記録的な大雪に見舞われた週末。
金曜日は夜じゅう、除雪車の音が響いていました。
絶え間なく降り積もる雪…高速道路が通行止めになったり電車が運休になったりと不穏。
にもかかわらず、長女が所属するバスケ部は土曜日に近隣3中学と合同練習が予定されていました。夫も「この雪なら、さすがにやらないのでは?」と言うものの、午後9時を過ぎても顧問の先生から中止の連絡はなし。気になったので問い合わせてみたところ「来れる人だけでやりましょう。除雪が間に合わないかもしれないので、無理せずに」との返事が。
うーん。
判断はご家庭にお任せしますってこと…
明けて土曜日。雪は止んだものの、路肩には除雪車が積み上げた雪が積もって車幅がかなり狭い状態。路面もツルツル。
「無理せずにってことだから、休んでもいいよ」と娘に言いましたが、生真面目なところのある娘は「でも、雪が止んでるなら行ったほうがいいよね…」と逡巡していました。
そしてしばらく迷った結果、彼女の決断は「行ってみる」とのことでした。
練習場所は車で15分ほどかかるので、私が車で送ります。運転にあまり自信がないので「もし道路状況があまりに悪かったら途中で引き返す」ことにして出発。
途中、雪の轍に車輪を取られるなど危険な思いを何度かしつつも、なんとか会場にたどり着きました。娘を降ろして、いったん帰宅。昼前にまた車で迎えに行きました。
そして正午。車で待っていると、練習を終えた娘が乗り込んできました。
なんだかものすごく機嫌が悪い。
尋ねると、「練習に集まったの、私を入れて5人だけだった!」とのこと。
合同練習には、会場に徒歩で来られるメンバー4人と娘の計5人。どうやら他のメンバーは自主的に「休む」判断をしたそう。
それは「各家庭の判断」なので、良いも悪いもありません。
「あなたは自分で決めて練習に行ったんだから、それでいーじゃん」とたしなめるも、「ウチが車で来られたんだから、みんなだって来られるのに…多分、みんなずる休みだよ」と不服そうな顔。
しかし、生真面目な彼女はきっと、他の練習に来なかったメンバーと同じく「休む」判断をしていたら、今頃「ズル休みしちゃった感覚」に襲われて、それはそれで別の居心地の悪さを感じていたことが容易に想像できます。ズル休みしてしまったという罪悪感で、必要以上に自分を責めていたでしょう。そういう性格だから、来ないメンバーが多かったとしても、ちょっと頑張って参加する選択をしたことは間違いではないと思います。
そのことを本人に伝えると。「まあ…そうかもね」と一応は納得したようでした。
休む判断も、参加する判断も、どちらも正しい。
どの道を選んでも後悔がゼロなんてことはありえないから、人生の折々で「後悔が少なさそうな選択肢」を、自分で選ぶことが大事。
そして結果がどうなろうと、自分の判断を恨むことも、違う道を選んだ他者を責めたり蔑んだりするのもお門違いってものです。
娘たちに伝えたいことは「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」ということ。
詩人・茨木のり子さんの代表作「自分の感受性くらい」の有名なフレーズです。
他責思考と被害者意識を捨てて、「後悔が少なそうな選択肢」を自分でちゃんと選ぶこと。
それでどんな結果になっても、自分の感受性くらい自分で守って他人を責めたりしないこと。
「正義の範囲」が狭いと生きにくくなるから、自分と違う選択をした他者の判断にもちゃんとリスペクトを持てる大人になって欲しいと母は願うよ。
明日も愉快な人生を〜