Our World Time

断腸の記

2008年04月28日 | Weblog



▼作家、永井荷風の著名な日記に、断腸亭日乗がある。
 荷風の、何ものにも侵されぬ不羈(ふき)の生きかたと、強靱な文学を深く尊敬しているが、真似るつもりは、さらさらない。

 しかし、この頃のぼくの朝夕に名を付けるのなら、それは「断腸の日々」と呼ぶほかはない。
 朝に夕に、断腸の思いが、胸を噛む。
 おのれの非力、祖国の命運、世界の弱者、少数者の不条理、それらへの無念の思いが、かつてない鋭さで、こころに刺さり、また刺さる。

 空は、われらに青いか。
 子々孫々にも、青いか。
 いや、大陸より吹きつく黄砂や煙霧に侵されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 海は、われらに青いか。
 子々孫々にも青いか。
 いや、半島から流さるる樹脂や核の吐瀉物に冒されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 もはや、ただひとつの国にて清くあろうとしても、それはできはしない。
 チベットのひとよ、ウイグルのひとよ、拉致されたままの同胞、はらからよ、われらと魂で結べ。







▼なんだかすこし、悲痛な書き出しになりすぎてしまった。
 ほんとうは、この世にかりそめに在る日々を、もっと楽に書きとめていきたいし、ブログというやつは、ただ一人で書きとめるだけじゃなくて、広く遠いひとびととも自然に交信する。

 しかし、ぼくが、ささやかなりに携わっている仕事、あるいは責任を数えてみたら、55あった。
 したがって、ほんのちょこっと、書きとめるだけです。
最近のある一週間について、書いてみます。
 忘れられない日もありました。


▽4月19日土曜

 未明4時ごろ、大阪の定宿ホテルで、どうにか目を覚ます。
 ゆうべの就寝は、午前2時過ぎだったかな、就寝というより、パソコンの前でがっくり首を垂れていただけだ。

 眼をしょぼつかせながら、電子メールのうち、これはどうしても急がねばならないというものを選び、返信を書いてゆく。
 ほかのメールは無念の思いでいったん見送る。

 朝8時20分ごろ、ほかの部屋に泊まっていた、独研(独立総合研究所)の秘書が迎えにやってくる。
 その元気な顔に、ずいぶんと励まされる。
 ぼくは朝風呂にほんの短時間ながら浸かって、血を身体にめぐらせ、それなりに戦う態勢になっている。

 8時50分ごろ、関西テレビに入る。
 簡潔な打ち合わせを経て、生放送のスタジオへ。

 きょうは、日本の仏教界から初めてチベット抑圧に抗議する良心の声をあげた、書寫山圓教寺(書写山円教寺)の大樹玄承師が、ダライラマ法王の側近であったペマ・ギャルポさんと接点ができて、大樹師の訴えがチベットの人々に伝わっていくことから、つたない話を起こした。

 ほんらいの目的に集中し、ほんらいの志に生きて、死ぬ。
 いつものように胸のうちで、そう唱える。
 テレビ局のスタジオでの、ほんらいの目的は、ただ視聴者、国民に伝えるべきを伝えることだけだ。
 おのれがうまくやれるか、どうのこうのは、もちろん気になっていいが、目的じゃない。

 昼近くに、生放送が終わり、そのまま伊丹空港へ。
 午後2時すぎに羽田空港へ着く。
 きょうはテレビ朝日で「TVタックル」の収録があるので、空港から直接、テレ朝に行くのがいいのだけれど、このごろの心身の疲労を考ると、どうしても、どれほど短時間でも一度、自宅に帰りたい。

 空港から、海と富士山のみえる自宅へ。
 ほんの10分ほどひとりで寛いで、それなりにリフレッシュする。
 午後3時45分ごろ、テレビ朝日に入る。

 ぶったまと同じく、とても簡潔な打ち合わせがある。
 きょうは全編、中国問題ということで、日本にいる中国の学者とジャーナリストも出演される。
 顔馴染みのディレクターが、ちょっこっとぼくの待機室(楽屋)に顔を出して、「このごろは、なかなか外交問題をやれなくて。実に、あれ以来ですよ」と言う。
 昨年12月だったか、「日本人よ、拉致問題を忘れるな」というテーマで収録したとき以来、という意味だ。
 それでも、やるだけ、エライ。

 午後4時半、収録を開始。
 チベット、東シナ海、胡錦涛国家主席の来日。
 今夜は、チベット人のためにも、ちゃんと声を出さねば、という思いがあった。
 収録はいつものように2時間たっぷり。
 これが編集されて、40数分だけ、放送される。
 タックルは、ちょっと見には生放送ぽいけど、実際には収録であることを番組はちっとも隠そうとはしていない。
 ほんのジョークで生放送の装いにしてるよ、という感じだ。それが、この長寿番組の隠し味のように思う。

 中国人のふたりと真正面から議論したつもりだった。
 収録が終わり、顔をひと洗いして、帰ろうとエレベーターへ。
 そのエレベーター近くで、中国のふたりのうちのおひとり、女性が、「青山さんが話をさせてくれなかった」とスタッフをかき口説いている、いや訴えているところに、偶然ばったり出くわした。

 ぼくは気にせず、エレベーターから「どうぞ」と言うが、女性は「もう、一緒になんか乗りたくない気分」とおっしゃる。
 そうですか、と行こうとすると、乗ってこられた。
 そして、まるで収録中のときのように強く、なにかをおっしゃる。
 ぼくはいつも、どんなに激しくやり合っても収録が終わればノーサイドと考えているから、ちょっとだけ意外に思う。
「心配なさらなくても、あなたの発言はちゃんと放送されますよ。ぼくの発言はいつも、大半カットされますから、あなたが心配することはありません。大丈夫です」と言う。

 まんま、本心をありのままに言った。
 すると女性は、「それが分かっていて、あんなに妨害されたのですか」

 妨害?
 まさか。
 あなたのように、どんどん話せるひとを、妨害したくてもできるもんじゃありません。
 …と思ったが、何かを答えるまえに、エレベーターはもう車寄せに着いた。
 当然ながらレディファーストで、先にクルマに乗られるよう勧めながら、中国のひとは実際たくましいなぁと内心で感嘆する。

