いのちばっかりさ

生きている記録。これからどんどん良くなっていくのだ。

2025/01/24 疑惑

旦那が元気になってくるにつれ、このような疑いが私の心に生じた。私は自分の自由時間を犠牲にして母のキャリアを支えた。あくまで生活保護や養育費は受け取らないという母が仕事で食べていけるように頑張った。私は最近やっと肉を好きなだけたべて、しかもそのあと1ヶ月のうち一度も飢えることがなく暮らした。私は自分がやらされたことを旦那にやらせているのではないかということだ。

 

そもそも旦那と結婚したのは恋です。守ろうとか守られたいと思ったのではない。支えたいとか支えて欲しいとか思ったのではない。本当の恋で、2人でいればどんなことも楽しい。今もどんなことも楽しい。でも本当に私は搾取していないだろうか。この関係を搾取とは埒外のものと言って良いか。私は余裕ができたからこんなことを考えるんだと思う。しかも別に会社の金で家賃を減らしてもらっているとはいえ、なにも本質的な余裕があるわけではないのに。

 

ただ生きたいから健康でいたいから食べたいから生きれば良いところを私も搾取などという高等遊民の言葉を使って事態を腐らせる。

 

2025/01/23 みかん

みかんとりんごを食べた。寒い。

黒地に白の猫が屋根の上にいる。それが世の中のニュースを上から下まで読み上げている。何が不満なのか?いや何も不満でないはずなのだ。少なくともそういう類の不満は本当に持っているわけではなかろう。衣食足りてネットニュースを撫でるような生活ではまたすぐ衣食足りなくなってしまう。

庶民としてしか生きられない我々が、高等遊民みたいなことを言い出した。庶民として困っているのに、デモとかする。本当に必要なのは生活なのでは?

苦しんでいるなら、ものすごく庶民が生活を意味不明の必死さで追い求めることで社会が崩壊する、という、庶民ならではのムーブをすればいいのに、かえって奪われるままにしている。生活を追い求める庶民の爆走こそ庶民侮れないと思わせるものすごさなのでは。

理解できる庶民にならなくても良いと思う。上に政策あれば下に対策あり。それが庶民力で、ものごとを生み出すのが庶民。理解できないが本質を全て握っているそれが庶民。従っているようなのに全てのたくらみを崩壊させ、生命の赴くままに流れを変えるそれが庶民。暴論。

 

結局焦っているのは私なのだ。遊んでばかりで人生が無駄になる。政治を読み上げる猫に対する苛立ちはそのまま無為な生活をする自分への苛立ちだ。死んでもいいから生きたい。

2025/01/22 心配無用

ネット上に書いてある心配事を全部読み上げるマシーンと化している人がいて、やめておきいな庶民なら心配するだけでなく裏手に取って楽しんでいこうと思った。

 

ネットに書いてある心配はどうせ自分に関係がないものが大半だ。自分を優先していけばいい。

2025/01/20 毎日がとても楽しい 

働いていても、毎日がとても楽しい。働くのが楽しいと言わなくなったのは東京での仕事はつまらないからだ。

 

人生はまだまだ終わらない。私が嫌いな人々よりも私は明らかに長生きする印象を持っている。そのことが私を嬉しがらせる。山を見て嬉しいし甲府の山火事のニュースも見ていろいろ感じる。感じるということが楽しい。アウトプットするわけではなくても、面白いよ。

 

もっと何もない日を増やして感じることだけをしたいものだよ。