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更新日:2025/02/25 Tue 14:22:48
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不起訴処分とは、検察が犯罪の疑いのある人を刑事裁判にかけないことである。
読む前に
本項目の記述について、「この場合はどうなるの?」などと徹底的に学ぼうとすると、キリがない。
そのため、ある程度は記述を端折っている。
もっと詳しく知りたいという方は、刑事訴訟法に関連する専門書籍を読むことをお勧めしたい。
犯罪に対する処罰と「起訴」
日本を含む近代国家では裁判所での有罪判決が出ない限り処罰されることはなく、その有罪判決が確定するまでは、無罪とされる無罪推定原則が鉄則である。
無罪推定を覆すためには、裁判所が法律に定められた手続を実施した上で、「この人は○○罪を犯したので、こう言う処罰をする」という判決を出すことが必要になる。
しかし、裁判所が自分で犯罪者の捜査をしていたらどうなるか。
裁判所がいざ裁判をするときになっても、「こいつ疑わしいぞ!」という予断偏見まみれになってしまい、公正に裁判をすることが難しくなってしまう。
そのため、裁判所は犯罪の捜査をせず、裁判所と独立した存在からの「この犯罪者を裁判して下さい!!」という「公訴を提起すること」、すなわち「起訴」を待って、初めて裁判をするのが、日本の裁判の仕組みである。
起訴がなければ、裁判所でさえも「自分で犯罪者を見つけ出して裁く」ことは許されていないのだ。
刑事訴訟法第二百四十七条 公訴は、検察官がこれを行う。
そして、その「起訴」をする裁判所と独立した存在が検察官、そしてその検察官が属する組織が法務省の管轄する行政機関である検察庁である。
なお、権限のある公務員である「検察官」と行政機関である「検察庁」の区別は時と場合によってややこしく、法律上もしっかり区別されているのだが、それらを細かく分けると煩雑になる一方で項目の解説としてはあまり実益がないので、本項目では特に区別の必要がない限りまとめて「検察」と呼ぶことをお許し願いたい。
日本では裁判所に起訴をするのは原則として検察と決まっている。
警察ですら、「事件を捜査したら原則として検察に送って検察の判断を仰ぎなさい」ということになっている。(刑事訴訟法246条)
犯罪の被害者や世の正義マン諸氏をはじめ、検察以外が裁判所に起訴をすることは認められていない。
検察以外の人々がどうしても処罰をして欲しい場合には、検察などの捜査機関に対して「この人を処罰して下さい」と求める「告訴」「告発」を実施して、検察による「起訴する」という判断をしてもらわなければならないのである。
なおちょっとだけ例外はあるが、その辺はまた後で。
さて、起訴を一手に担う検察としては、当然必要に応じて犯罪者を起訴しなければならないわけだが、時と場合によっては「起訴をしない」という選択肢をとる場合もある。
ここで「起訴をしない」という選択が本項目で扱う不起訴処分と言うことになる。
起訴と逮捕
なお、起訴の前に「逮捕」があると思っている人がいるが、これは間違いである。
逮捕はあくまでも起訴する前に、被疑者に逃亡させたり証拠隠滅をさせないために実施する「よくある手続」の一つに過ぎない。
全く逮捕せずに起訴する事件も実際には非常に多い。というよりも、本来は「逮捕せずに起訴・裁判する」のが原則である。
なぜ犯罪=逮捕という認識が多いかというと、報道される事件は多くが重大事件であり、重大事件だと逃がさないために逮捕を実施する場合が多いことが挙げられる。
また、逮捕をもって一件落着とすることの多い推理もの作品の影響があるのでは?という意見もある。当然だが二次と現実の区別はつけて頂きたい所。
どういう場合に不起訴処分になるのか?