 この収録分が放送されるのは、ずいぶんと先で9日間も先の28日だ。
 10日近くも経てば、情勢も変わる。
 現にこのあと、フランスが中国に実質的に屈服するという意外な事態にもなった。
 さて、どんな風に編集されるのか。
 ぼくの発言はあまり使われないけど、それはそれとして、編集ぶりはいつも天才的だ。まるで当日に収録が終わったばかり、湯気がほやほやという感じに編集されている。


▽4月20日日曜

 ほんとうは終日、原稿を書いていたかったが、朝10時から夕刻5時半ごろまで遠出をして、毎日新聞の編集委員らと会う。
 このひとは、ものすごくフェアなベテラン記者で、その風貌をみているだけで背筋が伸びる。
 毎日新聞とは、意見の違うことも多いけど、このひととはエネルギー問題などで共感が深い。

 帰宅してから、ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月21日月曜

 午後2時45分ごろ、防衛省に入る。
 午後3時15分から、2時間あまり、防衛省に国家公務員1種と2種で採用されたばかりの新人防衛官僚と、この祖国の護りについて講演し、ひとりひとり眼を見て対話する。
 必死の思いで話した。
 彼らの眼の輝きが、うれしかった。胸に沁みた。

 午後6時まえ、独研(独立総合研究所)の本社に戻る。
 午後6時半から、朝日新聞の幹部の夫妻と、夕食会。
 朝日新聞とは、中国にしても憲法にしても、考えは違う。しかし、ぼくは考えのまるで違う友だちが多い。
 この朝日の幹部はご夫婦とも、政治記者時代からの、ながぁい友情だ。
 日本の既得権益の解体などについて、突っ込んだ意見交換をする。


▽4月22日火曜

 午後、大阪に入り、近畿大学経済学部の客員教授としての授業をふたコマ、合計3時間、講義する。

 夜、関西テレビに入って、あすの報道番組「ANCHOR」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーのために打ち合わせ。
 この打ち合わせは、じっくりとおこなわれる、なかなかの難事業だ。
 しかし、この頃はメインキャスターのヤマヒロさんと、村西利恵ちゃんが、その日の生放送が終わってからすぐ、疲れた顔もみせずに明るく参加してくれるので、議論がぎゅっとコンパクトになって、やりやすい。ぼくの疲労感は、すこし減りつつある気がする。
 ほんとうは、毎日が極限勝負のメインキャスターこそ疲れているだろうに、こころの底で手を合わせる。


▽4月23日水曜

 定宿のホテルで未明4時半ごろに起床。
 携帯電話とeメールで取材、意見交換、情報の交換。

 朝7時17分ごろから、RKB毎日放送ラジオに、電話で生出演。
 イエメン沖で日本の原油タンカーが海賊に襲われた不可思議な事件が、東シナ海のガス田をめぐって中国とフェアな交渉を毅然とやらねばならないことに、実際は繋がっていることを話した。

 昼から1時間半ほど、ある公共事業体のトップらと昼食会。
 メタンハイドレートをきちんと探査する必然性などについて、意見を交換する。
 福田さんの先行きなど、政局についても自然に、深い話になる。

 いったんホテルに戻って、プールでひと泳ぎ。
 これで血を身体にめぐらせて、生放送に耐えられるようにする。

 午後4時まえ、関テレに入る。
 午後4時55分から、ANCHORの生放送が開始。
 コーナーでは、朝のラジオと同じく、タンカー襲撃事件から説き起こして、中国との対等な資源外交を国民が求めていくことについて話した。
 ラジオとテレビは、まったく根こそぎ違う。
 それに注意しながら、視聴者の心眼に残るようにしたいと願う。

 夜9時20分ごろ、羽田空港から自宅へ帰る。
 ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月24日木曜

 ほぼ寝ないまま、朝7時45分に自宅を出て、東京駅へ。
 東北新幹線で、あるエネルギー施設へ向かう。
 独研から、秘書室長、それに研究本部・社会科学部の研究員ふたりの計3人が同行する。

 車中で、「土曜日の長野聖火リレーの前に行われる、善光寺での法要になんとか参加できないか」と秘書室長に打診する。
 これは日程的に無理だと決まっていたが、法要はチベット民衆蜂起での犠牲者をチベット人、漢人を問わずに弔うという素晴らしい法要だ。
 これに参加する高辻哲洋師ら僧侶の行動に、ぼくは「賛同人」として賛意を表明している。

 もはや無理と分かっているのに打診された秘書室長は、嫌な顔ひとつせず、再検討や問い合わせを車中で開始してくれる。
 彼女はこのために、おちおち席に座っていることもできず、デッキで電話などをしている。こころのなかで深く感謝する。

 ぼくは座席で、原稿を書く。と言いながら、かなりの時間、眠りに落ちてしまっていた。
 秘書室長、申し訳ない。
 彼女はむしろ安心したのかも知れないけど。

 仙台駅で降りて、そこからかなりの長時間、高速と山道をタクシーで揺られ、エネルギー施設へ向かう。
 揺れる車中で、急ぎの原稿を仕上げてネットで送り、これからおのれがやる講演のレジュメを点検し、最後に10分ほど仮眠して、エネルギー施設に到着。

 エネルギー施設で、この国の自主エネルギーをどう護るかについて講演し、そのあと施設を実地検分し、研究員らとともに検証会に臨む。
 テロ対策を中心に、問題提起し、意見を交換する。

 夜、そのエネルギー施設のかたがたと懇談会。
 懇談会のまえに、秘書室長から「やはり長野行きは無理でしょう」という判断を告げられ、ぼくとしても了承する。
 仙台の近くで宿泊。
 終日、雨。夜っぴて、雨。


▽4月25日金曜

 未明に起きて、原稿執筆。
 窓の外は、まだ雨が降っている。
 子々孫々にとって、うたれてもよい清い雨でありますように。

 昼すぎ、仙台から東京駅に着き、独研の本社へ。
 夕刻、ことしも陸上自衛隊から研修生(佐官ふたり)を受け入れることについて、陸自幹部が来社され、じっくり打ち合わせ。

 夜、早くから決まっていた情報源とのアポイントメント。


▽4月26日土曜

 未明3時から4時にかけて、自分で車を運転してとにかく長野へ行く道が最後に残っていると考えるが、朝までに終えると約束を交わしている、独研社長としての仕事が終わらず、断念する。
 徹夜仕事のまま、早朝から長野の実況放送をみる。
 日本の主権が侵されている懸念を持つ。

