フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

フリーター生活のなかで失ったもの

2004-09-23 20:34:27 | 日常生活
 フリーターをするなかで損得勘定をすると、圧倒的に失ったもののほうが大きい。
得たものは、ほんのわずかのこずかい。
失ったもの。スキルアップの機会。自己信頼と他者信頼。友人との社交。いつも仕事のことに悩まされる苦痛。人生計画の建てられなさ。悲しいときに泣けない、腹を立てるべきときに立てられないなど、感情の鈍磨。それと対になった、ちょっとしたことで落ち込んだり傷ついたりしてしまう感情の鋭敏化。

 フリーターになってから、ストレスによりホルモンのバランスが崩れるのか、アトピーがひどくなったり、ぜんそくの発作がひどくなったりした。そのほか、月経が数ヶ月に渡って止まったり、月経痛が激しくなって薬局の痛み止めでは対処できなくなった。
 フリーターになるまえには、医者に行って副作用の強いステロイドの飲み薬を使わなくてもなんとか乗り切れた。また、フリーターになる前には、月経痛もあるにはあったが、たまに薬局のクスリを飲むだけで難なくすごせたのだった。もちろん不安定な雇用だけが原因ではないかもしれない。それでも、フリーターになってからというもの心身ともに不安定になったのだ。
 これは、外面的条件が内面的条件に反映したものと自分では考えているが、どうだろうか?

 また、友達に約束していたプレゼントをほとんどいつも買えない。いっしょに食事をするときにもおごってもらってばかりでは気まずくなってしまう。また、そのために恩着せがましくなって威張りだす友人がいたのも事実だった。
 そのことを根にもって「うそつき」「不誠実」「あなたは二重人格じゃないの?」「ホンキで働く気(職を探す気)がないんでしょう!」と責められたこともあった。ただただ相手に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、思わず土下座をしたこともあった。
 
 フリーター生活において、少なくともわたしの場合は、派遣でたくさんの職場を転々とした。一日一日いっしょに入る人が違う。また、へとへとに疲れる職場なので、ゆっくりしゃべったり交流していられない。わたしはたまたま同じ職場の人々と趣味が違う。これは、機能集団なのに共同体の顔をしている日本の会社では、道徳的な罪に当たる。
 それで、いじめやいやがらせにあうこともあった。弟にプレゼントされた上着が刃物でメチャクチャにされたときにはずいぶん辛かった。また、他の人とちょっと別の本(確かサルの観察記)を休み時間に見ただけで、「スパイ」呼ばわりされたこともあった。まだPHPを使っていたころ、のPHPメールに「バーカ!」「死ね」と一日に十数件も入っていたこともあった。
 わたしの服装がいわゆるヤンキー風やコギャル風ではなくコンサヴァ風であったこと、髪の毛が茶髪ではないこと、あまり汚い言葉を使わないこと、マクドナルドが好きではないことなどが、そこの派遣会社の「カラーに合わない」と判断されたゆえのイヤガラセだった。仕事はちゃんとこなしていて、派遣先から「ワタリさんは勤務態度がいい」「また来てほしい」と言われるが重なったのも、気に食わないようだった。
 あとで別のところで同じ派遣会社の別の仕事に入っていた人とバッタリ知り合って耳に入れた情報がある。そのころ派遣会社の派閥抗争が激しく、わたしも巻き込まれた模様。なるほど、それで現場のチーフが猜疑心でいっぱいになっていたり、あるときなど一日も働かないうちに十代半ばの女の子をクビにしたりしていたのか。フリーターだから派閥抗争とは無縁だと、なぜ何の根拠もなく思っていたのだろう?
 
 フリーターをしていると、自律性/自立性が低いからだろう。生きるのに必要な最小限の自尊心や誇りがどんどんなくなってゆく。自意識過剰ではなく自意識過小の病に悩まされる。自分はもともと女性とか不登校ということで自意識過小傾向なのに、ますますひどくなっていった。
 あるとき、パーマ屋で、パーマ液が目に入った。でもそのときにはなぜか何も感じず、自分が悪いとしか考えられなかった。なので、「目を洗いに行きます」と美容師に申し出たときに、「ダメです。全部巻きおわってから」と言われても驚くことも抗議することもできず、いいなりになってしまった。なんでも上のいいなりの生活で思考停止・奴隷根性になっていたのだった。
 あとで総合職の知人に「自分が悪いんだから仕方がないよね」と話すと「どうして? わたしだったら店長を呼んで、料金無料にさせるよ!」と騒がれてしまった。

 もともと自分には、自己否定的で敗北主義的な側面が強い。それはフリーター生活でより強化された。保守王国とも言われる実家はまるでカースト制度のように、学歴・偏差値・年功序列や男尊女卑によるハイアラーキーが組まれていた。自分は幼稚園受験と小学校受験に失敗したのでいわば「キャリア組」ではない。そのため、小さなころからいつも長所を認められず、短所を(ときに捏造してでも)責められ、自己嫌悪でいっぱいになってきた。自分で自分が信用できない状態を子どものころから培ってきた。
 特に思春期になってからは、女性と登校拒否をしたことでことによって、敗北主義はいっそう激しくなった。
 