冤罪の疑いがある場合(嫌疑不十分)、あるいは冤罪が証明された場合(嫌疑なし)
警察・検察が調べている段階では、あくまで疑わしいだけ。追加で捜査をした結果、冤罪の可能性が出てきたり、証拠が固まらない場合も決して少なくない。
別の真犯人がでてきたとか、犯罪自体
被害者の狂言でしたなんて事が判明することすら考えられる。
冤罪といっても、単に犯人ではないと言うだけでなく、
正当防衛だった、故意がなかった、
心神喪失だったなど、法律上処罰されるべきでない、裁判に訴えても有罪判決が出ないこと全般が含まれる。
当然そんな裁判は実施しても無駄なので、起訴をしないのである。
日本の起訴・不起訴にあたって冤罪の疑いがないか?という検証は非常に厳格であるとされ、
疑わしい場合には起訴自体を避けるという運用が定着している。
「裁判所が有罪というか無罪というか分からないが、イチかバチかで起訴する」というのは非常に少ない。
日本の裁判で有罪率が99%以上であることを指して、「裁判官が有罪前提にしか考えていない」という批判をする向きもあるが、実のところ検察で疑わしい場合には起訴自体を避けているために有罪率が高くなっている側面もある。
もちろん、検察官も事件も多いため、初歩的な見落としの結果として冤罪事件で起訴をしてしまう検察官も出てしまうし、事件が少ない分目立ってしまっているのも否定しがたいが…
もちろん、有罪判決が出るかどうかは検察の予想に過ぎず、全て正しいとは限らない。
本当に無罪なら、起訴した上で裁判で無罪とすればよい…ということも考えられる。
それでも起訴をしないのは、以下のような理由がある。
処罰すべきでない被告人が苦しむ
無罪判決が確定するまで無実の被告人が苦しい戦いを強いられ、白い目で見られてしまう。
無罪にはなったが、裁判の確定まで10年以上かかり、弁護士などの費用を何百万円も負担することになってしまったケースもある。
「疑われたらそれまでだ」という認識が広まりすぎることも、国民の自由を過度に萎縮させかねず好ましくない。
被害者などの立場を考慮する
被害者の立場を考えてあえて不起訴にすると言うこともある。
刑事裁判で、被害者の証言で犯罪を立証する場合、被害者は原則として法廷で証言をしなければならない。特に被告人が否認する場合は、弁護側からの反対尋問を受けて記憶に従って本当のことのみを言う必要があり、嘘をついたら偽証罪で処罰されなければならない。
被害者を自称する者が嘘をついていたことが判明する事件も多々あり、反対尋問をせずに証言を信用するわけにもいかないのである。
だが、こうした証言をすることは、本当に被害に遭った被害者にとっても心理的な負担は大きく、被害者が「犯人を処罰しないでもいいから、証言させないで…」と嫌がってしまうこともある。
被害者の証言が法廷で得られないとなると、証拠不十分になってしまうと言うことは当然考えられるのだ。
後で裁判できる余地を残す
証拠不十分なまま起訴し、無罪判決となってしまうと、後から決定的な証拠が出てきたのに裁判のやり直しができず、無罪確定ということもある。
犯人を許さないという意味でも、冤罪の可能性のある事件をむやみやたらに起訴するのは好ましくないのだ。
ルール上裁判にできない場合
裁判をするには、一定のルールがあり「この人にはこの条件を満たさないと裁判ができない」というケースがある。
そうした条件を満たさない場合には、起訴自体がルール違反ということになりかねないので、不起訴ということになる。
典型例なのは、犯人が病気や事故などで死んでしまった場合。
裁判にかけるには、被告人が生きている必要がある。「死者を裁判にかける」ことは認められていないことから、検察としても不起訴にするしかない。
例え検察が起訴したとしても、裁判所は死んでいると確認が取れ次第、裁判を門前払いすることになる。
他にも時効になっている、起訴に当たって被害者の告訴が必要と規定されている犯罪なのに被害者が告訴していない、被疑者が海外にいて裁判を受けさせれられる見込みがないなどの事情があって裁判にできない場合にも不起訴になる。
起訴すれば有罪だけど、起訴しない方がいい場合(起訴猶予)
起訴猶予、すなわち、「検察としては起訴すれば有罪判決になると考えているけれど、起訴しない」という起訴猶予というものがある。
令和4年の統計では、不起訴のうち約7割がこの起訴猶予である。
そんなの許されるの?と思うかも知れないが、実際に刑事訴訟法ではこのような規定がある。
