん出てきました。
私自身は60歳の定年、その後5年間の再任用、1年間の非常勤講師を経て、2018年3月でここを“卒業”しました。この春からは千葉県のスポーツエキスパートという制度、つまり助っ人で月2~3回、ここ幕張に来て生徒を指導しています。
「クライミング王国千葉」と指導者
県内の自宅敷地にもウォールがあります(笑)。ウォールを手作りする時代からやってきたので、(スポーツクライミングがオリンピック競技になったのは)正直驚きでした。ぜひ、オリンピックを機にさらに国内でクライミングが広がってほしいです。
クライミング選手の高校生育成に関しては、千葉は国内では一番早かったと思います。千葉工業高校で先生がコンクリートの電柱を支えにして壁を作って県大会を始めましたし、高校フリークライミング研究会というのを立ち上げたり、県高校総体の競技にいち早く入れたり。ただ、層は厚いのですが、今は小学生くらいからクライミングを始める人が多いので、高校から始めてトップになるのはなかなか大変です。民間のクライミングジムもたくさんできて、そこで開設したスクールからどんどん優秀な選手が、都市圏だけでなく地方からも生まれる時代になりましたね。
将来的には、たとえトップ選手になれなくても競技を経験して好きになった人が指導者になるのが、この競技が発展していくには欠かせないことだと思います。たとえばサッカーは活躍した選手が指導者に(なって)“循環”している。それがまだクライミングでは極めて少ない。
私自身は40歳代からクライミングにかかわったし、選手経験があるクライミング指導者は国内では30歳過ぎの人が何人かいる程度でまだまだ少ないです。
やはり登りきった時の達成感
リードの壁を登る
クライミングの魅力ですか? 登っていくというのは非常に楽しいことですよ。どの年齢になっても訓練することによって少しずつレベルが上がっていくし、登りきった時に達成感がある。ほかの競技も同じとは思うけど、その達成感は非常に大きくて、クライミングは本当にそれではまる人が多い理由の一つと思います。一生懸命やればやるだけの成果が出てくる種目ですしね。
体が動く限り自分でも続けていきたいと思います。
(3種目の中では)リードから始めているので、リードが一番やってて楽しい。ボルダリングは瞬発系で場合によっては無理な動きもやるので、高齢になると体への負担が大きいんです。リードがおすすめ(笑)。
スピードは自然の岩場では行わない競技、特殊な競技です、ただ、登って楽しいという反応もありますし、(日本では)これからの競技ですね。
(2015年から)「全日本マスターズクライミング選手権大会」が始まりまして、今年で4回目です。昔の“レジェンド”などが集うシニア世代の大会です。私はいつも裏方(主催者側)なのですが、2回目に出場しました。前日まで準備で、1本目は完登しましたが、2本目ではつるっと落ちました。完登した喜びと、自分の力を出せなくて落ちた悔しさで、久々に選手の気持ちがわかりました(笑)。
(2018年5月、千葉・幕張で取材)