非国民通信

ノーモア・コイズミ

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2025-01-19 21:39:34 | 政治・国際

米企業 多様性など実現見直す動き 大統領就任前に政治的配慮か(NHK)

DEIと呼ばれる多様性などの実現に向けた取り組みを見直す動きがアメリカの企業の間で広がっています。DEIに対しては保守層の反発もあり、トランプ氏の大統領就任を前に政治的な配慮も背景にあるものとみられます。

DEIは「多様性」「公平性」「包摂性」を意味する英語の頭文字をとったことばで、数値目標などを設けて多様な人材を集め、イノベーションなどにいかす取り組みとして注目されてきましたが、このところアメリカでは見直しの動きが相次いでいます。

このうち、IT大手の「メタ」が多様性に配慮した採用活動などを廃止する計画だとアメリカの複数のメディアが報じました。DEIを取り巻く法律や政策の状況が変化したことが要因だとしています。

 

 日本でも兵庫県知事選で斎藤元彦の再選が決まった際には、率先して自己批判を行い権力側にすり寄る動きが少なからず見られました。アメリカだって権力者が変われば、それに合わせて変節する人々が出てくるのは至って自然なことと言えるでしょう。ここで名前を挙げられている「メタ」は元より同社が提供するフェイスブック及びインスタグラムにおいて「ロシア兵とロシア人への暴力を呼び掛ける投稿を容認する」「ロシアのプーチン大統領ないしベラルーシのルカシェンコ大統領の死を求める投稿についても期間・地域限定で認める」方針を掲げるなど権力側に付き従う姿勢で知られているところですので、何ら驚くに値しません。
参考:FB、ロシア兵への暴力呼び掛けを一時容認 ウクライナ関連のみ(ロイター)

 もちろん同様の方針はメタに限らず他のアメリカの有名企業も先んじて多様性目標の見直しを表明しており、流行に敏感な経営層の間では一定の合意が形成されているものと判断されます。アメリカに限らず日本でも、深く考えずにとにかく流行を追いかけることで時代に適応したつもりになるのは普通のことですので、我が国の企業がこれに倣うようになっても不思議ではないでしょう。企業は決して善意や道徳心で多様性を尊重してきたわけではない、DEIだのSDGsだのDXだの、しかるべく合理的判断の上で進めてきたのではなく単純に流行に乗り遅れまいと努めてきただけであって、その流行に変化があれば企業だって当然ながら変わるわけです。

 しかし、ここで言われるDEIとはなんでしょうか。それらしき説明は存在しますけれど、ちゃんと意味を理解した上で実践してきた人や組織がどれだけあるのかは大いに疑わしいと思います。ただ単に、流行の歌を皆で合唱してきただけではないか、というのが私の見解ですね。結局はDEIに反発していたとされる「保守層」なんてのも、いわばK-POPを嫌うのと同じようなもので、どのようなファッションをするかどうかで好きな人もいれば嫌いな人もいる、ぐらいの争いに見えるところもあります。

 例えばある国では、大統領と立場を異にする野党の活動が禁止されています。それでも口を噤まなかった野党の政治家は身柄を拘束され、隣国に囚われた兵士との捕虜交換の弾にされました。民間人でも政府を批判したジャーナリストは投獄され、拷問によって殺された人もいます。隣国の言葉を使用することは禁止され、隣国にルーツを持つ住民は弾圧される、政府に反旗を翻した地域へは住宅地にも容赦なく砲弾が撃ち込まれる──これはウクライナのことですが、我が国の報道ではウクライナ人は誰もが大統領を支持し、ロシアとの戦争継続を望んでいることになっています。本当は逆の立場の人もいるはずですが、そこは今もなお黙殺されているところで、これは「多様性」の観点からはどうなのでしょう?

 性的嗜好に関する多様性は、これまでは認められるべきものとして扱われることが多かったわけです。それは結構なことと言えますが、しかし他の種類の多様性、例えば政治体制や外交姿勢の多様性は尊重されてきたのかもまた問われるべきではないでしょうか。統治形態がアメリカとは異なる国、国際政治の場でアメリカに同調しない国に対して日米欧各国がどのように接してきたかを考えてください。そこに多様性は認められていなかった、アメリカ型の統治、アメリカに従う外交だけが唯一の「民主的な」正しい在り方と規定され、それぞれの国の独自性が尊重されることが決してなかったのは明らかです。

 フェアトレードという概念が専らチョコレートやコーヒーや手芸品に止まるように、DEIという流行り言葉において想定された多様性の範囲もまた至って限られたものでした。流行に乗って掲げられただけのスローガンなど、その程度のものでしょう。故にDEI某が見直されたところで大した意味はない、元から大した意味がなかったのだから、というのが私の見解です。もちろんLGBT云々に関しては冬の時代の到来ですが、一方では逆に認められるようになる、締め付けが緩くなるものも出てくることを期待したいと思います。

 バイデンという大統領はまさにアメリカ至上主義で、「アメリカに背く国」を断固として認めてきませんでした。それだけにアメリカ陣営の結束を重んじた、アメリカ国内の融和を目指してきたところもあります。一方でトランプは前任者に見られたような一貫性を期待できない、何事も自身の好き嫌いが最優先で行動や言動にもブレが大きい指導者です。この辺は政治的な影響力を強めているイーロン・マスクも同様で、いずれもアメリカの覇権を自壊させる可能性があります。ただ、それは国際社会における多様性が認められるためには良いことでしょう。アメリカに付き従う国だけが「民主的」ではない、そうでない国も尊重される、そんな多様な世界を実現するためにはネオコン一辺倒のバイデンよりも、トランプ&マスクの出鱈目路線の方が相対的にはマシです。

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目次

2025-01-19 00:00:00 | 目次

 

社会       最終更新  2025/ 1/ 9

雇用・経済    最終更新  2024/ 9/15

政治・国際    最終更新  2025/ 1/19

文芸欄      最終更新  2024/12/14

編集雑記・小ネタ 最終更新  2025/ 1/ 7

特集:ロシアとウクライナを巡る基礎知識、現在に至るまでの経緯

序文 第一章 第二章 第三章 第四章 おまけ

 

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