刑事訴訟法第二百四十八条 犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、
公訴を提起しないことができる。
つまり、犯罪は成立するかどうかに関係なく、様々な事情を踏まえて起訴しないと言うことが検察官の裁量として許されているのだ。
こうした有罪と認められる事件の起訴について検察官の裁量によることを認める考え方を起訴便宜主義という。
ちなみに、裁判所には検察のように「有罪だけど処罰を手控える」という権限はない。起訴されて有罪と認められるなら、例え処罰しない方がいいと思っても有罪として、処罰を言い渡さなければならない。
その意味では検察の不起訴の権限は裁判所より強力な権限とも言える。
「犯罪者じゃない可能性があるので起訴しない」のはともかく、「犯罪者と考えているのに起訴しない」というのは抵抗のある向きも多いが、こういった制度が設けられて運用されているのにはちゃんと理由がある。
起訴をすることは国にも負担が大きい
裁判で有罪判決を獲得するには、検察も裁判所も相応の人手や税金の負担を強いられる。
特に小さい事件の場合、そちらに人手を取られた結果、一番処罰するべき重大犯罪に手が回らないのでは、本末転倒になってしまう。
検察官は人が足りないからといって臨時で雇えるような存在ではなく、人手の確保は決して無視できない問題なのだ。
被告人に金がなければ国で弁護士の弁護人をつけなければならないが、その弁護士に実費や報酬を支払うことも必要だ。
特に外国人犯罪だと、裁判に通訳が必要なので一般の日本人の犯罪と比べても処罰に格段にコストが嵩む。
刑務所ですら、ある程度言葉が通じなければ服役自体が難しく、対応コストがかかってしまう。
日本人なら釈放したらそのまま日本で暮らすので何としても更生してもらう必要があるが、外国人の場合裁判所で処罰しようがするまいが、強制送還が予想され、それ以降の日本への入国ができなくなるケースもかなり多い。
裁判をするために日本で拘束するのもコストがかかるので、特に軽微な犯罪の場合にはさっさと強制送還にしてもらった方が、日本国内で生活費を出す必要もなく安上がりという側面も出てくる。
もちろん重大犯罪であれば、そんな負担のことなど気にしていられない。「手間や金をいくらかけてでも処罰する」という厳格な対応は当然だ。
しかし、被害の少ない、あるいは被害自体がない犯罪であれば、そういった費用対効果も無視できない問題になってくる。
処罰しない方が更生し、再犯しないこともある
犯罪として軽微なものであるならば、
何が何でも処罰するよりは、家族や雇主などが今後監督して、社会人として暮らしてもらった方が処罰するよりも本人が更生し、再犯しないことも考えられる。
処罰をしようとした結果、逆に本人が家族に見放されたり、勤務先や住む家などをなくして貧困に陥って犯罪をしてしまったり、
生活保護暮らしで税金の支出が必要になる…これでは本末転倒である。
刑務所で服役した人が再犯することも全く珍しくなく、刑務所への服役は再犯防止のために逆効果であるという指摘もある。
犯罪者の自己責任で切り捨てたところで、再犯の被害が償われる可能性は低いのだ。
そうならないよう、処罰しないでも十分な反省や更生が見込まれるなら、あえて処罰を手控えるというのは立派な手法となり得る。
被害者に対する賠償を促す
起訴される前に、犯罪者に対する被害の弁償などに対しては「褒賞」があった方がいい場合もある。その時、「不起訴」は一つの「褒賞」になりえるのだ。
被害者に弁償するなんて当たり前、褒賞なんて必要ないだろうが!!と思われるかも知れない。
しかし、「どうせ賠償しても同じ処罰になるだけ」となれば、例えば親に頭を下げてお金を貸してもらう…なんてことはしなくなってしまうだろう。
被害者があえて加害者に民事裁判を起こすこともできるが、それも手間は非常にかかるし、犯人自身の財産しか差し押えられない。
それなら、「弁償すれば不起訴の可能性が高まる」というのは、被害者にとってもいい結果になることもある。
こんな具合で、「法律上処罰が可能である」と言うことと、「裁判をして処罰をした方が良い」というのは同じ事ではない。
こうした様々な要因を考えて、結果として「今回は見逃しましょう」とすることは、検察に認められた立派な権限であるし、実際に多用されているのである。
なお、起訴猶予になったことについては、ちゃんと記録が残る。
検察も反省の言葉を信じて二度とやらない可能性の高さに賭けて不起訴にするので、「一度起訴猶予になったのに、また犯罪をしました」となれば、また検察が起訴猶予とする可能性は非常に低くなる。