 長野聖火リレーが終わって間もなく、警察が中国人を規制せずにチベット人や日本国民だけを規制したのではないか、という疑念と怒りをぼくに訴える電子メールがいくつか届く。
 情報を集めたうえで、警察当局のある幹部に電話する。
 この幹部は、ふだんからフェアにして冷徹な判断力を持つひとだ。

 ぼくは言った。
「テレビでは、そういったことを何も放送していなくとも、ネットで真実が明かされることは、この頃たいへんに多いのです。ぼくのところに、暴力をふるっている中国人を検挙せずに、日本人やチベット人だけを排除したという、現場からの訴えのメールが入っている。それにyou tube をみると、『日本人はチベットを見捨てない』と書いた手作りのプラカードを、五星紅旗を身にまとった中国人らしい青年がふたりで引きちぎる画像があり、日本語で警察官を呼ぶ声があり、ふたりの警察官が現れながら、その器物損壊の疑いのある行為を黙認している様子が、ありありと映っている。
 こうしたことを、あなたはご存じか。
 あなたを警察機構のなかの良心と思うから、お聞きしたい。
 まず事実関係を、公正に、公平に知りたい。
 それから、ぼくはきわめて残念ながら現場に行けなかったが、テレビで見る限り、警官隊に、中国人には手を出すなという指令が出ていたのかと疑念を感じさせるところがあった。これについても、すぐ調べていただきたい。
 これらが事実であれば、たいへんに良くない。国家主権にかかわる問題だ」

 この幹部は、電話の向こうで驚いていた。
 演技とはとても思えない。
「すぐ調べます」と答えて、電話は切れた。

 この幹部は、いつも反応が早い。
 まもなく電話がかかってきた。
「責任幹部の一人に確認しました。検挙については、中国人、日本人、チベット人らがお互いに衝突していた実情があり、それらの検挙をひとつひとつしていくと混乱が激しくなるので、ただ聖火の列に突っ込んだ人物だけ検挙する方針だったとのことです。銃刀法違反のような事例はそれ以外にも検挙しましたが、ふだんなら暴行や器物損壊で検挙できるケースも、ひとつひとつ検挙する余裕がなく、警備が実施できることを優先した現実があります。
 それから中国人に手を出すな、という指示は絶対に出ていません。ふだんから、中国に対してフェアに厳正に臨んでいる、信頼できる幹部に確認したから、間違いないと思う」

 ぼくはこの答えで了解したわけではない。
 この幹部も、「了解してください」とは、ただの一言も言わなかった。
 ぼくは、さらなる調査と、日本国民のための警察として国民に対する説明が必要だと述べた。

 それにテレビ画面では、中国人の青装束の伴走者が、星野監督に何事かを指示するかのようなシーンも映った。
 中国は、他の国と同じく大量の青装束の伴走者を受け入れるように日本に迫り、それを日本は拒絶したうえで、ふたりだけは「聖火のメンテに専念する。ランナーや警備陣に指示したりはしない」という条件で、受け入れたはずだ。
 星野監督に指示したのなら、約束違反だ。

 それも含めて、中国の国旗がなぜ、日本の行事である長野聖火リレーを埋め尽くしたのか、全般にまだまだ事実確認が必要だ。
 少なくともスタート地点と、ゴール地点は、まるで日本ではなく中国国内のようだった。これは多くの国民が間違いなく、気づいている。


▽4月27日日曜

 午前11時すぎ、テレビ朝日に入る。
 正午ごろから、首都圏を中心に15局をネットしている番組「サンデー・スクランブル」に生出演する。

 スタジオでぼくの隣には、テレビ番組がセットして長野入りした、中国のジャーナリストがいらっしゃる。
 ぼくはメインキャスターの問いに答えて、冒頭に「長野聖火リレーは中国にとっても失敗だった。北京五輪は中国の行事だが、長野聖火リレーは日本の行事だ。その行事を五星紅旗で埋め尽くして、日本国民は聖火をみることもできないのはおかしいと、世界の誰もが感じるだろう。あの五星紅旗が、五輪旗だったら、話は違っていた」と述べた。

 VTRのあと、スタジオで議論になり、中国のジャーナリストは「許し難い暴力行為があった。あなたはそれを認めるのか」と声を荒げておっしゃる。
「検挙された日本人もいるが、何の私的利益にもならないのに、ただチベット人の人権が侵されていることをなんとかしたいという思いで行った行為だ」と述べたが、中国のジャーナリストは「暴力行為を認めるのか」と反復された。

 ほんとうに暴力行為であれば、爆弾を投げたり、実被害の出る行為になるはずだが、長野では紙ビラ、あるいは火の入っていない発煙筒が投げられ、列に入ろうとする行為も、列は乱れたが、聖火を奪うような行為にはみえなかった。
 しかし、番組にはメインキャスターふたりと、レギュラーコメンテーターのテリー伊藤さんと黒鉄ひろしさんがいらっしゃったから(おふたりと親交もあるし…いや、それは関係ない)、ぼくがそこまで発言する時間はなかった。
 それに何より、これを発言するには、もっと事実検証が必要だ。

 ぼくは最後に「中国がこれからも聖火リレーを続けたいのなら、チベット人がフェアに発言できる場をきちんと作ってからにすべきだ」と述べ、中国のジャーナリストも、かすかにではあるが、頷かれた。

 この中国のジャーナリストは、全体に、ぼくの発言を邪魔されるようなことはなかった。
 それに、テレビ局のセッティングであれ何であれ、現場を踏んでいて、ぼくは今回、どのようにやむを得ない理由があっても現場を踏んでいない。
 だから、スタジオを出てから、彼に「現場を踏んでの発言には、重みがありました」と述べた。
 彼は無言だった。
 ぼくとしては意見は大きく違っても評価すべきは評価して、フェアネスを貫きたかったが、通じたかどうかは分からない。

 帰宅後、「来世牧童になるために」というタイトルのブログで、早速にこの番組に触れているのを発見して、ネットのアンテナの鋭さにあらためて感嘆した。

 ネットでは、「日本のふつうの市民が、中国人のおばあさんに噛みつかれて血を流したりしながら、警察官が黙認していた」という証言をはじめ、中国に対してだけではなく、日本の政府権力、日本のマスメディアに対する疑念、怒りがどっと噴出している。

 それをひとつひとつ見つつ、ぼくは「警察をはじめ日本の政府、その政府に寄り添ってきたマスメディアは、自由な市民のネットの偉大な力を知らなさすぎる」と思った。
 ネットでは匿名性が強く、ぼくも脅迫や中傷に常に、いまも晒されている。
 しかし、その一方で、市民のほんものの証言、尊重すべき公正な怒りも、充分に満ちている。
 ぼく自身も、それを学びつつある。

