「投手に勝ちたい気持ち薄れなかった」…登録名「イチロー」発案、打撃コーチ務めた新井宏昌さん
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米大リーグのマリナーズなどで活躍し、日米通算4367安打を誇るイチロー(本名・鈴木一朗)さん(51)が21日(日本時間22日)、日本人初の米国野球殿堂入りを果たした。関係者からも喜びの声が上がった。
父の鈴木宣之さん(82)は愛知県豊山町の自宅前で報道陣の取材に応じ、「全国のファンのみなさんから今までご声援をいただいたおかげだと思う」と語った。満票での殿堂入りに1票届かなかったが、「そんな完全な人間がいるのかなという気持ちだった。ホッとした」と頬を緩めた。
イチローさんが獲得したトロフィーなどが飾られている同町の展示施設には全国からファンが集まり、宣之さんに記念のボードや花束を渡して祝福していた。
イチローさんが日本プロ野球初のシーズン200安打を達成した1994年、オリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)で一軍打撃コーチを務め、登録名「イチロー」を発案した新井宏昌さん(72)は「投手との勝負に勝ちたいという気持ちが薄れないから、たくさんの記録を作れた」とたたえた。
米国の殿堂に「Ichiro」の名が新たに刻まれ、「日本でさえ、殿堂入りはとてつもないこと。それが米国ですからね。想像もつかない」と祝福した。
阪神大震災被災者「励みになる」
95年の阪神大震災で被災した神戸市長田区の大正筋商店街の元理事長・伊東正和さん(76)は「また一つ金字塔を打ち立ててくれて、神戸の人たちの励みになる」と喜んだ。
オリックスは同年、「がんばろうKOBE」を合言葉にパ・リーグ優勝。伊東さんらは当時、仮設の商店街に優勝へのカウントダウンボードを設置して盛り上がった。98年には商店街にイチローさんのサイン入りバットが贈られたといい、「復興に向かう被災者の背中を押してくれた」と感謝した。
イチローさんは現役引退後の2020年からアマチュア選手の指導を行っており、「教え子」も祝福した。智弁和歌山高(和歌山市)の2年時に指導を受けた山口県周南市の大学3年大仲勝海さん(21)は「師事したことが誇らしい」と喜んだ。チームは翌21年夏の甲子園で21年ぶり3度目の優勝を飾り、「自分たちを大きく成長させてくれた恩師」と当時を振り返った。
ドジャースの大谷翔平選手(30)は、イチローさんの殿堂入りを伝える画像を複数引用して自身のインスタグラムに投稿し、祝福した。