また、起訴猶予に一度したけど、やっぱり裁判をすると判断を変えることも違法ではない。
微罪処分
検察官による不起訴より更に前に、警察から検察に送検する時点で実施される微罪処分というのもある。
警察が事件を把握して捜査を終えた場合に検察に記録を送らなければならないと先ほど書いたが、検察が指定した軽微な事件については、検察に簡単な記録を送って終わらせるというパターンである。
起訴猶予必至なごくごく軽微な犯罪については、検察だって暇ではないので警察で説教してもらって終わりにして欲しいのだ。
何が微罪処分の対象かは特に法律上は明示されていないが、
万引きや
無銭飲食などはこれに当たる場合が多いと言われている。
もちろん、被害額が何万円にもなったり仲間とつるんでやったりすれば微罪処分とは行かないし、ほぼ間違いなく品物をその場で返すなり弁償なりをさせられるが。
なお、微罪処分についても「万引きをして微罪処分を受けた」という記録は残るので、何回もやらかせば微罪処分では済まなくなると言うのも起訴猶予と同じである。
不当な不起訴への抑制
前記したとおり、不起訴にするかどうかは検察の裁量に委ねられている。
逮捕された人物が不起訴になったというニュースに不満の声が上がることも決して少なくないが、不起訴の判断は
司法試験に合格し、法律家としての司法修習を受けた検察官が、法令の知識の下に事件に関する証拠を閲覧し、取調べ、更には担当の検察官の上司からの決裁まで受けて判断している。
ニュースを見ただけで証拠を閲覧することなく大半は検察並の法律知識もない人のない判断に比べれば、検察の判断の方が遙かに信頼性が高いことはくれぐれも忘れてはいけないだろう。
とはいえ、裁判の判決ですら控訴・上告で是正が想定され、逆転有罪になることもある。
ましてや裁判所の判断を挟まない検察の不起訴であるから、全てが正しい訳ではないのも確かである。
何らかの形で不当な不起訴を是正できるに越したことはない。
しかし、起訴されていない以上、裁判所が「不起訴は不当である」などと言うこともできない。
そうした不当な不起訴に対する抑止として、検察審査会制度と付審判という二つの制度が設けられている。
検察審査会
市民から無作為に選ばれた検察審査会員が、被害者などの「不当な不起訴」の訴えを審査し、確かに検察官の不起訴が不当だと思えば検察に対して「もう一度捜査し直しなさい」(不起訴不当)と言ったり、「起訴しなさい」(起訴相当)と言うことができる。
検察が起訴相当でも起訴しない場合、もう一度申し立てて検察審査会がもう一度起訴相当と判断すると、いわゆる「強制起訴」となり、法律上「起訴された」という状況が検察官抜きで発生するのだ。
この場合、検察が裁判を進めると、裁判をしても「検察官が手を抜いたんじゃないの?」という余計な疑念が発生しかねない。
そこで、裁判所から選ばれた弁護士が検察官として裁判を実施することになる。
もちろん被告人にも別途弁護士の弁護人がつくので、「弁護士vs弁護士で刑事裁判が争われる」という珍しい事態が起きることになる。
付審判
犯罪の中には、警察や検察などがその職務を行う中で実施する犯罪もある。
一部の冤罪事件で指摘されるような、取調べの中で被疑者に対して殴る蹴るをしたり、暴言を吐いたりして被疑者に
自白を強要するというような犯罪もある。
こう言う犯罪を検察が起訴することももちろんできる。
だが、検察としても身内の仕事上の話。悪意を持って握りつぶしたり手心を加えてしまうことも考えられ、不起訴に関する判断の公正さが疑わしくなってしまう。
そのため、こうした事件については「付審判」または「準起訴」といい、被害者などが裁判所に直に「この件を裁判にして下さい!」と請求し、請求を裁判所が認めると、「起訴されたことになる」という制度が特別に認められている。
この場合も、検察審査会と同様、裁判所から指定された弁護士が検察役をして裁判を実施することになる。
ニュースでは、検察の起訴不起訴の報道も多数ある。
起訴不起訴の判断に対してどのような感想を抱くかは、各人の自由であるけれども起訴や不起訴の考え方や仕組みを理解しないまま感情任せに批判をすることは、
時に不幸な冤罪から救われた人に対し、
思い込みで鞭を打つことにもつながりかねない。
刑事訴訟法に関する基本的な知識を得た上で、事件報道について考えて発言していくようにしよう。
不追記・修正処分は不当と思うので検察審査会に追記・修正処分を申し立てます。
最終更新:2025年02月25日 14:22