 長野事件も(ぼくはもう、そう呼びたい)、これからじっくりフェアに調べていきたい。

 夕刻、迷ったが、自宅近くのジムへ久しぶりに行く。
 原稿を書く時間を5分でも10分でも増やしたい。
 その思いは正直、切実だ。
 しかし、このごろ身体の切れが鈍く、それが精神にも、原稿にも影響しているように思う。
 そこで思い切って、ジムへ行く。

 ちょうど、85歳にしてジムで身体を作り直している実母が、「筋力トレーニングをまもなく終えてプールでのウォーキングに入る」とトレーナーから聞いて、プールで泳ぎながら待つ。
 現れた母の手を引いて、プールで一往復、ウォーキングする。
 なにが後期高齢者か。
 年齢とともに歩きにくくなっている母には、病院でリハビリするより、若いひとびとのあいだに混じって堂々とトレーニングしてほしくて、このジムの会員になってもらっている。

 母がトレーニングを終えたあと、ぼくはジムに残り、短時間ながら、いつものバーベル挙げ(ベンチプレス)やダンベル・トレーニング、腹筋などをぎゅっと詰めて完遂し、体調はいくぶん良くなった。



▼さて、9日前に収録したTVタックルが放送されるまで、あとわずかな時間だ。
 どんな編集になっているか、それはまったく分からないが、あくまでも編集権はテレビ局にある。
 ぼくは自分の姿をテレビで見るのが正直、たいへん嫌なので、たぶん見ない。
 チベットの民衆の志と無念をどこまで、担うことができたのか、それを考えると、今夜もまた、断腸の思いが繰り返し、くりかえし、胸を噛むだろう。


                4月28日月曜 午後6時すぎ







直しましょう

2008年04月18日 | Weblog



 ひとつまえの書き込み「ふつうのこと」を一部、直しました。

 書き込みの目的は、名古屋での、ふつうのひとびとによるデモ行進の志の清潔さ、高さを知ってもらうことと、参加者が一人でも増えることです。

 いかなる組織や団体も裏にいないことを、まさしく評価していますから、特定の宗教法人(寺院)が主宰しているとは、まったく書いていません。正反対です。
 僧侶も、ひとりの宗教者の良心をもって積極果敢にかかわっておられる、そのことの深い意義を込めて、具体的に記しました。

 しかし一方で、デモ行進をおこなうにあたって、きちんと責任をもって「代表」、「代表補佐」を名乗り、愛知県警との調整などにあたり、無償の努力を重ねておられる市民がいますから、主宰者はそのかたがたです。
 僧侶は参加者です。

 そこで、そのように直しました。

 ぼくに会いに来られた6人衆は、僧侶、サラリーマン、自営業、主婦、学生と、それぞれ立場や仕事は違っても、みな、はっとするような清潔な目をしておられました。

 魂から、うれしく思いました。






ふつうのこと

2008年04月18日 | Weblog



▼この地味ブログを、わざわざ訪ねてくれるみなさんに取り急ぎ、伝えたいことがいくつもあります。
 しかし、ぼくという人間を55個ぐらいに割って、それぞれの任に当たらせたいぐらいに仕事が錯綜しているので、なかなかこの個人ブログに書き込む時間がありません。

 だから、きわめて簡略になってしまいますが、とりあえずお伝えしたく思います。


▼まず、中国によるチベット抑圧に真正面から抗議し、チベット人に支援の声を送るための市民デモ行進が、あす4月19日土曜午後1時から、名古屋市中区で行われます。
 このデモを主宰するのは、ふつうのひとびとです。
 いかなる団体や政党、組織にも属さない、ほんとうにふつうの市民が、しかも多くは初対面のひとびとが、ただインターネットでの呼びかけだけで集まり、デモ行進を計画し、今や1000人規模のふつうのひとびとが集まりそうです。

 そのデモ行進に参加されるうちの6人が、きのう東京の独立総合研究所(独研)本社においでになりました。僧侶ふたり、自営業、主婦、サラリーマン、学生のかたがたです。
 そのなかには主宰者のかた(自営業、サラリーマンのふつうの市民)もいらっしゃいました。

 ぼくは6人からそれぞれのお話を聞くうち、正直、驚き、こころから感嘆しました。
 ぼくが社交辞令は一切、言わないのは、みなご存じだと思います。

 ほんとうに、まったく互いになんの利害関係もない、まんま普通の人々が、ただ「チベット人の苦しみを放っておけない」という理由、それだけで会社を休み、仕事を休み、子どもに留守番してもらい、デモ行進を計画し、実行するのです。

 たとえば、きのうも、愛知県豊田市や京都市などから自分で安くはない交通費を賄って、自分の利益には何もならないのに、ぼくのところへ相談に来られた。
 しかも、ぼくがお会いできる時間を朝いちばんしか、どうしても設定できなかったので、前日から泊まられて、それももちろん自費で賄って、わざわざ来られたのです。

 デモのさまざまな準備も、当日の実行も、もちろん費用も時間も労力もかかります。
 そうまでしてやるのは何のためか。
 すべて、会ったこともない、見たこともない、これからも利害の関係など生まれるはずもない、名も無きチベットのひとびと、遙かヒマラヤ山脈に抱かれて生きる遠いひとびとのためなのです。

 凄いぞ、われら日本国民!

 ぼくは仕事柄ずっと、外国のことへの日本の関心の薄さに苦しんできたので、この奇跡のようなデモ行進の計画に、驚き、こころから感嘆しているのです。


▼この6人衆とお会いしたあと、まずすぐに、警察の中枢幹部に電話しました。
 この幹部は、春風のように穏やかなのに、私心を捨てて国民に尽くしきる志を持っていて、きわめて清廉でもあるから、ぼくが信頼するひとです。
 デモ行進の主宰者はすでに、きちんと愛知県警に届け出て相談され、愛知県警の所轄署の担当警部補をはじめ署長に至るまで、誠実に対応してくれているそうだから、心配はいりません。

 ただ、当初は650人ぐらいの見通しだったのが、1000人を超えそうになり、警備にも新たな課題が生まれます。
 そこで念のため、首都東京にいる中枢幹部に電話し、このデモ行進が、まったく裏のない、そしてわたしたちの日本国が、中国や北朝鮮とは根っこから違う民主主義国家であることの新しい証明のようなデモ行進であることを伝え、われらの自由と民主主義を護るのが使命である警察が、このデモ行進をしっかりと護るよう、強く要請し、それから愛知県警の現場の誠実さに感謝を伝えました。