 フリースクールに数週間だけいけたとき、その因果論的悪循環を断つきっかけが訪れた。しかし、フリースクール側の説明とサポートの不足、それに親の不登校への敵意と被害者意識と無理解、戸塚ヨットスクールと精神病院の閉鎖病棟に送られる恐怖から過剰に保守的にならざるをえなかった自分により、自由のなかで育つことは終わってしまった。家に・地域に・自分が選べない塾や家庭教師や予備校にいるかぎり、わたしの実存はなかった。好きな服も買えなかったし、バイトも旅行もダメだった。生きているか死んでいるか分からないゾンビのようになってしまい、罪悪感ばかりが大きくなっていった。
 
 わたしにとって吐き気のする信用の置けない予備校に、泣く泣くしぶしぶ逝かされて、自分が自分である感覚が壊れていった。予備校の大検コースの設立者を血祭りにあげたいと何度願ったことだろう。「予備校に行っているのは自分の体だけで心は関係ない」「心はフリースクールとかコミュニテイに行っているんだ」と考えなければ精神の均衡を失っていたに違いない。
 自分が選べなかったので、選びたいところでもなかったので、実存ではないのだが、信用のおけないフリースペースにも行っていた。しかし学歴・女性・下層階級・民族への差別がひどいところであり、苦痛だった。 
 しかし、そのとき自分の行きたい国内外のフリースクールやコミュニティのことも、忘れていた。かつて学校や家や地域の外で自主的に学んだ選択・実存といった大事な言葉も意味がわからなくなってしまっていた。ただ、ひたすらフリースペースという記号にしがみついていた。それは自分が望まないものである以上、エセ選択、エセ実存でしかないのだが。目の前にあるあてがわれたものを選ぶのは真に選択らしい選択とはいえないからだ。
 それでもフりースペースのスタッフを半年勤められたのはわずかの慰めだった。
 
 それで、フリーターをはじめたとき、志した。「早く親から自立しよう。そして、自分でフリースクールを作ろう。昔行きたくても行けなかった所へ旅行したり、ボランテイアをしたり、日本各地やアメリカのいろいろなフリースクールやコミュニティを何箇所も回るんだ! プライベートでは好きな服を着て、ライブハウスやデイスコで踊るんだ。梅田のブルー・ノート(ジャズ系のライブハウス)、なんばのハードロック・カフェとかに行きたいな。」
 しかし、ぜんぜん自活できない。20代前半はそこそこ職があった。月に2~6万円程度は稼げた。
 一日何社まわっても、成果は出ない。会社・仕事のこと意外何も考えられない。
 フリーターの賃金を計算できたのは、いっさい職を探すのをやめて、コンピューターの学校に親の援助で通うことになったときだった。少し心に余裕ができて、「どうしてこんなに生活が苦しいのだろう?」「どうして自活できないの?」と思い、時給をいろいろなシフトと就業/失業の組み合わせて計算をしてみた。そうすると、どうあがいても自分ひとりで京阪神で一人暮らしをする賃金も保障も、アルバイトをしているかぎり不可能なのだった。
 だが、世間の常識は「大学を出ていないのは服を着ていないも同じ」。また、二十代後半でフリーターというのは、共同体の規範が許さない。世間の空気が認めないのだ。いくら働く気があっても、たった1歳ちがうだけで受付の人間は身をよじって嫌がる。本当に生理的な嫌悪感と憎しみでいっぱいになっているのが電話口からでも確認できる。
 そんななかで、どんどんアルバイトを探すのが難しく、またイヤになっていった。
 のちにアルバイトをあきらめてNPOに関わったときに、正社員に比べて自分の着るものやくつがみずほらしいこと、いっしょにレストランに入ったときに頼むものの金額が違うこと、それにスキルの圧倒的な違いに衝撃を受けた。
 パソコンも英語も、勉強したくてもまるでできなかったのだ。それでいかにも道徳的に断罪をする視線でにらまれたり、露骨に同情や説教をしてくる人もいるので、そのNPOはやめた。フリーターをしているからだろうか、「ヤル気」の有無について発起人からとやかく言われたのも応えた。
 
 フリーター生活は、わたしのすべてを奪っていった。ささやかな夢、自信、希望、有能感、自己肯定感情、スキル、社交、趣味、稼ぐためだけではない価値のある仕事……。

 もう絶対にフリーターを脱出したい! 誰がなんと言っても関係ない。マスコミのヨイショ&叩きも労働組合の説教も聞いてはいられない。
 
 ブルーハーツの「月の爆撃機」という曲にこんな歌詞がある。
「手がかりになるのは薄い月明かり」
このブログでコメントやTBをしてくれた人たちが、わたしにとっては薄い月明かりであり、希望である。