40年連れ添った妻は、このトンネルで、電動車いすに乗っていてトラックにはねられました。
“どうして歩道を通らなかったの?”
事故の背景にあったのは、わずか数センチの段差です。
(金沢放送局 松葉翼)
2021年6月18日事故
40年連れ添った妻は、このトンネルで、電動車いすに乗っていてトラックにはねられました。
“どうして歩道を通らなかったの?”
事故の背景にあったのは、わずか数センチの段差です。
(金沢放送局 松葉翼)
王秀梅さん(69)。
戦前に満州、現在の中国東北部に渡り、戦後取り残された「残留日本人」の2世です。
中国では、夫や家族と麦やトウモロコシを栽培して生計を立てていました。
冬はマイナス20度、夏は40度を超える過酷な環境で、暮らしていました。
20年ほど前に母親の故郷の石川県能登町に戻り、中国人の夫とともに穏やかな生活を送っていました。
年齢とともに足腰が弱くなったため、10年ほど前から電動車いすに乗っていました。
おしゃれが大好き。服や靴を布から自分で作るのが趣味でした。
お気に入りの服や生地を探しにショッピングに出かけるのが一番の楽しみだったといいます。
そんな王さんが亡くなったのは、去年6月1日。
自宅から2キロほどはなれた町道のトンネルで事故に遭いました。
電動車いすで移動中、トラックにはねられたのです。
夫が病院に駆けつけたときには、すでに息を引き取っていたということです。
どうして事故は起きたのか。
警察への取材だけでは詳しい背景まではわかりませんでした。
事故から半年がたった去年12月。夫が、取材を受けてくれました。
夫婦は、日本に戻ってから言葉をうまく話せず慣れない暮らしが続きましたが、2人でいつも励ましあってきたといいます。
王さんの夫
妻は小学校の同級生で幼なじみなんです。喧嘩をすることもなく本当に優しくしてくれた。40年間連れ添ってきましたが、今も妻を失ったことを受け止められない。毎日、泣きながら過ごしています。
王さんは、奥へ向かって道路の左側を走っていたところ、後ろから来たトラックにはねられました。
行きつけの服飾店から家に戻る途中だったとみられています。
トンネルは全長150メートルほどあり、道路は片側1車線です。
車線の外側に白線が引かれていますが、白線とトンネルの壁の間は人の肩幅程度しかありません。
「ここを電動車いすで通るのは怖いけど、すれ違うドライバーも怖いだろうな」
最初に現場を見たときの、私の気持ちでした。
さらに、トンネルの近くにはこんな看板も立てられていました。
『歩行者、自転車等は歩道トンネルをご利用ください』
実は、現場にはトンネルがもう一つありました。
右側が事故のあった車道トンネル、左側にあるのが歩道トンネルです。
電動車いすは、道路交通法上「歩行者」とされています。
本来、歩道トンネルを通るはずだったのです。
どうして王さんは、危険な車道トンネルを通ったんだろう?
歩道を通れば事故に遭わなくて済んだのに。
トラック運転手も事故の加害者にならずに済んだのに。
今回の取材で、王さんの夫が現場に同行してくれました。
歩道トンネルに向かう道との分岐点を見てほしいというのです。
王さんの夫
この場所にはかつて、「段差」があったのです。妻の事故のあと、改修工事が行われました。段差さえ無ければ、妻は車道のトンネルを通ろうとは思わなかったはずです。
改修工事前の現場の写真を手に入れることができました。
そこには鉄板がはられ、高さ数センチの段差ができていました。
わずか数センチ。
しかし、そのわずかな段差が王さんには大きな障壁となっていたのです。
道路を管理する町は事故の後、段差を解消する改修工事を行いました。
町の担当者は「改修する計画は以前からあったが、事故を受け前倒して対処することになった。鉄板による段差で電動車いすが歩道トンネルに向かえなくなるとは想定していなかった」と話しています。
「たった数センチの段差が障壁だなんて大げさでは?」
「それくらい乗り越えられるのでは?」
実は私も少しだけそう思いました。
でも、本当に障壁なんです。
教えてくれたのは石川県かほく市の越野将明さん。
脳性まひで重い障害がありますが、手首を使って電動車いすを乗りこなし、近所のショッピングセンターでも自由に買い物を楽しみます。
コーヒーショップの店員とも顔なじみで、買い物途中に一服するのがお気に入りの過ごし方です。
「見せたい場所がある」と越野さんが連れて行ってくれたのは店の入り口近く。
コンクリート製の小さなブロックにほんの小さな段差がありました。
越野さん
電動車いすは重量が重く、車輪も小さなものが多いので、この程度の段差でも転倒することがあり、不安を感じるんです。
越野さんは日々の体験をもとに、健常者目線では気づきにくい「危険か所」を写真とともにSNSにアップしています。
こちらはわずかな陥没のために車いすが進めなくなった場所です。
通りかかった人が助けてくれるまで動くことができませんでした。
トンネルではねられた王さんが、どうして危険な車道を選んだのか。
わかる気がしました。
王さんの事故からちょうど1年がたった6月1日。
私は再び王さんの夫を訪ねました。
王さんが亡くなった午前11時45分。
夫は紙に穴を空けて作った「お金」を火にくべていました。
王さんの夫
中国の言い伝えで、亡くなった日に紙のお金を燃やすと、煙となって天国にいる妻に届くんです。でも本当は直接会いたい。寂しい。寂しいよ…
1年経った今も大切な人を失った傷は癒えていません。
取材の帰り道。
事故現場の近くで王さんと同じような電動車いすの高齢者を見かけました。
電動車いすは、運転免許証の自主返納をした高齢者の交通手段としても普及が進んでいます。
いずれは私の親も、私自身も使うことになるかもしれません。
王さんの夫の悲しみは、人ごとじゃない。
高齢者や障害のある人が安全に移動できる社会であって欲しい。
それが誰にとっても安全な社会につながるから。
運転免許証の自主返納
・運転免許証が不要になった人や加齢によって身体機能が低下し、運転が不安になった人が自主的に返納する制度。
金沢放送局記者
松葉翼 2020年入局 金沢放送局に赴任し警察・司法を担当
学生時代には駅員のアルバイトを経験
地方の交通問題のほか、障害者、外国人などテーマに幅広く取材
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