▼そのあと、天台宗の書寫山圓教寺(書写山円教寺)の執事長、大樹玄承(おおき・けんじょう)師に電話しました。
 なぜなら、このデモ行進は、いかなる宗教団体とも一切関係なく、ふつうの市民が立ち上げた行動ですが、大樹玄承師が関西テレビの情報番組「ぶったま」の誤魔化しのきかない生放送で、日本の仏教者として初めてチベット抑圧への抗議声明を良心と勇気にもとづいて読みあげたことにも、大きな前向きの刺激を受けているからです。

 大樹師は、デモ行進への支持を明言され、できるだけ参加したいともおっしゃいました。


▼大樹玄承師については、もうひとつ、みなさんに伝えたいことがあるのです。
 先週の土曜日、4月12日に東京へ来ていただき、ダライラマ法王を支えるチベット人として日本のテレビ番組で発言するペマ・ギャルポさん(政治学者)らと対談していただきました。
 これは、チベットの民衆蜂起で緊急出版されるムックのための対談です。主宰は、気骨のジャーナリスト、西村幸祐さんです。
 それから、地にしっかり足のついた現場主義の女性ジャーナリスト、大高未貴さんと、ぼくも対談に参加しました。

 そこで出た話のうち大切な部分を、あす4月19日土曜の関テレ「ぶったま」で、ぼくからみなさんへお話しします。


▼今ぼくは、大雨の東京から福岡へ向かって飛び立った飛行機の、機中です。
 日本列島を、深い雲が覆っています。

 福岡で講演し、夜遅くに大阪に入り、明日の「ぶったま」に備えます。
 明日の朝には「ぶったま」に生出演し、すぐ東京へ戻って、テレビ朝日「TVタックル」の中国とチベットをめぐる収録に加わります。

 そのあいだに、名古屋ではデモ行進が行われます。


▼きょうの書き込みの最後に、付け加えておきたいことがあります。
 大樹玄承師は、いまや、みんなを勇気づけるひとです。
 デモ行進の波だって起こせるひとです。

 ただ偶像にはしないでくださいね。
 大樹師は、前夜まで迷われて、それから、生放送で抗議声明を読まれました。
 聖人や偶像ではありません。悩みつつ前へ進むひとだからこそ、尊いのです。
 ぼくは大樹師に今後も、ご無理は決して、なさっていただきたくありません。

 いま大樹師は、とても自然に、あるがままに、できることについて力を尽くされています。
 いつまでも、そのままで居てほしいと、胸の奥から願います。

 不肖のぼく自身を含めて、みんなが、ふつうの悩みを抱える、にんげんでいて、ぼくらのオリジナルな民主主義を造っていく。
 奇跡のような名古屋のデモ行進も、大樹師の良心と勇気の抗議声明も、それから僭越ながら独立総合研究所(独研)のSTRUGGLE(泥のなかを這い進むような戦い)も、そこに根ざすと、ぼくは考えています。






※付記
(主宰者のかたから提供された詳細情報をそのまま掲げておきます)


【4月19日(土)】フリーチベットデモ@名古屋市

【名称】 FREE TIBET in 名古屋

【開催日】2008年4月19日(土曜日)

【集合時間】 13:00 (時間厳守)

【開催時間】 14:00~ (時間厳守)

【場所】 若宮大通公園 (名古屋市中区)

【主催者】 中国政府のチベット弾圧に抗議するデモ実行委員会(※1)
趣旨 チベットの平和を願い、中国政府によるチベット弾圧に対する抗議を目的
としたデモ

【詳細】FREE TIBET in 名古屋 http://tibet.suppa.jp/
    http://www9.atwiki.jp/freetibetnagoya/

【デモコース】
若宮大通公園

歩道橋、横断歩道を渡る

歩道で4列縦隊に整列

出発(14:00)

若宮大通久屋交差点を左折

久屋大通を北進

(松坂屋・三越の東側を通る)

(テレビ塔の西側を通る)

桜通久屋西交差点(アネックス)を左折

桜通大津交差点を左折

大津通を南進

(松坂屋・三越の西側を通る)

若宮大通公園


【詳細】FREE TIBET in 名古屋 http://tibet.suppa.jp/
    http://www9.atwiki.jp/freetibetnagoya/






真実

2008年04月09日 | Weblog



▼みなさん、今は4月8日火曜の昼、羽田空港で、春の嵐のために飛ばない飛行機をじっと待っているところです。
 この時間を使って、ほんとうは、溜まりに溜まっている原稿をプロとして必死に書かねばなりません。
 しかし、広くみなさんの関心の強いことをめぐって、ひとつ嬉しい話と、それから喜んでばかりはいられない話とが、分かってきましたから、すこしそれについて書いて、この地味ブログにアップしたいと思います。


▼4月5日土曜に関西テレビ「ぶったま」で放送された、日本の僧侶として初めてのチベット支援アピール、すなわち西の比叡山こと書寫山圓教寺(書写山円教寺)の執事長、大樹玄承(おおきけんじょう)師が良心と勇気にもとづいて、誤魔化しのきかない生放送で読みあげた声明文をめぐって、関係者に「わたしも物書きの端くれとして、著作権をしっかり護る社会であってほしいが、今回の放送については、インターネット上の動画を機械的、かつ官僚的に削除しないでほしい」という趣旨のメッセージを、彼らの留守番電話に残しました。

 これは、このブログの前回の書き込みで、ありのままに記しましたね。


▽…と、ここまで書いたところで、待望の搭乗となったのですが、機内に入ってから「実は滑走路が冠水していて、飛び立つまでにあと2時間以上かかる。それまで機はじっと、この駐機場で待機するほかない」という機長のアナウンスがありました。
 そして機長の英断で、機が滑走路へ動き出すまではパソコンが使えることになったので、続きを書きましょう。
 きょうは日航機で大阪へ飛んで、近畿大学経済学部の客員教授(国際関係論)として平成20年度の第1回講義のはずでした。
 今年度から、新1年生と、2~4年生対象の2種類の講義となるのですが、新1年生はもはや休講が決定的です。2~4年生も、どうかなぁ、大阪に到着した時どれぐらい時間が残っているか。
 しかし、ぼくは、日本の航空会社はエライと思います。
 アメリカだったらとっくに、あっさりとCANCELLED、キャンセルされちゃって「あとは自分で自分の面倒をみろ」ということに確実になっていたでしょう。
 ぼくの経験からして、間違いないと思います。係員が小さく口笛を吹きながら「CANCELLED」という札を目の前でぼくら乗客に出して、さぁ仕事が減ったとでもいうように気楽な顔でいる現場に、何度か遭遇しましたから。
 日本には、まだまだいいところが沢山ある。
 大樹玄承師のように、因習に負けない、空気に負けない勇気を、謙虚にしっかりとみせる人もいるし。

 いま、この機の出発を諦めて、新幹線に乗り換えようとするお客さんが、どんどん出口に集まって、混乱する地上窓口へ、払い戻しの手続きに向かおうとしています。
 その動きが、ほかのお客さんの不安を刺激して、よけいに出口へ集まる人が増えてもいるようです。
 ぼくと独研のS秘書室長は、あくまでも飛ぼうとするJALの責任感に敬意を表して、動きません。
 それに、ささやかな経験則からすると、こういう時に下手に動くとろくな事がないことがあります。そもそも嵐には、飛行機のほうが新幹線よりも強いことが、意外に多い。

 降りたいお客さんを降ろしたのも、JALの判断ですが、そうなると機の出発はよけいに遅れます。
 搭乗名簿の確認および修正と、それから預けた荷物があるかどうかの確認、あればそれをより分けて機から降ろす作業などなど、びっくりするぐらい時間を要する新たな作業が生まれますから。
 事実、さらに激しく遅れています。

 たとえばアメリカでは、これも絶対にないでしょう。
 しかしこの点は、降りたいひとの気持ちや主張を優先した日本と、「非常時には個人の都合をいちいち聞いていてはいけない」とおそらくは考えるだろうアメリカのどちらが正しいのか、簡単には言えませんね。
 危機管理の専門家としてのぼくの個人的意見は、この一点については、アメリカ型の判断に軍配をあげます。
 気分が悪くなった人などは、この場合、ぜひとも降ろさねばなりません。
 しかし新幹線か飛行機か迷っている人まで積極的に降ろすことによって、機をさらに遅らせるのはどうでしょうか。

 ただし、降りず動かず機に留まったのは、自分の判断ですから、降りる客のために出発がさらに遅れたことに、ことさらクレームを言うつもりは、さらさらありません。

▽機は、とうとう滑走路へ向けて動き出しました。
 ただしまだ、滑走路前で40分か50分は待ちそうです。
 大きな翼を持つ機体は、この地上にあっても強風に大きく揺さぶられ、右にかしぎ左にかしぎ、飛行機に弱いひとなら、もう気分が悪くなるでしょう。
 これで飛べ上がれるのだから、航空技術の進化はたいしたものだナァ。
 さて、話をチベット支援アピールの動画に戻しましょう。


▼まず4月6日の日曜に、留守電を聞いた関係者のひとりから、ぼくに電話がありました。
「さっそく調べてみましたが、関西テレビから、動画削除を依頼した事実はないようです。しかし日曜なので担当者から明確なことは聞けていないので、月曜になってから、あらためて連絡します。わたしもアクセスしてみましたが、You Tube はそのまま削除されずにアップされているようですね。ニコニコ動画などは削除されていますが…」

 関テレから削除依頼を出していないというのは、重要な情報ですが、この電話の通りまだ不明確な情報ですから、ブログには何も書き込みませんでした。


▼明けて4月7日の月曜に、その関係者から、再び約束通りに電話がありました。
「確認しました。やはり一切、削除依頼は出していないとのことです」

 この関係者の誠意を、まずぼくは高く評価します。
 しかし、疑問の点がありました。
 そこで、ぼくから質問をしました。
「ふだんから、ぼくを支えてくれている、ある視聴者がYou Tube にアップしたところ、削除されて、そのあとにYou Tube からのお知らせとして、『この動画は、著作権法上の権利が侵害されたとのKansai Telecasting Corporationによる申し立てにより削除されました』と明記されています。Kansai Telecasting Corporation とはまさしく、関テレの英語表記ですよね。(註・関テレはKTVという分かりやすい略号を使っていますが、社名の英文表記はKansai TelevisionではなくKansai Telecasting Corporation です)
 あなたの話は誠実で、信頼するし、ちゃんと調べて回答してくることも評価もする。しかし客観的事実と、矛盾しているようです。もしも矛盾しないとするなら、You Tube が嘘を記していることになる」

 すると関係者は、もう一度、確認してくれました。
 この答えが大切なのです。


▼その答えは、「確認しました。4月5日のぶったまの放送については、どこにも削除要請を出していないそうです。
 ふだんは、確かに、削除要請を出す、しかし4月5日のぶったまについては、出してないということです」

 おぉー。
 つまり、心意気として、あえて、4月5日のぶったまについては大樹玄承師の勇気を無駄にしないために、削除要請をしないでいてくれたことになります。

 関係者も担当者も、「そうです」とは口が裂けても言えないでしょう。著作権法があります。
 だから、ぼくはここはもう、これ以上は詰めません。
 ただ、ぼくの解釈として、その心意気、志があったことが分かって、たいへんに嬉しくなりました。

「あるある問題」で大きく傷つき、いまだに民放連に復帰できていない関テレ。
 その重大すぎる捏造放送と教訓は、まだまだ軽視できません。
 しかし、現在の関テレは、チベットをめぐって、ほかの局にない志をみせました。
 やり直しのきかない生放送で、あの大樹玄承師のアピールを放送しようと、ぼくが提案したとき、他にぼくの提案を断った関テレの番組もあったけれど、「ぶったま」が「やりましょう」と言ってくれたこと。
 その「ぶったま」が、局内の法務部門その他に、しっかりと問い合わせをした時、「やめろ」と言った部門や上司はなく、「青山さんと、それをやっていい」という回答ばかりであったこと。
 そして、大樹玄承師のアピールが実現したあと、その勇気が無駄にならない配慮をみせてくれたこと。

 これはテレビの歴史に書き残す価値のあることではないでしょうか。
 大袈裟な言い方になって、申し訳ない。
 しかし、ぼくは関テレと利害関係がありません。ぼくは芸能プロに属さないし、関テレと特段の契約もしていません。単に、一人の番組参加者(出演者)に過ぎません。
 その立場から、すなおな感想として、記しました。


▼一方で、喜んでばかりはいられないことも、いくつも、あります。

▽多くのひとが視るべき動画も、一律に消されるのは、著作権法そのものに問題があるのではなくて、関テレを含む日本のテレビ局が「最低限度の料金で、フェアに動画を配信する」という努力を、まだまだ怠っているからです。

 そして、ぼくのほんとうの思いは(1)再放送の予定のない生放送であったとき(2)どんな番組であれ、社会性のある内容を扱ったとき―については、まったく無償で、その局のホームページから自由に閲覧できるようにしてほしい、と願っています。

 これは、さして大所高所からは言っていないのです。
 早い話が、そのほうがテレビ局にとっても、自らの放送の存在をアピールし、広く知ってもらうことに、明らかに繋がります。

 日本のテレビでこれがなかなかできない理由のひとつとしては、おそらくは、出演者のかたがたの権利の問題が絡むのでしょう。
 たとえば、ぼく自身は、自分の参加(出演)した番組が、放送後にいくら無料でネットに流されようとも、まったく構いません。
 どしどし、みんなに流してください。反対派、賛成派、嘲笑派、冷笑派、支持派、まさしく民主主義としていろんな考え方がある外の世界へ、どんどん流してください。
 しかし、日本のテレビ番組に出演しているひとは、芸能プロと契約しているひとが、視聴者の考えているよりずっと多いという現実があります。
 ぼくも、自分がテレビに参加(出演)するまでは、知らなかった。
 そういうかたがたの権利の問題が、なかなか難しいのかもしれません。

 しかし、テレビ局は、フェアな閲覧ができるシステムを一日も早く整える努力をすべきだと、あらためて考えます。
 今回は努力をしてくれても、他の放送番組については削除要請をしていることが明らかになったのであり、著作権法に触れることなく閲覧できるシステムを創ることなく削除要請を続けることは、ひとびとと共に生きるメディアとして怠慢であるという問題がそのまま残ります。

▽また、4月5日の「ぶったま」については、テレビ局以外に動画削除を要請、いや要求した者、あるいは組織の存在することが、これでむしろ確認できたのであり、著作権を持たない者あるいは組織が不当に介入している事実が、はっきりと浮かびあがっています。

 それが中国など外国の介入であれば、そのような工作活動が日本で行われることを容認はできません。


▼これらの問題に、あらためて気づかされました。
 だから喜んでばかりは、いられません。


▼ぼくのこの地味なブログに、想像を絶するほど沢山のコメントがあったことは、真実を伝える動画を、著作権法に触れずにフェアに見たいという、多くのひとの熱意をありありと示すものです。
 誰ひとり、自分の利益のために発言したひとはいない。誰もが、わがことのように公(おおやけ)の問題を考えた。

 ぼくの意見や行動への賛否はどうであれ、そのことに感服します。みんなの熱意が、胸に沁みました。
 心にもないきれい事を申すことは、しません。
 ぼくとテレビ・メディアとの関わり方に、このみんなの熱意は、きっと影響します。

 そして、この多くのひとのコメント発信が、ネット上の動画をどうするという問題を解決へ進める助けになることを、強く願います。

 最後に、きちんと誠実に連絡をしてくれた関係者のためにも、ぼくが留守電へのメッセージでも、このブログでも怒ったことにお詫びするためにも、それから一生懸命に考えてくれたみんなに真実をありのままに知らせるためにも、この書き込みは一刻も早くアップしたかったけれど、疲労による体調不良と、もはや、ひとりの人間が処理できる限界を超えた多忙によって、こんなに遅くなってしまったことを、残念にも申し訳なくも、思います。

 飛行機は結局、3時間半遅れで出発し、大阪に着いて、4時間半ほど閉じ込められていた機中から出て、さらに空港の外へ出たとき、青空のカケラが眼に美しく沁みました。

 チベットの空に、いつか自由の青空があることを。


  
         4月9日水曜未明1時






怒り、ひとつ  (★さらに5時間後に追記)

2008年04月05日 | Weblog



▼みなさんのコメントを読んで、先ほど(4月5日土曜夜10時過ぎ)、関係者2人に、電話しました。

 その電話を、フェアにそのまま記します。
 関係者2人は、いずれも留守電になっていたので、ぼくがその留守電に残した内容です。

「今日の放送、ほんとうに、おつかれさん。みんなの努力があって、あの生放送ができました。ぼくのところへも、圓教寺にもたくさん反響が来ているけど、局にも来ていると思います」

「しかし一方で、その番組内容の動画がインターネットにアップされているのを、視聴者やネット閲覧者の解釈ではテレビ局(あるいは著作権者の権利を代行する者)がどんどん削除していて、みんなが見るのに苦労しているという。
 もちろん、著作権法は大切にしなければならない。ぼくも、物書きの端くれだから、著作権法に違反する行為によって被害を受ける立場だ。
 それでも、なにがなんでも削除するだけが能じゃないだろうっ。
 今日ぐらいはせめて、時間を置いてから削除するぐらいのことができないのか。ネットで動画がアップされ、多くのひとがみることが、番組の広報のためにも極めて有効なことぐらい、分かるじゃないか。
 生放送で、再放送もない番組については、もう放送された分をしばらくアップされたままにしておくことに、どんな実際の害があるんだ。どっかの小役人みたいに、なにがなんでも削除するだけでいいのか」

「そもそも、無料のアップが困るなら、100円とか50円とかの有償で配信すべきじゃないか。その努力をしないで、何を削除、削除って、官僚的にやってるんだ。
 ぼくはずっと、関係幹部に、これを申し入れてきた。それなのに何も変わらない。誰が変えないのか、どんな検討がなされているのか、何も分からないままだ。
 削除しているのが、番組のスタッフじゃないことは明白だ。局の担当のひとか、あるいは著作権者の権利を代行する者がやっているんだろうから、その人たちをぼくに会わせなさい。
 直接、話すから。
 とりあえず、今日の放送のアップを、機械的に削除することを、今すぐやめなさい。きみたちでできないなら、もう一度言う、担当者が直接、ぼくに連絡してきてください! フェアに議論しようじゃないか」


▼この国の、悪しき意味の小役人は、役所にいるだけじゃない。
 仕事社会の隅々に、どんな民間にもいること、それがわたしたちの問題なのだ。

 なんのために仕事をするのか。
 志のためか。
 ひとのためか。
 みんなのためか。

 それとも、中国や旧ソ連の独裁官僚のように、ただおのれの保身のためにだけなのか。





★すこし怒りを静めての、追記 (4月6日・日曜未明3時すぎ)


 誰がどのように、あるいは誰が責任を持って、ネット上の動画を削除しているのか、いまだに判然としません。
 ただ、少なからぬテレビ局が、「安価な有料で動画を配信する」という努力もしないまま、とにかくネット上の動画が、その元ビデオがTV番組であれば無差別にただただ、削除され続けていることだけは、はっきりしています。

 TV番組のネット・アップが困るなら、あるいは、著作権法がきちんと守られる社会にしたいなら、まず、上記の「安価な有償配信」を始めるべきだし、『再放送の可能性のない生放送であれば、ネット上の動画も少なくとも一定期間はむしろ積極的な広報戦略として、削除しないでおく』…ということを検討すべきです。

 また、その削除は、誰がどんな責任を持って、誰を実行行為者として行っているのか、あるいはテレビ局としては何も手を下していないのか、下しているのか、すべてのテレビ局はいまや、ディスクロージャー(情報公開)をせねばならないと考えます。

 これは、番組参加者(出演者)のひとりとして、番組のうち、自分の発言した部分に明確な責任を持つ者としての考えです。

 そうした情報公開がないままでは、仮に、外国の工作員や、それに類する者が、彼らにとって気に入らない不都合な内容の番組について、ネット上の動画を勝手に削除するケースがどれだけあるのか分からないし、そうした不当な行為と、著作権法に基づく削除行為との区別も付きません。

 ネット時代になってすでに久しく、動画サイトが社会に広まってからも久しく、この問題へのテレビ局の取り組みが遅れていることは、マスメディアの責任を果たしていないと言わねばなりません。


                              青山繁晴 拝





ことしの桜花はいつもより長く咲いている。ぼくらに、これが最後の機会だと教えるように。

2008年04月05日 | Weblog



▼にんげんも、日本国民も、まだまだ捨てたものじゃないぞ。

 それが今、大樹玄承(おおき・けんじょう)師のチベットに向けたメッセージを聴いてくださった、多くの、ほんとうに思いがけず多くのかたがたの、共通した気持ちではないでしょうか。

 実は、ゆうべ金曜の夜に、関西テレビの小さな会議室で顔を合わせたとき、師の眼には苦悩の色がありました。
 そして、「青山さん、青山さんはブログに良心と勇気と書いてらしたけれど、わたしは、そんな大それた人間じゃありません」とおっしゃったのです。

 ぼくは師の眼を見て、魂の眼を見て、「大樹さん、ぼくがつたないなりに、いつも視聴者のかたがたや国民のみんなに呼びかけているのが、大それた良心や勇気だったことは一度もありません。みんなが、その生活の場で、そのまんま、ほんの少しだけ、小さな歩みを踏み出しましょう、あるいは、ただ胸のなかで考えるだけでもいいのですと、言っているつもりです。明日の生放送は、たいへんなことです。しかし、同時に、小さな最初の一歩です。ありのままの大樹さんの思いを、静かに示していただければ、それだけでいいと信じます」と応えた。

 師は、穏やかに頷かれた。
 師の隣には、師の生きかたを支える、おくさま(尼僧)と、圓教寺執事の金子師がいらっしゃった。
 このおふたりが、この夜に、控えめに、しかししっかりと「どうしたら公平な宗教者としてのメッセージになるか」について意見を述べてくださったことも、師が最後のちいさな迷いを超えて、最終の決意をされることに繋がった。

 師は、まさしく衆生(しゅじょう、命あるもの)の苦悩と共に迷われ、ためらわれつつ、そして、歩幅は小さいのに深い淵を一気に飛び越える、その勇気をみなに示されたのです。

 そこがいちばん、凄いと、ぼくは思います。
 巨大な国家の圧力に淡々と、強靱に、立ち向かい、隅々までしきたりがゆきわたった宗教組織と共存しつつ、にんげんの自由な、自律した意思を示すためには、この迷いを含んだ勇気こそが、有効なのだ。
 ぼくはあらためて、今そう考えます。


▼きょうの生放送に至るまでのことは、あとで(記せる範囲で)記します。

 ぼくの長年の読者である「風便り」さんによると、このブログにコメントが書きにくくなっているそうです。
 原因は分かりませんが、ひょっとしたら、このひとつ前の書き込みへのコメントが80件を超える多さになったからかも知れません。

 そこで、とりあえず、この書き込みを新たに置いておきます。
 コメントしてくださるかたは、利用なさってください。




 みなさん、ありがとうっ。
 みんながね、ぼくの知らせにあんなに熱く反応してくれたからこそ、きょうの生放送が、最後まで揺らぐことなく、ほんとうに実現したのです。
 みんな、かっこいいぞ!
 われら大和の国の民の、名もなき名誉を、おのれの虚栄のためじゃない名誉を、世界に示しました。
 きょうの主役は、大樹師と、師を見つめた、みなさんでした。



緊急の、緊急の、大切なこと

2008年04月03日 | Weblog



▼みなさん、あさって4月5日の土曜日、関西テレビの「ぶったま」という番組を視てください。
 関テレの放送地域でないかたも、電車や車で移動してくださって、視てほしいくらいです。

 関テレと利害の関係がないぼくが、ここまで言うには、わけがあります。

 チベットの民衆蜂起をめぐって、日本からやっと初めて発信される、ある良心に基づく訴え、アピールがあります。


▼番組は朝9時55分からです。
 しかし、最初は阪神タイガースの大活躍を中心とした野球のコーナーです。
 この番組は、報道番組ではありません。
 だから最初は野球であり、そのあとも、ニュースと関係のないコーナーが続くかも知れません。

 しかし、やがてニュースのコーナーになります。
 そのコーナーでは今週、ぼくが生で、お話しします。
 そして、今週だけは、ぼくのお話だけではなく、この国の心ある人がみんな待っていた、チベットをめぐる良心のアピールがあります。

 何時何分頃になるのか、正直、ぼくには分かりません。
 生放送ですしね。
 もしも野球や、その他のコーナーを視たくないかたは(…こういうコーナーも、出演者やスタッフが頑張っていますから、できれば視てほしいですが)、たとえば、とにかくチャンネルを合わせていただいて他のことをしながら待っていただいてでも、その良心のアピールの時間を待ってください。


▼こんなお知らせをするのは、もちろん、その良心のアピールの勇気に応えるためです。
 ぼくや関テレのためではありません。